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2006年2月5日 - 2006年2月11日

2006.02.11

■『爆笑問題のススメ』 古川日出男の巻

Bakusyoumondai_Furukawa爆笑問題のススメ (公式HP)

 次回(2/13の週)のゲストが、古川日出男。
 この人がTVに出るのは観たことがないので、楽しみ。どんな語り口の人なのだろう。写真は雑誌とかで見るより、丸い感じですね。さっそく見逃さないように録画予約しました。こちらでは水曜深夜の放送です。
 この番組、ほとんど観てないですが、京極夏彦も出てたようで、、、知らなかった。まさかカート・ヴォネガットは出てないですよね?

 太田光は、ググッたら「週間ブックレビュー」で『アラビアの夜の種族』を「おすすめ本」で挙げてますね。

◆関連リンク
・観終わった感想を2/20UP。
 →当Blog記事 爆笑問題のススメ「古川日出男 想像散歩のススメ」
・雑誌 す ば る /古川日出男 柴田元幸 対談
 これは『ロックンロール七部作』刊行記念のトークショーの採録ですね。

イッツ・オンリー・ロックンロール文学言葉に触発されリズムが生まれる。頭の中には音楽が流れ出す。共鳴し合う二人に響く、"ロックが聞こえる文学"とは何か。

Mint Julepさんの記事
 柴田元幸×古川日出男トークショー@青山ブックセンター本店

古川日出男語録も沢山飛び出しましたですよ。
「細部に神は宿らず、妄想に神は宿る」
(柴田氏の「いつ、自分を捨てたのですか?」という問いに)「8年前くらいですかね(きっぱり!)」

作家の読書道 古川日出男

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■新刊メモ
 『デス博士の島その他の物語』 『眠れる人の島』 『銀齢の果て』
 『SFが読みたい! (2006年版)』 『このブログがすごい! 2006』  

.  .

ジーン・ウルフ, 浅倉久志ほか訳 未来の文学『デス博士の島その他の物語

孤独な少年が物語の登場人物と現実世界で出会う名作「デス博士の島その他の物語」を中心とした「アイランド博士の死」「死の島の博士」の<島3部作>、荒廃した近未来アメリカでの謎と恐怖に満ちた彷徨を描く「アメリカの七夜」、目の見えない少年が繰り広げる奇蹟と魔術の物語「眼閃の奇蹟」など、華麗な技巧と語りを凝縮した全5篇+限定本に付された<まえがき>を収録。

国書刊行会告知

★三省堂SFフォーラム★ 『デス博士の島その他の物語』刊行記念
柳下毅一郎さん・山形浩生さんトークショー
SFに何ができるか――ジーン・ウルフを語る
日時:3月4日(土) 開場17:30 開演18:00
場所:三省堂書店 神田本店8階特設会場

 ついに刊行。「デス博士の島」は、SFマガジンでずいぶん前に読んだけれど、今回3部作通して読んでみようと思ってます。トークショー、聞きたい!

 ★追加リンク → 当Blog『デス博士の島その他の物語』感想 

エドモンド・ハミルトン著, 中村 融訳『眠れる人の島
  東京創元社(公式HP) Edmond Hamiltonウィキペディア(Wikipedia)

 『フェッセンデンの宇宙』『反対進化』に続く、中村融編によるエドモンド・ハミルトンの第三弾短編集。今回のは幻想怪奇編とのこと。前2冊がよかったので、これも購入。
 この冬は、ジーン・ウルフとあわせて、<>SFの季節?

筒井 康隆『銀齢の果て

 「銀齢の果て」掲示板 『銀齢の果て』各種資料

老人であることは悪なのか? 和菓子司の隠居、宇谷九一郎の住む宮脇町でも、70歳以上の国民に殺し合いをさせるシルバー・バトルが遂に始まった! 21世紀最大の、禁断の問いをめぐる老人文学の金字塔。

 筒井って、自分の老いを見つめて小説のテーマにしているけれど、こういう形になるところが凄い。さすが。
 これって、タイトルは谷口千吉監督、黒澤明脚本『銀嶺の果てのパロディなんでしょうね。今、Amazonで見たら、音楽は先日亡くなった伊福部昭氏。ご冥福をお祈りします。告別式ではゴジラの荘厳な音楽がかかるのでしょうか。

 老いても元気なのは筒井氏。GYAOの筒井康隆劇場『エロティックな総理』はなんだか好き勝手に演じてそうです。

SFマガジン編集部『SF/が読みたい! (2006年版)

 これは定番で買います。今年のベストは何作読んだかな?国内が燦燦たる有様のような気がする。

別冊宝島編集部編『このブログがすごい! 2006

 本屋で何気なく立ち読みをしていたら、オタクジャンルに「野良犬の塒」さんが掲載されてました。『このミス』のようにメジャーな本になったら、アクセスが凄まじく伸びるのでしょうね。
 (この手の本がいくつか出ているので、立ち読みの本がこれだったか、実は少し自信がない。もし間違ってたら、ご容赦!)

