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2004年4月18日 - 2004年4月24日

2004.04.24

■イノセンス劇場公開終了(at東海地区)

 というわけで、択捉のシーンがもう一度観たくて、滑り込みで2回目を観てきた。
 DVDではあの鳥は白い染みのようになってつぶれてしまうから、もう一度観ておきたかった(ハイビジョン放映なら大丈夫だろうが、、、、)。映画館のありがたみを感じるのが久々という、鈍い究極映像研究家です(笑)。

 映像的には二回目は、美化された記憶の中にある一回目の映像に、既にかなわなかった。あれ?もっと凄かったと思ったけれど、、、って。ここが記憶による脳内映像が究極たる所以でしょうね。


 今回、特に感じたのは、この映画の「重層さ/立体感」。厚い薄いはともかくとして、とにかく徹底して重層さ/立体感を、映画のテーマにしていると思った。
 2Dセルと3D CGとの重なりで表現された映像は当然として、あふれる身体についての引用と押井守自身の言葉、スカイウォーカースタジオで作られた立体的音響、西洋バロックと中国建築と東洋のガジェット、音楽と和歌、ストーリーの仮想と現実の混沌、、、、この映画のキーワードは、徹底した「重層さ/立体感」である。
 
 そして映画全体が終幕し、Follow Meのエンドタイトルを聴きながら、イメージとして残ったのは次の一点か、とぼんやり考えた。
 人の認識の淡さ、現実/幻想の混沌。引用の数々でいろどられた身体論よりも、二回目はここが最後浮き上がってきた。特に択捉上空でのバトーとトグサのセリフに畳み込んであった(はず)。全部抜粋したいのだけれど、ウェブにもシナリオ採録が見つからず、残念ながら下記引用部分のみ(なんだ結局引用か、、、)で勘弁。

孤独に歩め…悪をなさず 求めるところは少なく…林の中の象のように。
個体が造りあげたものもまた、その個体同様に遺伝子の表現型。
その思念の数はいかに多きかな。我これを数えんとすれどもその数は沙よりも多し。

               イノセンス関連情報まとめより。

 (うーん、この引用だけでは、やはり再現できてない、、、、、。もっと違う言葉があったはずなのに>>自分の記憶力のなさを呪いますね、、、。)

 『ビューティフルドリーマー』は(タイトルがそのまんま「人の認識の淡さ、現実/幻想の混沌」を表しているのもご愛嬌)、シーンのループと亀のパースペクティブ、錯乱坊の哲学的セリフで、そうした重層的な現実の在り様を描いていた。『イノセンス』は(キムの館でその焼き直しのシーンもあるが)、前記映像と音と言葉の徹底した「重層さ/立体感」の作り込みによる映画そのものとして、「現実/幻想の混沌」がスクリーンと我々の脳に立ち現れてくる。それはストーリーとセリフによる言葉だけの表現ではなく、映像と音を駆使した「映画そのもの」としか言いようのない表現で、立ち現れてくるイメージである。

 あちこちのインタビューで押井が述べているように、所詮2Dでまさにペラペラなセル画表現の限界を感じつつ、実写でも描けない映画表現を、今回3Dと2Dの境界が行き来する映像を立体的に作り込んで、やっと満足する映画表現として自分のイメージを定着できたのではないか。
 なーんだ、結局やってることは一緒なのか、、、と言いつつ、やはり到達した映画表現のレベルにため息をついて劇場を出たのでした。

◆蛇足◆ さらにうがって考えてみると、2Dがわざと浮いてるのは押井のアニメへの恨みだったりして。と考えると、最後のFollow Meって嫌味だよね。日本アニメをこれから作る人たち、自分のこの映画についてこい、と言っているようにも感じられる。うーーん、押井守らしい皮肉なのか、鈴木Pの嫌味(叱咤激励)なのか、、、。

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2004.04.23

■R.U.R. チャペック(千野栄一訳/岩波文庫)

