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2004.06.24

■山田太一『逃げていく街』(1998マガジンハウス)

 山田太一のエッセイ集。いつもながらの着想の新鮮さ、丁寧さに感心する(いつもの説教くささも(^^;))。山田太一の視点のセンスオブワンダーが好きで本やドラマを楽しんでいる。ここまで生活に密着したところ(ホームドラマとか)で新たな視点を導入して、世界を異化させてしまう作家も少ないのではないかと思う次第。
 思いがけず、映像論が書かれていたので、それに関してコメントを少し書いてみる。

 私たちの認識が、言語化できる領域にとどまらず、「いわくいいがたい」曖昧で複雑で多層な現実を「いわくいいがたい」まま言語化せずに、まるごと意識化できる可能性を持つのが映像の世界である。(P72)

 これはヴィム・ベンダースの『東京画』にふれている「残像のフォルム」というエッセイの一節である。コンパクトに的確に言語との違いとして映像のもつ力を表現していると思う。同じエッセイの中で、ヘルツォークの「映像の透明性」という言葉を引用しているが、これはまさしく言語化できない映像のみが持ちうる「いわくいいがたい」なにものかの表現をさしていると考えられる。われわれは感覚的に「透明感のある映像」という言葉使いをするのだが、このエッセイでその正体にかすっている様な気がした。
 言語化とか近代化とか、山田太一の作品で時々テーマになっているが、この本で特に顕著なのは、ラフカディオ・ハーンを描いた自作のTVドラマ『日本の面影』(1984)についてのエッセイ(P180)である。これは後年京極夏彦がヒトにとっての妖怪について分析するのと共通の視点になっている。闇とかお化けの効用を80年代中にTVドラマで描いていたわけである。懐かしく思い出しながら読んだ。
◆関連リンク
・ファンサイト 山田太一ミュージアム
・何故か東京織物健康保険組合のHPにこの本の抜粋が、、、。抜粋ノートから0614。これって完全に著作権を侵害してるのでは?
・『逃げていく街』 マガジンハウス版 新潮文庫版(Amazon)

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