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2006.02.09

■茂木健一郎 『プロセス・アイ』Process A.I.

 脳科学者・茂木健一郎のSF。
 茂木氏が、論証を挙げた緻密な理論の論文としてはまだ構築できないけれど、直感的に把握した大胆な説を、どうしても書きたくて、今回、小説という形態を選択したのではないか、と期待して読んでみました。

◆心脳問題

 前半、世界的脳科学者・川端武史が、ついに人間の意識の秘密を解き明かした「プロセス・アイ」理論を学会で発表しようとする場面までは、特にワクワクして読んだ。
 だけれど、後半、解き明かされるかと期待した「意識」と「私」と「志向性」の「物語」は、結局、直接描かれることはなく、肩透かし。
 (それを見たある人物のある変容が描かれるところは、なかなか面白いアイディアでグッとくるところもあったけれど、、、、)結局、学者茂木健一郎がまだ直感でとらえているだけで論文として書き上げるのには推測が多すぎるような理論とかを開陳するようなことはなかった。そこに期待していたので、残念な思いで本を閉じた。

 これは小説を読むのには、邪道な読み方である。
 では純粋に小説またはSFとしてみた場合の感想はどうか(こちらの方が通常のこのBlogで扱っている分野)。

◆小説

 まずは小説として。
 もっと、らしくない小説かと思っていたけれど(失礼)、初長編ということで考えると凄く手馴れている。プロットとか、結構面白い。
 ただ残念だったのが前半の高田軍司と高木千佳と金城剛の関係を描いたところ。本来ならば微妙な三人の関係がいくつかのキーとなるエピソードとともに読者に強いインパクトを与えて記憶に残るはずの場面なのだけれど、結局3人は東京のグルメをいっしょにまわっていた印象が一番強い。ここは物語のきっかけになり、本書風の表現をすると、読者へのクオリアを構築する最重要な部分だったと思う。しかしここが良くない。もう少し、ここで3人の意識の関係が見事に描かれていたらと、残念でならない。

 エピソードのアイディア等の出来不出来が作家としての才能の中核になるように思う。うまい作家は、物語のクオリアの本質をつかまえて、素晴らしいシークエンスをこうしたところに配置する。いい小説を読むと、読者の脳に生成させるクオリアにとってどんな物語の具象化が必要か、これのつかみ方が凄い。作家の才能というのは、そういうものだと思う。この才能を持った作家はそうそういない。本作は、平均的な作家(?)のレベルは充分満足してると思うのだけれど、、、。

◆SF

 SFとしては、新人SF作家のなかなか力作な処女長編、というところ。
 結構宗教がかったところがあるので、SFの読者は、トンでもな感想を持つのではないか。心脳問題って、やっぱSFとしても難しい。理論よりも感性的情緒的な部分が強く、特にSFとしての仕掛けである超知性体的なものを出さないと、新興宗教的な匂いが出てしまう。

 奇想小説としてみると、イメージの飛翔は、A.I.とか月とかテイラーメイドテクノロジーだとか道具立てはあるのだけれど、ぶっ飛んではいない。常識的SFの枠内(ん、なんだ、それ??)。A.I.シーンは、声を変えるところにイメージがいっちゃってるけど、なんで声?って感じ。

 何故か、グダグダと愚痴ばっかり書いてしまいました。これも冒頭に書いたような過ぎた期待があったから、と勘弁してください。あとネットの感想は、褒め言葉が並んでいるものが多く、へそまがりの私は批判的な言説で攻めてみました。
 んじゃ、あとは<関連リンク>の下に、ネタバレで意識の問題など好き勝手に書いてみます。さらにグジャグジャなので、ご容赦。

◆関連リンク
茂木 健一郎『プロセス・アイ』(Amazon)
・『神狩り 2 リッパー』で「クオリア」をキーワードにした山田正紀氏推薦文
 (茂木氏のクオリア日記より)

12章を読んで新幹線で泣いた。この「物語」には風が吹いている。その風は世界を吹き抜けてぼくのクオリアを優しく震わせる。

 山田正紀が泣いたのは以下の12章のフレーズでしょうか。絶対者へ挑戦する女性を描かせたらピカイチの山田正紀的フレーズ。ここは僕も好きです。

「私たちが、言葉を通して、様々なものを志向すること自体が、私たちが因果性の限定を逃れていることを意味することにはならないと思うわ。(略) 少なくとも、私たち人間の置かれた絶望的な状況を超えるためには、単に志向性の自由に頼るだけでは、だめで、もう一つ飛躍が必要だと思うのです」(P275)

・作家本人が作った『プロセス・アイ』専用掲示板
・カバー絵の飯田信雄氏 IIDA Nobuo HP。美しいイメージが観えます。

続きを読む "■茂木健一郎 『プロセス・アイ』Process A.I."

