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2007年3月25日 - 2007年3月31日

2007.03.30

■スタニスワフ・レム, 久山 宏一訳『フィアスコ(大失敗):FIASKO』

スタニスワフ・レム, 久山 宏一訳『フィアスコ(大失敗)』 (公式HP)  

任務に失敗し自らをガラス固化した飛行士は、二十二世紀に蘇生して太陽系外惑星との遭遇任務に再び志願する。不可避の大失敗を予感しつつ新たな出発をする「人間」を神話的に捉えた、レム最後の長篇。

Lem_fiasko

 1986年に出版されたポーランドのSFの巨人スタニスワフ・レム最後の長編小説。
 真正面からのファースト・コンタクトテーマのSF。思弁的であり、そして何故か日本のSFアニメーションを髣髴とされるストーリー。アニメファンに受けるワクワクする物語になってます(ラストはやはりレムですが、、、)。SFとしては、同じファーストコンタクト戦争ものとしても、神林長平の『雪風』の方がSFしてるかもしれない。

 世界の『FIASKO』のカバー絵。皆さんはどれがイメージに合いますか?
 残念ながら巨大ロボットを描いた表紙画家はいなかったようです。国書刊行会には、再販時には是非アニメータかロボットメカデザイナーの採用を希望したい(^^;)。

------------------以下、ネタばれ含みます。ご注意を---------------------------

 木星の衛星タイタンで描かれる巨大二足歩行マシン「ディグレイター」。壮大な木星のパノラマ映像の中で描かれる無骨な巨大ロボット「ディグレイター」の絵がまず素晴らしい。(あとレムの筆致で木星の巨大ロボットアニメを読める喜び(^^;)。)操縦方法はライディーン型というかエクゾスケルトン(外骨格)タイプ。乗り込んだ操縦者とロボットがマスター/スレーブの関係となっている。

 そしてロボットともにタイタンの地から掘り起こされ、22世紀の未来世界で復活する操縦士(固有名詞は不明)。
 人類は初の異星生命体とのコンタクトのため、「エウリディケ号」でブラックホールを利用して、光の速さを超える宇宙の旅へ。そして遭遇する球体戦域惑星クウィンタ。
 人類とクウィンタ星は知的なファーストコンタクトに失敗し戦闘状態に入ってしまう。そして、、、、。
 
 どうです、血沸き肉踊るでしょ。これがレムの小説のあらすじだと思えますか?ほとんどSFアニメ。

 ところどころ人類についてのレムの思弁が語られはするものの、それでもストーリーは真正面からファーストコンタクトSFアニメとしても読めるわけで嬉しくなる。ちまたでは翻訳の文が難渋で読みにくい話と言われているようだが、そんなことはなくて実に読みやすい(と言っておきます)。(確かに翻訳文は、わかりやすい言葉でも、単語が何故か原語のまま綴られて(   )の中に訳語が入っていたり読みにくいところはあるけれど、、、。)

 後半のクウィンタ星人とのコンタクト手法として、レーザーを用いてクウィンタ星の大空一面に映像が描かれるシーンがあるのだけれども、こんな壮大な映像ショー、是非観てみたい。クウィンタ星の知的生物がどうそれを認識したのかは想像するしかない。

 ラストは、レム的な不条理で終わる。しかし中盤の戦闘シーンがあまりに人間的な異星人を想像させており、僕はラストの不条理感とストレートにつながらなかった。もっともその落差、違和感が異質なものの出会いということなのかもしれないが、、、。
 あの擬人化したようにみえた敵 異星生命の思考の描き方は、レムは意図してやったのだろうか。もっとひねりがあっても良かったと思うのは、僕が読み込めていないだけなのかもしれない、、、。エンターテインメントとしても思弁的にも、とても刺激的なSFだけれど、ここがさらに過激だったら素晴らしい傑作になっていたと思う。

