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2009.04.21

■感想 アラン・ムーア原作/ザック・スナイダー監督『ウォッチメン』


『Watchmen: The Art of the Film』
ピーター・アペロー『WATCHMEN ウォッチメン Official Film Guide』

 ということでコミックに続き、映画を観てきたので続けて感想。

 冒頭のスナップ写真風(実は動画)タイトルバックと特に前半の80年代当時のポップス/ロックの使用が素晴らしい。
 これらと、そして実写になったことによるアメコミではないリアルなアメリカの歴史を感じさせる存在感が、グッと迫ってくる時代性の表現とアメリカという理不尽な存在を浮き彫りにしている。

 これは、コミックよりも映画の方が優れていると言えるのではないか。はさみこまれる歴史のドキュメント映像の存在が大きい。


 ★★★★ ★★★★ ネタばれ注意 ★★★★ ★★★★

 基本は原作コミックを映像にそのまま移し換えていくように映画化されているのだけれど、いくつか原作からずれがある。

 ストーリーの改変で気になったのは、Dr.マンハッタン/ジョン・オスターマンが火星へ行く前に、シルク・スペクター/ローリー・ジュスベクツィンがナイト・オウル/ダン・ドライバーグのもとへ行くところ。
 原作では、Dr.マンハッタンが火星に去り捨てられた形になったローリーがダンに直ぐ乗りかえるような蓮っ葉な女として描かれているが、ここを改変している。
 これはクライマックスでのヒューマニズムの視点を強調するためなのだろう。コミックにないローリーの存在(ひいては人の心の存在)こそが奇跡なのだという部分、映画を感動的に結ぶための方便として、原作のもつ非情な感覚をスポイルしている改悪部分だと思う。

 
 そしてさらに、後半のSFのコアが綺麗に無くなってしまっている。
 コミックにあった火星のオリュンポス山のシーンやクライマックスのセンス・オブ・ワンダーは、どこへいってしまったのだろう。
 昨日の記事で書いたアメコミの荒唐無稽をはらんだあの絵がらで、あのクライマックスが描かれたところが凄味になっていたのが綺麗さっぱりとなくなっている。

 よくある爆発のみで世界の結束を処理してしまったのが大変不満。
 Dr.マンハッタンが仮想敵になったという描写なのだろうけれど、そんなものでなく、異世界から侵略に対抗する、というところがSFの王道だったのに。

 映画的には、異世界の存在を描くシーンは、かなり難易度が高いだろう(ダラボン監督『ミスト』の後では似たイメージになってしまう危険が高い)。

 監督、わかってませんね。ザック・スナイダーは、アラン・ムーアと異なり、SFずきではないのかもしれない。
 スピルバーグだったらこうはならなかっただろうね。

 ここまで原作に忠実に映像化したのに見事にラストのセンス・オブ・ワンダーを表現できていないのが本当に残念。先に述べたシルク・スペクターの蓮っ葉なイメージを改変したヒューマニズムという一般受けする要素をクライマックスに持ってきたかったのが、原因なのかもしれない。

 オスマンディアスの哲学的な描写も綺麗に吹き飛んでいるので、なんだか薄い敵役にしか思えないところもとても残念。

 原作を読み終わって感じたあの奇妙な読後感。
 アメコミのタッチでワイド・スクリーン・バロックを見事に描いていたあの高揚感は映画にはなかった。

 前半のアメリカそのものをリアルなヒーロー像とともに描き出した部分が秀逸だっただけに残念。

◆関連リンク
ウォッチメン - Wikipedia
映画『ウォッチメン』公式ブログ - livedoor Blog(ブログ)
映画『ウォッチメン』オフィシャル・サイト

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コメント

 渡辺英樹さん,青の零号さん、こんにちは。
 お二人の『ウォッチメン』への愛を感じる(^^;)コメント、ありがとうございます。これって、やはり語りたくなるコミックですよねー。

>>まあ、原作のすべてを映画化することは無理だと思っていたので、表面的にストーリイや構図をなぞり、ちまちまとした改変をするにとどまるぐらいなら、もっと思い切った改変をすればよかったのに、という感想です。

