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2006年10月1日 - 2006年10月7日

2006.10.07

■京極夏彦『邪魅の雫』 プロモーション・ビデオ
  ラジオドラマシリーズ『百鬼徒然袋 雨・風』

Jami_pv
MouRa|講談社ノベルス、スペシャル映像|京極夏彦『邪魅の雫』

その世界観を余さず伝える
著者・京極夏彦の朗読付きスペシャル映像
【完全版】を一挙公開!

 白黒映像による『邪魅の雫』プロモーション・ビデオ。作者自らの朗読であの世界を聴感できます。なかなか雰囲気出ています。京極夏彦氏の声のイメージがなんかちょっと違ったけれど、、、。

京極夏彦ラジオドラマシリーズ『百鬼徒然袋 雨・風』

 本日第一話が放送されました。
 AMラジオを聴くのは何年振りでしょう。しかし、うちの中で受信状態最悪。まるで聴こえなかったので、泣く泣く車の中で聴きました。

 ちょっと京極小説のイメージよりふざけすぎていてあまりいただけないかなと、個人的には思いました。楽しいけどね。(そりゃ、元々『百鬼徒然袋』はそういうバイアスかかってるけどさ。)あと一回20分は少ない。ドラマ後の夏木マリの語りをちょっと減らしてもドラマを進めたほうがいいのかな、と思いました。

 ここ(ウェビオ:ウェブラジオ)でいずれネット公開されるらしいですが、まだありません。

◆関連リンク
・当Blog記事
 京極夏彦ラジオドラマシリーズ『百鬼徒然袋 雨・風』

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2006.10.06

■ヤノベケンジ 『取手終末チネチッタ(CINECITTA)』
 『ジャイアント・トらやん・ファイアー 呼び覚ませ、縄文の魂!』

取手アートプロジェクト Toride Art Project TAP2006
  終末処理場プロジェクトBlog  デイリー・スペクタクル 
  ゲスト・プロデューサー ヤノベケンジメッセージ

Yanobe_toride_art_pro 『取手終末チネチッタ(CINECITTA)』へようこそ!
 人生は映画のようなものである。人は皆、自らが主人公のドラマを作りながら生きている。
 ならばアーティストの生き様を投影する作品とは、彼らの人生の瞬間を記録する媒体(フィルム)といえる。

 閉鎖された汚水処理施設「終末処理場」。その廃墟に華やかに入り乱れ展開するアーティスト達の公開制作、インスタレーション、ライブパフォーマンス、 ワークショップ。
 その場所はまるで、それぞれの人生の映画をあちこちでエネルギッシュに製作している「映画撮影所」の風景に似るのではないだろうか。

 茨城県取手市で催されている取手アートプロジェクトにおいて、2006年11月11日~11月26日(金土日祝オープン)に終末処理場プロジェクトというのが開催される。
 21組のアーティストの終末の競演。遠いけど、観にいきたいよー。

 アーティストには、Antenna淀川テクニックといったヤノベゆかりのアーティスト(下記リンク参照)も参加されているようです。

縄文と現代 〜二つの時代をつなぐ『かたち』と『こころ』 | 青森県立美術館

数千年の時を越え、ジャイアント・トらやんが縄文のエネルギーたる「炎」を今、放つ!!
《ジャイアント・トらやん・ファイアー》呼び覚ませ、縄文の魂!
2006年10月21日(土)青森県立美術館B2F企画展示室入口前
第1回 13:00~14:00 ※開催中は展示室が閉鎖されます。
第2回 17:00~18:00 ※閉館時間の開催となります。

 今度は青森の地に、ジャイアント・トらやんが復活する!!
 縄文とジャイアント・トらやん、なんだかバッチリのコラボになりそうな予感です。

◆関連リンク
Antenna blog 終末処理場プロジェクトの制作風景もあります。
淀川テク日記 取手アートプロジェクト記事
・尾崎泰弘氏のKOKUFUMOBIL | 戸頭終末処理場浮上計画
  (この方のギャラリーもお薦め)