◆関連リンク
スタニスワフ・レム (Wikipedia)   
スタニスワフ・レム - 評山の一角:書評wiki

柳下毅一郎氏の 映画評論家緊張日記: 『大失敗』スタニスワフ・レム

 これは究極の宇宙冒険SFであり反宇宙SFである。つまり、究極の反SFなのだ。これが最後の小説になったのも当然のことである。

 実は柳下氏の言う「反SF」というところの意味が正直僕にはよくわからない、、、。たぶん読み込めていないと思うので、誰か僕に解説していただけると幸い。

・殊能将之氏の a day in the life of mercy snow 

 わたしの貧弱な脳みその限界ぎりぎりまで知的興奮をかきたてられるうえ、ほとんどスペースオペラのような通俗性があり、最後は夢の体験に酷似した幻想的・寓話的結末を迎える。「今年の海外SFベスト」と呼んでも、気が早すぎないと思う。

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2007.03.29

■ベルトラン・シュミット監督  『シュヴァンクマイエルのキメラ的世界』
  Chiméry Jana a Evy Švankmajerových

シュヴァンクマイエルのキメラ的世界』(レン・コーポレーション)

 先日『ルナシー』の感想を書いてから、時間が経ってしまったけれど、名古屋シネマテークで同時上映されたこちらのチェコのTVドキュメンタリーも観てきた。

 期待していたのだけれど、あまりラディカルにシュウ゜ァンクマイエル迫っていく作品にはなっていなかった。
 同じドキュメンタリーでも以前観た『プラハからのものがたり』というプラハの街でシュヴァンクマイエルの創作の姿勢について突っ込んで描いていたものに比べると、ものたりなかった。どちらかというと、どこかでみた映画のメイキングもの的(実際『ルナシー』のメイキングなのだが、、、)。

 このドキュメンタリーへの僕の期待は、実はヤン・シュヴァンクマイエルというより、奥さんのエヴァ・シュヴァンクマイエロヴァーだった。エヴァのシュールリアリストとしての創作姿勢を物凄く知りたいと思っていた。
 彼女のメディアム・ドローイングという絵画作品にすごくインパクトを受け、文章を読んでみると、文体が凄くシュールリアリスムで戦闘的。過激さではもしかして、ヤンを上回るような気すらしてくるものだった。

 この映画では残念ながらエヴァはシュヴァンクマイエルの補佐的存在としか描かれていない。映画の中の情報として書き留めるとすると、『オテサーネク』が実は、エヴァが最初自分の作品として映画化しようとしていたものをシュヴァンクマイエルが自作として(勿論承諾を得た上で)制作に入ったというところ。

 一昨年、惜しくも若くしてエヴァさんは亡くなってしまったのだけれど、もし『オテサーネク』が彼女の監督作として撮られていたらと思うと残念でならない。あのメディアム・ドローイングの持つパワーが映画で全開されたと想像すると、身震いしてしまう。改めて、チェコのシュールリアリストに哀悼の意を表したい。そして北海道の画家深井克美にも。

<当Blog記事>
『深井克美―未完のランナー』 : Katsumi Fukai
エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァーさん 逝去 
エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー回顧展カタログ 
エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー:Eva Svankmajerova関連図録 
ベルトラン・シュミット監督  『シュヴァンクマイエルのキメラ的世界』
   Chiméry Jana a Evy Švankmajerových

GAUDIA EVAŠVANKMAJERJAN―
 造形と映像の魔術師シュヴァンクマイエル展 幻想の古都プラハから
 

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2007.03.28

■池谷裕二 『進化しすぎた脳』 感想 3 + α
   アニメーター磯光雄と金田伊功と脳の構造の関係

池谷裕二『進化しすぎた脳』 
 感想 1 「脳と無限の猿定理」 感想 2 「無意識の脳活動と芸術家の「半眼」」 
 感想 3 「脳のトップダウン構造と視覚」

 前日の記事 感想3で眼からうろこの視覚論を知ったわけですが、そこからアニメやその他映像について考えてみました。箇条書きですが、まずは覚書ということで、、、。

 これだけではわかりにくいと思いますので感想 3から先に読んでください。

視覚のトップダウン構造からアニメと実写映像を解読(序論)

・アニメの動きは、複数の静止画から、脳内の視覚情報処理メカニズムが動きを生成する幻の映像である。1/24秒のコマごとに眼から入ってくる、視覚野にとってわずか3%の映像が、脳内の複雑な動きの処理メカニズムを駆動し虚構の(しかし脳内では認識される現実そのものとしての)映像体験をもたらす
 つまり残り97%は眼から入った映像ではなく、脳の別の処理メカニズムが生み出した脳内映像である。