 そーなんですよ。
 コミックのコアを移植できてなくて、画面だけを忠実に再現されてもねー。

>>漂流者のエピソード(アメコミの入れ子構造)をばっさり切ったからああなったんだと思いますが、

 重層的に描かれたあのエピソードってやはりキーですね。
 異次元/異星生物が断末魔に放つ「幻覚の奔流」の一部ってことですよね。それを映画のように爆発ってだけに置き換えても、、、、。

>>異星からの侵略を人間が企てるという壮大なペテンにこそ『ウォッチメン』の本質があり、その秘密を知ったコメディアンが嘆く意味もあり、コメディアンが殺される理由もあると思うのですが……。

 原作で「史上最大のジョーク」(P370)と書いてますね。
 ある意味、壮大な馬鹿SFネタで人類が暴力を亡くすって、人類自体が「ジョーク」なんだぜって言ってんですよね。やはり凄味があります。

>>あ、ローリーの改変は、もともと原作に「(視点を変えて見つめ直せば)ローリーの存在は熱力学的奇跡だ」という台詞はあったので(9章の最後)、そんなに気にはなりませんでした。

 それを映画ではクライマックスのネタにして、ハリウッド流泣かせで物語を締めくくろうとして、そのためにローリーがジョンに呆れて家を出た、という前半の改変もしてるんですよね。
 こういうクライマックスの組み立て方に不満が残ったので、、、。

>>『ウォッチメン』の良さは、単にヒューマニズムを排しているところにあるのではなく、ヒューマニズムと非ヒューマニズムを切り替えて見せる視点の鮮やかさにこそあるのではないでしょうか?

 これは深いですね。
 確かにその振幅が物語に厚みを与えてますね。


>青の零号さん

>>短い中で音楽とのコラボやカットワークを絶妙に組み合わせる手際のさえは
>>MTVとCMで鳴らしたスナイダー監督ならではの仕事ぶりでしょう。

 ここは確かに素晴らしいです。
 このままラストも原作を移植できてたら、相当な傑作になったでしょうね。も一回、前半は観てみたい。

>>結局のところザック・スナイダーという人は、いわゆる映像作家どまりであって
>>本物の映画監督ではないのかもしれません。

 町山智浩氏のPodcast アメリカ映画特電『ウォッチメン』でスナイダーにインタビューしたら、自分の政治的スタンスを述べたくないから、コミックまる写しにする、って言ってるらしいですからね。作家というより職人なのかも。

>>Dr.マンハッタンが「私を一人にしてくれ!」と叫んで転移した先が
>>「人間の手がまだ触れない」火星であったりとか、ムーアの場合は
>>想像力の飛躍する方向が尋常じゃないですからね。さすが鬼才。

 柳下毅一郎氏の映画評論家緊張日記: アラン・ムーア、ラファティを剽窃するを読むと、筋がね入りのSFマニアみたいですからね、無意識にラファティを剽窃してしまうって、身にしみこんでるわけですからねー。

>>クライマックスについては、渡辺英樹さんからもご指摘があったとおり
「世界で最も頭のいい男が考えた最高のシナリオが、世界一のブラック・コメディだった」というのが、一番泣けるところでしょう。
>>「この世で最もおぞましい存在を産み出すのは、結局のところ人間の想像力だった」
>>というオチ自体も、ティプトリーJr.的な人類全体への皮肉だと思うのですが・・・。

 ブラック・コメディが人類を救うって、物凄い人類への突っ込みですねー。
 そうそうティプトリー的な凄味。

>>どうやらスナイダー監督はムーアほどのペシミストではないようですね。

 おそらくこのコア部分、スナイダー監督には、大作映画にふさわしくないおふざけ設定に見えたのかも。それともこれだけのひねくれた表現を映画で実現することの難易度に恐れをなしたのか??