・当Blog記事
 「ヤノベケンジ ジャイアント・トらやん・ファイアー@豊田市美術館
 「Antenna×ヤノベケンジ -ジャッピー、トらやん、そして第3の塔-
 「デジスタ 淀川テクニック

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2006.10.05

■京極夏彦『邪魅の雫』

Jami  「殺してやろう」「死のうかな」「殺したよ」「殺されて仕舞いました」「俺は人殺しなんだ」「死んだのか」「──自首してください」「死ねばお終いなのだ」「ひとごろしは報いを受けねばならない」
 昭和二十八年夏。江戸川、大磯、平塚と連鎖するかのように毒殺死体が続々と。警察も手を拱く中、ついにあの男が登場する! 
 「邪なことをすると──死ぬよ」

 今週は『邪魅の雫』週間で、読書に呆けていました。
 2003.8月の『陰摩羅鬼の瑕』 から3年、800ページのサイコロ本のシリーズ最新刊に満足。そういえば、このBlogで京極堂シリーズ本篇の感想を書くのは初めてですね。

 さっき、ざっとmixiの感想なぞ読んでいたのだけれど、やはりこのシリーズ、キャラクタ小説として読まれています。「今回はあいつは活躍が少なかった」、「彼は、、、だった」的言説が多い。読者みんなの「世界」に浸透している京極堂世界。

『邪魅の雫』(Amazon)

--------------------★ネタばれ注意★-----------------------

 今回のぼくにとっての圧巻は、大鷹と江藤というキャラクタの描写。

 こいつらの思考過程が自分の頭の中に入り込んでくるのが、たまらなく気持ち悪かった。作中で「馬鹿」と評される大鷹と、鉛が頭の中に溜まっていく江藤。そしてそこに吹き込まれる神崎宏美の言葉/現実。

 世の中で起きる殺人事件で、被害者の家族をもっとも苦しめるのが、この大鷹や江藤のような殺人者が何故人を殺したのかわからない不合理さではないか。
 画家の西田の世界は、閉じているがまだわかる。しかしこの二人の内的世界は尋常ではない。通常の感覚ではわからないが、それが、その思考過程がしごくすんなりと自分の頭に再構築されてしまう気持ち悪さ。それを作り上げている京極夏彦の筆力は凄い。

 家族を殺されて、その原因もわからずに苦しむ人たちは、この小説を読むと、もしかして少しだけ殺人の実像に近づくことができるのではないだろうか。不可解な殺人のいくつかは、こうしたシチュエーションとこうした人間の感覚から生み出されているのかもしれない。

 論理とか道理とか科学とか工学とか、近代世界が産み出したそうしたツールによって、人間は、その巨大な脳とそこに生まれた意識という生臭い生物として抱えてしまった不気味な世界像を統御しているようにみえる。
 しかしその実像は、統御しきれずに殺人事件や信仰宗教やUFOや妖怪といったものとして漏れ出てくる。この過剰な内面といったものが漏れ出てくる気持ち悪さが、今回の大鷹と江藤というキャラクタの描写であったと思う。

 別名百鬼夜行シリーズといわれるこのシリーズは、多かれ少なかれこうしたイメージでとらえると、わかりやすいテーマを内包していたと思う。今回は、複数の内面世界の錯綜を意識的に描き、この実像をさらに鮮明に描き出した作品になっている。

 鮮烈さは弱いが、それだからこそ、より現実世界とシンクロした薄気味の悪い世界の実像に触れている小説になったのではないだろうか。

 電車の中で本作を読んでいて、ふとまわりを見ると鉛をたたえたような目の大人が実はかなりいることに気づく(仕事に疲れている自分の目も心配ではあるが、、、(^^;))。各人がその脳髄の中にひとつひとつ別の世界を抱えていると考えると、吐き気を覚えることがある。『邪魅の雫』は、ぼくにとってそんな世界を思い出させる小説だった。