 なんとなく書店で目に留まって、名のみ有名な本作を初読。
 それほど古い感じはしない。ロボットが有機的で昨今の機械人形のイメージより、ずっと新しいイメージ。

 戯曲なので、是非、芝居で観てみたい。しかも本国チェコ語で。1920年代へきっとタイムスリップできるだろう。

RUR.jpg

 イメージ喚起された部分を例によって抜粋します。なかかないいよ。

 超ロボットを作り始めたのです。労働する巨人です。背丈が四メートルもあるのを試してみたのですが、このマンモスが次々と壊れていったなんて信じられますか?(P25)
 神経を紡ぐ工場。血管の紡績工場。一度に何キロメートルもの消化管が流れる紡績工場です。それからそれらの部品を、そう、自動車を組み立てるように組み立てる組立工場(P34)
アルクビスト だってもう何年もの間怖くないときがなかったものですから。
ヘレナ 何が怖いの。
アルクビスト この進歩全体がです。それで目まいが起こります。(P80)
アルクビスト 年寄りのロッサムは神を神とも思わぬ自分勝手ないんちきなおもちゃを考えていたし。若い方のロッサムは百万長者を夢見ていた。それはあなた方R・U・R社の株主の夢でもなかった。その連中の夢は配当だった。そして連中の配当のために人類は亡ぶのだ。(P125)

 こういう描写を読むと、チャペックがまさに書いていた時のイメージが84年の歳月とチェコと日本の距離を飛び越えて脳内にまざまざと展開する。書いたその瞬間となんら劣化することのない本の活字という情報媒体のみが持ち得る特質かもしれない、と思ったりする。
 チャペックがいたチェコは、シュヴァンクマイエル等のアニメ作家の映像でもその一端がうかがえるように、独特の人形文化を持つ国である。そうした人形がいる街に住んで、チャペックがどんなロボットのイメージで書いていたのかを想像してみる。木で作られたチェコの人形と、チャペックの有機的なロボットは、直結はしない。むしろ人形に近いのは、現在の金属で出来たロボットの方だろう。チャペックは、チェコの人形とか、西洋機械文明とかとは、全く別のものとして、むしろそれらとの差別化のために、有機的ロボットを描いたのかもしれない。とすると、本来のロボットというのとは、我々のイメージする現在の産業的な金属のロボットとは全く別の何者か、だったのかもしれない。

 ホンダの鈴鹿工場で、何キロメートルもの消化管がラインを流れてASIMOを製造している様を思わずイメージしてしまった。日本のロボット産業は、いつ柔らかい有機部品に手を出すのだろう。

◆おまけリンク
・岩波文庫はロボット岩波文庫">ここ。(amazon)
R.U.R. (Rossum's Universal Robots)
Googleイメージ検索

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■ウルトラQ「あなたは誰ですか?」

金子修介の雑記 "Essay":ウルトラ

 林民夫シナリオ、金子修介監督の「あなたは誰ですか?」を観た。
 なかなかの秀作。近藤芳正がいい味出している。

 ストーリーはどこかで観た気もするが、まとまりがいい。子供の頃、Qで観てたら悪夢を見そうな出来である。

 しかしこの番組、何故、深夜なのだろう。
 子供たちにも観せて、将来のSFとかホラーや、円谷ファンを増やしたらいいのに。

 7才の自分に観せてやりたい一作でした。

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2004.04.21

■SONY クオリア(QUALIA)新ラインアップ

たりーず・ふぁいるさんより。

 「意識を持ったロボット」にトラックバックとコメントをいただいたたりーず・ふぁいるさんで知りました。新しいシリーズのQUALIA010と017が登場。ヘッドホンとMDです。一品づつ削り出しのMDの光沢に惹かれるものがありますが、いかんせん、高すぎ。

 製品群としてのコンセプトは抜群のクオリアですが、各製品のインパクトは、少し寂しい。
 やはり二足歩行ロボットQRIOをQUALIAとして早く出すべきでしょう。がんばれSONY。部品代から言ったら、高級乗用車程度の値段でなく、30万円でも十分出せると思うけどなーー(開発費はこの際、企業広告代としてサービス!!)。

 ソニーのクオリアのページで写真が見えます。

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2004.04.18

■TOM★CATのTOMのソ連映画評

●CCCP

 学生時代に良く聴いてたTOM★CATに似ている歌を、先日、本屋の店内放送で聴いた。なんという歌かわからないけど、歌詞の反抗的なところとか、声のトーンがボーカルのTOMに似ていた。

 で、たぶん違うとは思いつつ、ぐぐったが、くだんの歌はわからずじまい。TOM★CATの歌でないことははっきりした。誰か知ってたら教えてください。、、、と言ってもヒントになる歌詞の一節すら覚えていないのでは、どうしようもないか。

 ひさびさにTOM本人のHPを覗いた。1年ぶりくらいか、、、、。よく知らなかったけれど、今、溶接工をやっているみたい(実家??)。で、blogがあって眺めていると、上に示したリンク●CCCPというタイトルで、タルコフスキーとか、ノルシュテインの映画の話がありました。うーーん、なんか嬉しい。ので、書いてみました。

 TOM★CATのレコードはここ。

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