Eva_19_eye ・天才と呼ばれるアニメータは、外部に存在する事物の動きのデータとこの脳内の処理メカニズムの両方を直感的に理解して、映像に動きを生み出す存在なのだろう。それは我々が外部世界で観たものの再現の場合もあるが、脳内の処理メカニズムを利用した、どこにもかつて存在しなかった動きの映像なのかもしれない。
(ex.右図 磯光雄EVA第19話作画。この2コマの中間に我々の脳はどんな映像を生成しているのか?( 前日記事の図 薄いブルーの長方形に相当する映像のこと。これを脳の自動中割りメカニズムと呼んでみる(^^;)))

・従来、アニメ理論として外部の事物の観察の重要性が説かれている。しかし本来は、これに加えて、アニメータには映像の光刺激そのものより、それによって脳の自動中割りメカニズムがどう起動するかを観察/分析することが実はもっと重要なのかもしれない。

 錯視のメカニズムをそのわかりやすい例として挙げることはできるが、実は映像を観ることと脳内の動きの感覚を観察することがもっと重要なのだろう。どんな静止画のコマ運びがどんな動きの感覚として感じられるのか。つまりどんな静止画のつながりが、脳の自動中割りメカニズムを起動し、それにより生み出されたクオリアがどんなものなのか。
 優れたアニメータは、脳内映像クオリアの冷徹な観察者なのかもしれない。(だんだん妄想が暴走してます、すみません(^^;))

・絵画は現在アートとしての地位を確立している。それは現実の模写から始まり、抽象画に代表されるように脳内映像としか呼びようのないものを表現しているからに他ならない。静止画の脳内映像クオリアの優れた観察者が画家として優れた芸術家である。

 ではアニメータは?これは上の論述からそのまま、脳内の感覚として動きを視覚処理した結果のクオリアを表現できる/そして新たに創出できるアニメータは優れた芸術家である、と言うことができる。
 (こういう芸術という言葉を使った記述をすると、芸術とサブカルチャーの地位の問題に過敏に刺激を与えることになりますが、「芸術」を作家が脳内に持ったクオリアを他人に伝えることと定義していますので、別に呼び方による階層の議論をしたいわけではありません。ご注意を。)

Zambot_05_garunge ・静止画はじっくりと観ることができるため、意識できる外部の光刺激としての絵画情報に対して、無意識の脳内生成映像が介入する率が低いと思われる。それに対して、動画はその切り替わるスピードから、脳内活動が映像認識に占める割合が高い(もともと動きというのは脳内で生成されているし)。本来、絵画よりも動画の方が脳内映像の芸術としての創造の可能性が高いと言えるかもしれない
(ex.左図 金田伊功ZAMBOT第5話作画。この絵の中間に生成される脳の自動中割りメカニズムが生み出したクオリアは、新たなニューロンの回路を形成し、さらに次の斬新な動きのイメージを脳内に生み出しているのかもしれない。僕の脳の自動中割りニューロン回路の起源は金田伊功によるこの敵キャラ メカブースト ガルンゲの映像だと思う。そしてそれを進化させているのが、磯光雄他のアニメ作画のエッジに位置するアーティスト。)

村上隆氏の金田伊功分析で、狩野山雪『老梅図襖』とか北斎『富獄三十六景』を比較対象として挙げている。西洋美術の3Dに対して日本の2Dという視点で述べている。しかし僕には金田伊功論としてしっくりこない内容に思える。
 そもそも、僕は金田伊功の映像に、2Dというよりも、かなり立体感を感じている。何故、2Dのセルアニメーションで3Dのような空気感が出せているのか、という疑問を持ち続けている。
 この視点からみると、(欧米のCG,SFX等も含めて)20世紀が生んだ芸術:映像の先端を広げているように観える金田のアニメートを、過去の芸術の領域に回収しようとしている論述に感じられてモヤモヤした読後感がわいてくる。(これは村上氏が金田伊功リスペクトを、絵画やオブジェといった過去の芸術形態で作品にしているところからも来ている。新たに20世紀が発明した映像:動きの芸術を、静止しているもので表現しようとしていることがそもそも限界を持っているのでないか。)