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2006.10.02

★★ルディー・ラッカーのブログ!!
  Rudy's Blog at rudyrucker.com

Rudyrucker_mad_professorRudy's Blog at rudyrucker.com

 ラッカーが撮った写真によるワールドコンレポートだとか、イラストだとか満載。すごーーくファンキーでいいよー。興奮。(ろくに読めてないけど、、、(^^;))

 最近、日本ではラッカーの話題を全然聞かなかったのだけれど、本国では元気。

 Ruckerのページにトラックバックもコメントも付けられるわけで、考えただけでワクワクします。(だけどドキドキして、結局まだ何も実行できていない私。)

Wikepedia ルーディ・ラッカー

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2006.10.01

■押井守監督 『立喰師列伝』

立喰師列伝(公式HP)  立喰師列伝企画書(押井守公式HP)
押井守監督 「立喰師列伝」への思いを語る - 「livedoor コンピューター」Home

 昭和20年、太平洋戦争終結直後、廃墟からの復興を期する東京の片隅。まもなく店を閉めようとしている立喰い蕎麦屋に、伝説の立喰師「月見の銀二」の姿があった。「つきみ、・・・そばで」、月見の銀二の容赦なき「ゴト」が静かに仕掛けられてゆく。

 やっと観ました『立喰師列伝』。なかなか傑作。あまりに評判が悪いので、劇場へは行かなかったのだけれど、DVDで楽しんだ。アンチ押井守実写映画派の僕としては、今回もとても不安だったのだけれど、好きです、この映画。
 そういえぱ、もともとこれは、実写映画というより写真を用いたアニメーション映画だ。

Tachiguishi_gendai_bungaku02_1 この映画は、押井守の現代文学への挑戦って文脈で観ると面白いのではないか。劇中に吉本隆明、高橋源一郎、村上春樹、リチャード・ブローティカ゜ン作品への言及があるという単純な理由の他にもいろいろとその根拠はある。

 冒頭から飛ばすナレーション。押井守独特の文体で語られる途切れのないナレーションは、映画ではなくまるで小説を朗読されているように感じる。映像が静止画の加工であることからまるで小説の挿絵のように観えないこともない。

Tachigui_yoshimoto  そしてフランクフルトの辰のシークェンス。
 観覧車のシーンはまるで現代のカッティングエッジな小説世界に入り込んでしまったような趣がある。何故なのか実は分析できていないのだけれど、そんな気持ちがヒシヒシと押し寄せてくる。押井守が小説について語る言葉は、あまり聞いたことがないのだけれど、ある意味、実験実写映画を撮ってきた押井監督が新しいと言われる小説を読んで、なんだ、これでいいんだ、と開き直って描いた映画世界がこれだ、という感じ。

 犬が登場する戦後史というところから、自然に思い出すのが、古川日出男の『ベルカ、吠えないのか?』。あの雰囲気にも近いところがある。(犬馬鹿の押井監督が『ベルカ、吠えないのか?』をどう読んだか知りたいところ。)

 ハンバーガーの哲のシークェンスで、店長神山の怪演技に大笑いさせてもらった後、観覧車でとっても文学的脳内映像を見せてもらって、大満足な映画でした。(村上春樹というよりは、高橋源一郎ファンにお薦めかも。)

◆関連リンク
野良犬の塒さん 立喰師列伝
・限界小説書評 『火曜日になったら戦争に行く』/渡辺玄英におけるいくつかのこと   ――セカイ系、押井守、現代詩、『スーパーロボット大戦』その他
・整腸亭日乗さんの - 押井守は凄いぞ

「ケツネコロッケのお銀」の喪失感は、吉本隆明の詩「分裂病者」の引用で補完している。

リチャード・ブローティガン『バビロンを夢見て』(Amazon)
『吉本隆明全詩集』(Amazon)
・当Blog記事 古川日出男の『ベルカ、吠えないのか?』

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