 重ね重ね、前半が良かっただけに残念無念。

投稿: BP(渡辺英樹さん,青の零号さんへ) | 2009.04.30 09:05

こんばんわ、青の零号です。
『ウォッチメン』、こちらでも先々週の末に上映終了となりました。

私も原作の大ファンなので、映画版にはいろいろと不満もあるのですが
オープニング映像に限っては見事な手腕を見せていたと思います。
短い中で音楽とのコラボやカットワークを絶妙に組み合わせる手際のさえは
MTVとCMで鳴らしたスナイダー監督ならではの仕事ぶりでしょう。
ただし滑り出しが良すぎたぶん、後半のへたれ感が強くなってしまったのは
皮肉なところなのですが。

それと映像面での再現性に関しては、結構がんばっていたと思います。
でもそれが原作のツボとどこかズレ気味なのが、この監督の力量の限界かなーと。
結局のところザック・スナイダーという人は、いわゆる映像作家どまりであって
本物の映画監督ではないのかもしれません。

>コミックにあった火星のオリュンポス山のシーンやクライマックスの
>センス・オブ・ワンダーは、どこへいってしまったのだろう。
ご指摘の部分については、やっぱりムーアならではの感覚だと思います。
Dr.マンハッタンが「私を一人にしてくれ!」と叫んで転移した先が
「人間の手がまだ触れない」火星であったりとか、ムーアの場合は
想像力の飛躍する方向が尋常じゃないですからね。さすが鬼才。

クライマックスについては、渡辺英樹さんからもご指摘があったとおり
「世界で最も頭のいい男が考えた最高のシナリオが、世界一のブラック・コメディだった」
というのが、一番泣けるところでしょう。
これがあってこそ「コメディアン」が流す涙の意味も、一層深みを増すと思います。
あと原作のカタストロフィ直前で、街の人同士が互いを気遣いあう場面がありましたが
映画ではあそこがまるっきり削られたことで、犠牲者への哀悼感が減ってしまったのも
大きなマイナス点ではないでしょうか。

「この世で最もおぞましい存在を産み出すのは、結局のところ人間の想像力だった」
というオチ自体も、ティプトリーJr.的な人類全体への皮肉だと思うのですが・・・。
どうやらスナイダー監督はムーアほどのペシミストではないようですね。

ラストでの首都連続爆破は、たぶん『博士の異常な愛情』のラストシーンに対する
オマージュと思われますが、私はむしろウルトラセブンの最終回を思い出しました。
あれじゃラムセス二世というよりも、ゴース星人ではないかなーとか(笑)。

投稿: 青の零号 | 2009.04.29 19:30

 映画観てきましたよ。
 先週の金曜日、ギリギリ最後の回で眠気と戦いながら観ました。
 結論は……、BPさんと同じで随分不満の残る出来でした。まあ、原作のすべてを映画化することは無理だと思っていたので、表面的にストーリイや構図をなぞり、ちまちまとした改変をするにとどまるぐらいなら、もっと思い切った改変をすればよかったのに、という感想です。
 特に、クライマックスはいただけませんね。漂流者のエピソード(アメコミの入れ子構造)をばっさり切ったからああなったんだと思いますが、核戦争では人間同士の憎しみはなくならないし、異星からの侵略を人間が企てるという壮大なペテンにこそ『ウォッチメン』の本質があり、その秘密を知ったコメディアンが嘆く意味もあり、コメディアンが殺される理由もあると思うのですが……。

 あ、ローリーの改変は、もともと原作に「(視点を変えて見つめ直せば)ローリーの存在は熱力学的奇跡だ」という台詞はあったので(9章の最後)、そんなに気にはなりませんでした。『ウォッチメン』の良さは、単にヒューマニズムを排しているところにあるのではなく、ヒューマニズムと非ヒューマニズムを切り替えて見せる視点の鮮やかさにこそあるのではないでしょうか?

投稿: 渡辺英樹 | 2009.04.29 10:32

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» 神よ見よ、我が業を。−映画『ウォッチメン』 [Biting Angle]
映画『ウォッチメン』を見てきました。 原作の持つ複雑極まりない構造と多彩な表現法の追求はさすがに無理でしたが 映画という表現ワクの中でとことんまで忠実にコミックのシーンを再現しようとした ザック・スナイダー監督のこだわりは、画面の隅々まで浸透してました。 特に冒頭、血のついたスマイルバッジの下を黒ずんだ血がドロドロと流れる場面は まるでコミックの絵をそのまま動かしたみたいにソックリ。 狙った映像をモノにできて得意満面な監督の姿が、画面の向こうに見えるようです。 というか、スナイダー監督って単純... [続きを読む]

受信: 2009.04.29 19:31

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