 アニメーションを、脳内の動き感覚のクオリアという視点で分析し、立体的な空間と時間の表現:新しい芸術形態として位置づけるような試みを深めることしか、金田らが切り開いている何かの新しさは解析しきれないのではないか。

・コマごとに絵を描くことから、アニメで説明するとわかりやすいため上のような記述をしたが、当然実写映像や特撮映像にもこれらの考え方は当てはまる。映像によって人の心を動かす映画監督(もしくは撮影監督)は、脳内映像の優れた観察家でなくてはならないはず、事物を写し撮るのでなく、そこから生み出される感覚を写し撮るために。

映画評論家滝本誠氏は、画面に映し出されたものだけでなく、自らの中で暴走した脳内映像を含めて評論を書く(と言われている)。まさに上の脳のメカニズムを考えるとこれが本来の評論家の姿なのかもしれない。実は全ての人間は同じ映画を、同じ映像認識で観ているわけではないのである。暴走する脳内映像処理メカニズムを持った映像評論家は、それ自体、芸術家であるのかもしれない

・TVとフィルムで映画を観ることの違い、スタンダードTVとハイビジョンの解像度の違いをオーディオビジュアル評論家は論ずる。しかし実は脳内で補正されることで、映像の視覚野における質は、それほど違わないのかもしれない、特に映画を観ることに慣れた(脳内の動画映像を処理する回路が優れて育成されている)観客には。オーディオビジュアルマニアの細部にこだわる感覚と映画ファンのそれほどのこだわりのなさは、こんなところから説明できる。

・さらに、実は3%以外の残り97%は眼とは別の視覚を視覚野にもたらしている。脳内で作り出された宗教的体験(神)や幽霊や宇宙人といった幻の存在を観たり感じたりするのも、この脳のトップダウン機構が影響していそうである。
 小説や映画の描く空想を現実に近いものとして感じる感情移入の体験や、ヴァーチャルリアリティの持つリアル感がどこから来るのかということの説明としてもこのトップダウン機構は有効。

 さて、うだうだとした妄想に最後まで付き合っていただけて、ありがとうございます。
 最後は、またまた飛躍しておかしなことを書いていますが、さらにちょっとだけ続けてしまいます。

・『電脳コイル』は、電脳メガネによりヴァーチャルな映像が町に溢れる世界を描いている。案外と上のように考えてくると、実は人の脳が世界を観ている構造はこのアニメの描く世界に近いのかもしれない。つまり電脳メガネが強化現実として映像を付加している『電脳コイル』の世界は、すでに現在の人間の脳がやっているとを電脳メガネというガジェットでわかりやすく表現しているだけかもしれない。

 といった認識論的な視点でも僕はSF『電脳コイル』に期待してたりします。

 ではでは、今度こそ、ここで終了!!

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2007.03.27

■池谷裕二 『進化しすぎた脳』 感想 3
   脳のトップダウン構造と視覚

池谷裕二『進化しすぎた脳』 
 感想 1 「脳と無限の猿定理」 感想 2 「無意識の脳活動と芸術家の「半眼」」

 感想 3は、このBlogと最も関係の深い視覚と脳について。脳内映像を標榜する「究極映像研」としてはたいへん興味深い内容。

◆視覚における脳内のトップダウン構造

①人間の視神経は、眼の中心部は色を認識できるが、外周部はモノクロしか識別できない。(P144)

Shinnka_nou ②正方形の次に縦長の長方形を見せると、脳の「動き」を感じる部位が活動して、正方形が徐々に縦に伸びていったと感じる(右図)。脳が意識とは別の活動として「これは正方形が縦に伸びていった」と勝手に解釈し中間の映像を生成する(右図薄いブルーが生成された映像。まさにアニメの中割りを脳が実行しているわけです。)(P138)

