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2008.06.25

■視覚/聴覚/触覚 19世紀と20世紀の夢 
    iPhoneに至るロードマップ (2/2)

Parc_alt_2■アラン・ケイの描いたマルチメディアの夢

スティーブ・ジョブスは、スミソニアンの「コンピュータの歴史」のインタビューで、 ALTOの重要な3つの機能を指摘している。
GUI(Windowsとメニュー、マウス)
オブジェクト指向(Simula言語とSmalltalk)
ネットワーク(LANで使われているEthernetという仕組み)

 アラン・ケイと言えばこのMACの源流となったALTOと、ダイナブックのコンセプトが有名である。iPhoneが出た時に僕がまず思ったのが、ついに理想のダイナブックが現れたっていうこと。

ダイナブック - Wikipedia

ケイの構想したダイナブックとは、GUIを搭載したA4サイズ程度の片手で持てるような小型のコンピュータで、(略)文字のほか映像、音声を持つ「本(book)」のような存在であり、それを扱った人間の思考能力を高める存在であるとした。

 「手」の中で視覚と聴覚を拡張し「人間の思考能力を高める存在」としてのiPhone。

Parc_alt_mause  アラン・ケイのALTOで画期的だったのが、GUIに加えてマウスによるマン・マシン・インタフェースの実現があった。ダイナブック構想のロードマップの第一ステップとして構築されただろうALTOにおいて、ここで僕はマウスオペレーションによる触覚の利用に着目したい。

 ダイナブックが「手」の中に入る究極のモバイル機器として構想されたのであれば、当然将来「手」の感覚として重要な「触覚」と密接な関係を持たせようと考えるのは自然である。そして1973年時点で、ハードウェアとして手の中に入る大きさを実現できないALTOと手の関係をどう構築するか、というのがアラン・ケイのひとつの課題だったと想像してみる。

 手で直接オペレーションできないものを手とコンピュータの間に介在するマシンで解決しようとするのはごく自然である。そして生まれたマン・マシン・インタフェースであるマウスなのではないか。

 ALTOは、GUIによる視覚とマウスによる触覚を用いたインタフェースを特徴として、ダイナブックの源流として生まれたわけである。この時点でいずれ手の中に収めることを想定し、触覚を利用していこうということの自覚がどれだけアラン・ケイにあったのか、是非聞いてみたいものである。 

◆iPhoneの特徴は触覚インタフェース

 前日の記事で最後に書いた日本のハイテクケータイになくてiPhoneに明確に存在するのが、この触覚インタフェースである。

 ALTOを源流にもつMACはマウスがキーデバイスであった。そしてそこからダイナブックへ至る道筋の中にあるPowerbookとNewtonにおいて触覚の利用がどれだけあったか。Powerbookではトラックボールとトラックパッド、Newtonではペンによる手書きの利用とページをめくるようなタッチオペレーションがあった。これは触角の利用としてはまだマシンの介在がかなりある。

 そしてさらに集積化されて手の中に入っていくことで、触覚を自覚的に直接利用する形態がとられたのが、ALTO、MAC、Powerbook、Newtonの直系の子孫にあたるiPodである。

Etsuraku_kyouhan_sha_ipod_touch  iPodが画期的だったのは、iTuneによるビジネスモデルは別にして、指による直感的なオペレーションである。聴覚デバイスであるiPodなのだけれど、実はユーザに快適な感覚を提供していたのは、あの指の操作による高速の曲選択のインターフェースだったのだと思う。おそらく操作性のシンプル化を狙ってボタンを減らすことが直接的な目的であったのだろうが、あの操作の気持ちよさはそれだけで生み出せるものでない。

 あきらかに手の中に入るマシンであるから、触覚を快適に刺激することが自覚的に設計された成果がiPodなのではないかと思う。指を高速で機体に滑らせる触覚と、視覚に入ってくる曲名の高速スクロールの同期する感覚。これがiPodの操作感を気持ちよくしていた心理的な仕組みではないかと思う。少なくとも僕がiPodを初めていじった時の面白さのコアはそこだった。あの気持ちよさは癖になる(^^;)。iPodって愛着が沸くのはこの効果がかなりあるのではないだろうか。

 そして進化したタッチオペレーションの現時点の到達点としてのiPhone。
 iPodに対して直接スクリーンの映像を指で操作する感覚は、視覚と聴覚と触覚をよりいっそう密着させる。もともと人が作り出したマシンはどんなものも人の五感を延長した器官という意味合いを持つ。その延長された器官である手の中のマシンからダイレクトに三つの感覚器官に情報が同期して送られることで、マシンと人の結びつきはいっそう強くなってくると考えられる。

 僕はまだiPhoneは手にしたことがなく、電気店の店頭でiPod Touch(このダイレクトに触覚を表現したネーミングのマシン)を少しいじっただけである。でも手の中の映像が指の触覚に同期して、画像をめくったり拡大したりできるのはとても快適だった。

 長時間自分のマシンとして持ち続けた時にこの感覚がどこへ行き着くか、とても楽しみである。おそらく器官の延長として自分につながる愛着はiPodより強くなるような気がする。この愛着がアラン・ケイの構想したダイナブックの真の姿のような気が少しする。人とつながって知覚を拡張するデバイス。

Shokukakku_isu_3  電車の中でケータイをいじる人々をついマン・ウォッチングしてしまうのだけれど、それぞれが手の中の機器をとても愛でているように僕には見える。ある意味、なんであんなにずっといじっていられるんだろうという不可思議な感覚を持つこともある。
 今後、ダイレクトに手の中で視覚と聴覚と触覚につながるiPhoneが電車の中でどう人々に触れられていくのか、街にiPhoneが広がっていった時にどんな光景が見られるか、今から楽しみである。とか言ってて、自分の手の中のiPhoneに夢中で他人を見る余裕がなくなってたりして(^^;;)。ここまで長文を読んでいただいた方、最後なんだかへんな中毒的な情景をイメージさせてしまってすみません。

 やはり触覚は、ヤン・シュヴァンクマイエルが『悦楽共犯者』で描いたように、どこか淫靡。今のケータイを熱心にいじる人々に覚えるちょっと奇妙な感覚は、ここへつながっていたんですね。

※昨日掲載したロードマップを眺めながら、iPhoneと日本のケータイを比較して考えたのがこの分析。「触覚」に拘りすぎて論理的な構築が今一歩。直感的に感じている先進性をなんとか文章にしてみたかったのだけれど、かなり最後ジタバタしてしまった。
 「触覚」とか言わず、GUI含め単にマン・マシン・インタフェースの先端をリードしてきたALTO-MAC-NEWTON-iPodといったAPPLE DNAの開花がiPhoneの革新である、とまとめた方がしっくりくるかも。
 そう書くとあまりに一般論になりそうなのと、どっか直感が「触覚」が今後の革新のキーワードになるんじゃないかと訴えてくるので、僕は僕のゴーストに従ってこんな表現をしてみました。

 皆さんがiPhoneにいだく先進性について率直な意見がいただけると嬉しいです(^^)。

◆関連リンク
iPhoneに触覚フィードバック技術を採用? - CNET Japan
 既に触覚/視覚フィードバックは採用済。触覚/触覚フィードバック技術について。
 本記事の趣旨から考えると、ズバリロードマップにのっかってます。
携帯電話依存症 触覚の影響については書かれていませんね。
・当Blog記事
 触覚インタフェース「iPod touch」
 触覚インターフェースの進化 Apple iPhoneとNEWTON動画
 レポート 公開講座 シュヴァンクマイエル氏と語ろう触感と想像力 遠隔ニワトリ愛撫システム

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