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2006.02.07

■中沢新一『森のバロック』 第一章,第二章

◆第1章 市民としての南方熊楠 (太字、リンク : 引用者)

 バロック哲学では、世界はひとつの巨大な連続体として、とりあつかわれている。この楽天的な哲学は、世界のどんな微小部分も空っぽではなく、無数の襞と無限小のモナドによって充実しきっている、と考えた。(略)
 もともとのシステムに収まりのつくものは、それでいいとして、システム内部におさまらないが、さりとて外の世界に悪魔払いもできないものも収容できる「中間性の領域」を設置して、拡張をとげる彼らの知識世界の全体性を、かろうじて維持しようとしたのである。「中間性の領域」は別名「幻想の領域」でもある。古代イラン哲学は、ここをmundus imaginalisと呼んでいた。この領域で人間の創造力が、自由に羽ばたくことができるからである。のちに二十世紀のシュールレアリストたちは、そこに芸術家の自由な創造力の貯蔵庫を、みいだそうとした。もろもろのヘテロジニアスを収容するための、この「中間性の領域」の設置によって、博物学は、近代科学にはない、芸術的な魅力を獲得することになった。(P33)

hodaka 世界はいたるところで、同一の経済システム、同一の物質生活、同一のメディア、同一の音楽、同一の教育、同一の思考、同一の感情、同一の罠におおわれつつある。そこには熊楠が沈潜することができた、深い森も現実から失われようとしている。空間の外もなく、また深遠への入り口も、いたるところで閉鎖されつつある。今では世界の内臓は、メディアと政治の明るい光の中にさらされてあり、(略)。このような世界にあって、なおも私たちには、原生林のような「自由な空間」を創造する可能性が、残されているのだろうか。(P45)

自分は狂人にならないために、生物学の研究に没頭したというのだ。(略)内部からわきあがる力が強すぎて、それを受け入れる器を、外の世界の仕事にみつけることができなかった。また欲望の多様は、現実にぶちあたるたびに、その単調さに耐えられず、癇癪となって爆発した。彼の欲望の多様と強度を受け入れ、それを人格の内側に屈折させていくことのできるものを、熊楠は探していた。(P46)

 「幻想の領域」の誕生とシュールリアリストの関係、自由な空間の希求というところが、凄く面白かった。
 熊楠の知の欲求強度、これを受けとめた博物学と森。甲状腺と暴れる好奇心の関係とか、自分の関心のあるポイントに近い記述で、言われていることの意味がよく伝わってくる。

 ここで想起したのが、現代の奥深く迷宮なウェブの知の空間と森の関係。
 熊楠のような強度ではなくても好奇心という想像力の暴れ馬を我々現代人も内蔵している。それらを受け入れる器としての電脳空間。文字通り蜘蛛の巣の網の目のように奥深くたどっていける知の空間としてのウェブ、これが受けとめている欲望の多様さを思うと眩暈がしてくる。
 森をなくした21世紀人の新たなバロックな空間としてネットを位置づけると、ITバブルの正体とか21世紀の知の方向がなんとなく見えてくるような気がする。この視点でネットの進化形態を空想、、、ワクワクしてこれらの文章に刺激されて感じたわけ。(もちろん、ITバブルの正体は、経済のメカニズムだとか、新領域への単なる期待とか、そうした要因が大きいことは認めた上で、この森の代替としてのネットっていう視点の面白さを指摘したいわけです。少なくとも僕がネットサーフィンで得る快感は、この欲求とリンクしている。)

◆第2章 南方マンダラ

 「物」と「心」の間に生ずるものを「事」と呼ぶ。そしてその抽象活動である「印」。これらがスパイラルを描いていくことで、作られていく脳内のイメージ。物と心の二元論でなく、このように考えた時の人のイメージについての視点が新鮮で心地いい。