③2004年の『ネイチャー』の論文によると、自然の風景を見ている時と暗闇の中にいる時を比較して、大脳皮質の視覚野の神経活動は10%ほどしか違わない。つまり外からの視覚刺激があろうとなかろうとニューロンはほぼフル活動している。我々は眼の刺激だけで視覚を構成しているわけではない。(P338)
 論文 Small modulation of ongoing cortical dynamics by sensory input during natural vision PDF

④視覚野のシナプス活動のうち、視床から入ってくる視覚情報は15%に過ぎない。さらに視床そのものも眼からの情報を中継する部分(外側膝状体)は視床全シナプスの20%。つまり視覚野が処理する外の視覚世界の情報は、わずか15%×20%=3%。我々の観ている画像は、そのわずか3%が外の視覚世界でそれ以外は脳が処理した別の視覚情報(例えば上述②の止まっているものを動いていると知覚する脳内の活動情報等)。(P351)

⑤人間が机を正面から見て、次に右へ90度回って視点を変えたとする。視点による机の見え方が変わるため、ただ外部の視覚情報からだけではそれを机と認識できないはず。脳の中では「これは机なんだ」という内部情報が発生し、外部の視覚情報に対して机という認識を貼り付ける強力な脳内の「トップダウン」による情報処理の機構が働いている。
 ④の眼から視床を通過して入ってくるわずか3%の外世界の光情報を「ボトムアップ」による生データとすると、それに対して意識のレベルでは「トップダウン」方式によって内なる97%の視覚情報が覆いかぶさって我々の視覚認識がなされる
 眼の解像度が100万画素のデジカメ程度だとして、世界を滑らかに見せているのは、この「トップダウン」の視覚の認識機構によるものである。(P353)

 どうです、面白いでしょ、眼から鱗の視覚の驚愕すべきメカニズム。
 本の中では、錯視や盲点等の例を紹介して、眼からの情報だけでなく、我々が視認識しているものの正体を一部実感させてくれながら、解きほぐしてくれています。わずか3%が眼からの直接の情報であると考えると、究極映像研的にはいろいろと人間の映像処理の説明が付けやすくなります。

視覚のトップダウン構造からアニメと実写映像を解読(序論)

 上の視覚のメカニズムを使うと、いろんな映像について面白い解釈ができます。その一例を簡単に述べます。(これはいずれ書いてみたいと思っている僕の「脳内映像論」みたいなものの骨格になるかもしれません、、なんちゃって(^^;;)。以下、もう少しだけ妄想にお付き合いください)。★長文になったので、次の記事にします。(明日アップ予定→アニメーター磯光雄と金田伊功と脳の構造の関係)

続きを読む "■池谷裕二 『進化しすぎた脳』 感想 3
   脳のトップダウン構造と視覚"

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2007.03.26

■磯光雄監督 『電脳コイル:COIL A CIRCLE OF CHILDREN』
  TAF2007 プロモーション映像

磯光雄監督 『電脳コイル』 Coil_poster公式HP プロモーション映像
TAF2007プロモーション映像
オープニング(Youtube)
 (07.4/14追記 削除されたみたいです。O.P.映像は残されています)

ひねもすのたりの日々: TAF2007(東京国際アニメフェア)

これはすごい(・・;。
派手な色彩もアクションもないのに観客を引き込む演出が素晴らしいです。
躍動感溢れるキャラクターの動きだけでなく、細かな仕草もしっかり描かれて
アニメーション本来の”動く”魅力がいっぱい。かわいいキャラクターも登場するし、子供受けも最高でしょう。

 shamonさんの紹介された記事を読んでいて、どうしてもプロモ映像が観たくなって探したら、さすが10億ドルの訴訟を起こされるYouTube、しっかり既に映像がアップされています。
 こうなることは初めからわかっているので、NHKや徳間もプロモをいち早く公式HPでアップすれば良かったのに。

 アニメータ磯光雄氏はその超絶アクションでならした凄腕ですが、演出家磯光雄氏は『ラーゼフォン』15話で渋い落ち着いた芝居をみせていたので、初監督作がどうなるか注目の的だったのですが、どうやらその両側面の融合+「子供受けも最高」路線。

 オープニングと予告篇を収録した5分30秒のプロモ映像には、しっかりと丁寧な芝居とアクションが息づいてる。電脳メガネというガジェットを導入したことで、普通の町に不思議な空間が露出してくるイメージがワクワクさせてくれます!