 例えば、先日書いた「レイモンド・カーヴァー ファースト・インプレッション」。
 いくつかの短編を読み進んでいった時にある種、衝撃的に感じたカーヴァーの根底にある(と僕が感じた)イメージ。これが生成するプロセスを上の視点で考えると、とてもスッキリとおさまりがいい。つまり一つ一つの短編との間で「事」が発生し、その抽象化としてカーヴァーの根底イメージとしての「印」が私の中に生まれる。

 このBlogで映画や本によって生じるイメージについてゴタクを並べているわけだけれど、確かに抽象化されてスパイラル状に積層していくことで、ある作家や監督の持つ独特のイメージが我々の頭の中に転送されていく過程があるわけで、脳内の図式化として熊楠のとった方法は、しっくりとはまりました。(これで拘束はされたくないけどね)

◆関連リンク
Heterogeneous(wikipedia)
■中沢新一『森のバロック』 総論: ★究極映像研究所★

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2006.02.06

■ダリ・ユニヴァース:Dali Universe

Dali_Universe_1
London County Hall Gallery "Dali Universe"
 ロンドンで開催されているサルバトール・ダリの展示会。
 街にダリ作品のオヴジェが展示されているようで、なかなかシュールな光景が広がっています。
 → Dali Universe - Google イメージ検索

Dali_Universe_2  会場内も素晴らしく不思議な空間の様相。
 こんなレストランで『アンダルシアの犬』に出てきたような目玉が、料理として出されたら、さぞかしすんごいでしょう。(<<なんてグロい想像するんだ!)

◆関連リンク
Photography - Dali Exhibition, London Eye, South Bank
 ここの写真がなかなかいいです。

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2006.02.05

■中沢新一『森のバロック』 総論

mori中沢新一『森のバロック』 (Amazon)

 1992年に出た本なのだけれど、本屋で見かけて、タイトルに興味を持って読んでみました。中沢新一ははるかな昔に『チベットのモーツァルト』を読んだ以来なので、すでに20年ぶりかも。

 これがかなりインパクトのある本でした。傑作。
 いろんな刺激的な言説があって、ページをめくるたびに新鮮な視界が広がる、という本。

 Amazon等の紹介に「日本思想の可能性の宇宙樹。南方熊楠論」とある。
mori02  僕の読後の感じとしては、中沢新一が熊楠の著作と膨大な書簡から読み解いた熊楠思想とその現代における可能性、という内容。現代の思想、自然科学等の知見と対比しながら、主に熊楠の日本的アジア的な思想が、どう西洋思想に対して拮抗し、さらに未来に向けて可能性を拡げていけるかを、熱く(本当に中沢の筆は熱い)書き起こしている。

 補遺は全体を軽く紹介した単独のエッセイなので読み飛ばすとしても、第1章から結論までは、本当に面白く読める。いちいち自分が今抱えている疑問や興味の対象や課題(仕事等)に、熊楠的(中沢的)な思考を当てはめてみると、思わぬ視野が広がる、という意味でどんどん読み進めてしまえる本。
 南方熊楠という名はアチコチで目にし、面白そうな印象はもっているのだけれど、熊楠の思想の実物にあたったことのない自分としては、どこまでが熊楠のもので、どこからが中沢のもの(もしくは彼の知る現代の知見)か判別できないのだけれど、まさに曼荼羅的/超領域的にワイドスクリーンバロックに展開するこの本はお薦め。

目次
第1章 市民としての南方熊楠
第2章 南方マンダラ
第3章 燕石の神話論理
第4章 南方民俗学入門
第5章 粘菌とオートポイエーシス
第6章 森のバロック浄のセクソロジー
第8章 ポリフォニーとマンダラ
結論 来たるべき自然哲学
補遺
ヘリオガバルス論理学
書簡による南方学の創生
Une sorte de Mozart Tib´etain

 長くなりそうなので、以下、各章ごとの感想とかメモは別記事にまわします。いや、噛み出がある本なので。
■中沢新一『森のバロック』 第一章,第二章: ★究極映像研究所★

◆関連リンク
南方熊楠 中沢新一 (ウィキペディア(Wikipedia))
粘菌生活:デジタル映像で見る細胞性粘菌の世界 動画
 (弘前大学農学生命科学部 応用生命工学科 細胞工学講座)
長女南方文枝さんが語る「普段着の南方熊楠」 (紀伊民報AGARA)
・写真家 森武史氏の-熊野古道-
森のフリー写真素材・壁紙集
 この記事の森の写真はここの素材を使わせていただきました。
・中沢 新一編 南方熊楠コレクション(Amazon新刊は品切れ) 
 kumakusu_collect

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