◆関連リンク
NHKアニメワールド:電脳コイル(公式HP)  5/12(土)18:30- 全26話
 26話という発表がありました。
【TAF2007】プロモ映像初公開 『電脳コイル』(アニメイトTV Web)
【電脳コイル】(徳間公式HP)

東京国際アニメフェア2007 出展情報プロモーション映像 初公開!
来る3月22日(木)より開催される「東京国際アニメフェア2007」において、『電脳コイル』は徳間書店ブースで、プロモーション映像の上映&特別展示会を行います。
オープニング「プリズム」/エンディング「空の欠片(かけら)」
作詞・作曲・歌 池田綾子  編曲 TATOO

・主題歌を担当された音楽製作者北村岳士氏のBlog 「暇」を生きる: 電脳コイル 

 作品のイメージや描きたい世界の映像感を「言葉」で狭めないで伝えてくれようとする姿勢は常々「言葉」の持つ伝達能力の限界を感じていた私は非常に共感を持ちました。「そう!クリエイターかくあるべき!」
 綾子嬢もそういうタイプなので二人のイメージリンクはとてもうまくいったのだと思います。
 出来上がった作品は・・

 オープニング曲:「プリズム」
 エンディング曲:「空の欠片」

 「プリズム」は磯監督のイメージと映像感と・・場所感??例えば「空き地」や「路地」などの場所が持つ感覚・・感情を描きたいという試みを受け書き上げた歌で、誰もが持つ「孤独」をテーマにした楽曲です。綾子嬢が最近身につけた歌唱法で感情表現をトライしています。

<当Blog記事>
アニメータ磯光雄 と 監督作『電脳コイル』 
NHK07年春放映の『電脳コイル』 スタッフ公開! 
磯光雄監督 NHK教育『電脳コイル』 COIL A CIRCLE OF CHILDREN

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2007.03.25

■古川日出男公式サイト と 朗読ギグ

Furukawa 古川日出男公式サイト フルカワヒデオ日記
 (どちらも集英社サイト)

 取材のために南房総へ。充実した時間を過ごす。ここから二日間ほど、合計して四つの作品のアイディアが同時多発的に爆発。いったいおれの脳味噌どうなっちゃってるんだ状態になる。だが、いざ新作中編にとりかかると、地獄のはじまり。ネタが浮かぶことと小説が“書ける”ことはまったく違う、という当たり前の認識に蒼白となる。凄絶な恐怖。正直、白髪がどんどん増えるのがわかる。ひたすら新しい文体に嬲られ、それでも喰らい付きつづける……しゃにむに、死に物狂いで。

「古川日出男×向井秀徳 in KYOTO」information
(mixiに足跡を残されたKIASMA:キアズマさんの ライブイベント紹介ページより)

「古川日出男×向井秀徳 in KYOTO」
2007年5月5日 (土・祝) 17時開場/18時開演
@ 京都METRO

  最新作『サマーバケーションEP』が刊行された古川日出男の公式サイトが07年2月にできていたようです。知りませんでした。日記がなかなか注目、マジカルな文体で作家の日常がつづられています。古川日出男創作の秘密に迫れるかも??(しかし「ヒデオ日記」は「ビデオ日記」との誤読を狙っているのでしょうか。それともベストセラーひでお日記をパロった?)

 あと朗読ギグのイベントも面白そうです。渋谷でも5月3日に開催されるとのことです。
 昨年、NHK週刊ブックレビューで初めて朗読する古川日出男を観たのだけれど、あのまるで小説の文体をさらに拡張したようなテンポが舞台に炸裂するのでしょうか。京都、観たい。

◆関連リンク
   
古川 日出男「ゴッドスター」掲載 (雑誌『新潮』 2007年 04月号) 
         『サマーバケーションEP』

・当Blog記事
『爆笑問題のススメ』 古川日出男の巻 『ロックンロール七部作』 『ボディ・アンド・ソウル』 『ベルカ吠えないのか』  『LOVE』 NHK週刊ブックレビュー 特集 古川日出男『LOVE』を語る

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