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2009.07.01

■感想 池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』

池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』 動画特設サイト

 『進化しすぎた脳』に続く、高校生への脳科学講義第二弾。
 眼から鱗の脳の正体を描いた前書に続き、今回はどんな脳の秘密に触れられるのか。

 この本で西洋近代の「我思うゆえに我あり」という意識尊重主義(?)に対して、科学的な最新の実験結果を示しながら、大きな風穴を開けていることは確か(^^;)。

 前作では、意識の正体について、ぼんやりとその外周を描き出して、そこから先は科学者として、推測になる部分が多くなるため、言葉を止めていた感じがあったのだけれど、今回は自由意志というものがどういうものか、ということをデータで示している部分で、かなり突っ込んだ意識についての認識を示している。これが、西洋近代哲学の根底を覆すような言説になっている凄いところ。

 研究活動の合間にその最前線をレポートすることは、自分の研究活動に支障になるのではないか、こうした仕事は科学ライターにまかせればいいのかもしれない、と池谷氏は書いている。(もしかして別の脳科学者M氏への皮肉?(^^;))
 脳科学がこんなにも人間の自己認識に鋭いメスを入れられる素晴らしい知見を得ていることは、是非これからも一般に知らせてほしい。ここに社会と世界のいろんな課題を解く鍵があるはずで、物凄く重要な仕事になっていると思う。

 では少し詳細な感想。

◆まずはお約束 脳のとらえる現実について

 哲学では「存在とは何ぞや」と、大まじめに考えていますが、大脳生理学的に答えるのであれば、存在とは「存在を感知する脳回路が活動すること」 と、手短に落とし込んでしまってもよいと思います。つまり私は、「事実(fact)」と「真実(truth)」は違うんだということが言いたいのです。
 脳の活動こそが真実、つまり、感覚世界のすべてであって、実際の世界、つまり「真実」については、脳は知り得ない、いや、脳にとっては知る必要さえなくて、「真実なんてどうでもいい」となるわけです。(P34)

 岸田秀の唯幻論や栗本慎一郎の経済人類学/言語学に通じる視点。
 脳の視点からは世界はそのような存在となる、というまずは前説。

◆無意識の脳の活動は、運動を学習する基底核が実行

 サブリミナル効果の実験とその際にMRIでとらえられた脳の活動部位である基底核について述べた箇所。

 テニスラケットのスイングの仕方、ピアノの弾き方、自転車の乗り方、歩き方、コップのつかみ方―(略)基底核は、少なくとも「体」を動かすことに関連したプログラムを保存している脳部位なのです。

 この「身体」に関係した基底核が、どうしても身体ともっとも関係がなさそうな「直感」に絡むんだろう(略)
 つまり方法記憶は無意識なんですね。(P81)

 ここを読んで思ったのは、天才的スポーツ選手が自分の運動能力について語る時の口調。具体的にはイチローが自分のその能力をまるで他人事のように、こうなっているのではないか、と語っているのをテレビで観たことがある。
 スポーツマンの運動を制御するのは脳である(これが基底核)。だけれどもそれを意識でとらえることは本人にも難しい。そうした時の自分のことであるが、自分でもどう脳が働いているかよくわからない、というスタンスの発言になる。そのメカニズムは下記のように描かれる。

◆脳活動と認知レベルの順番と差異

認知レベルと脳活動レベルの関係
 認知レベル ①動かそう ②動いた
 脳活動レベル ③準備 ④指令
実験結果 ③準備→①動かそう→②動いた→④指令 (P251)

 「自由は、行動よりも前に存在するものではなくて、行動の結果もたらされるもの」
 自由意志は「動かすのを中止することしかできない(P258)」という概念が実験的に確認されているという事象は重要。

 これは先に述べたスポーツだけでなく、おそらく人間のいろんな活動の全てに、そうした事象が発生している。
 脳の働きに対して意識のとらえられる幅は恐らく小さい。そして意識は、後追いで認識し、まるでその脳活動のスポークスマンとして存在するって感じ。
 (これは漫画家の発言にも共通する。参照 浦沢直樹が語る「半眼」)

◆そして意識が発生したメカニズム

 おそらく進化の過程で、動物たちは他者の存在を意識できるようになった。そして次のステップでは、その他者の仕草や表情を観察することに寄って、その行動の根拠や理由を推測することができるようになった。他者の心の理解、これが社会行動の種になっている。
 しかし逆に、この他者モニタシステムを、「自分」に対して使えば、今度は、自分の仕草や表情を観察出来るよね。(略)
 僕は、こうした他者から自己へという観察の投影先の転換があって、はじめて自分に「心」があることに自分で気づくようになったのではないかと想像している。(P180)

 他者との関係性から意識が発生したというような記述。自己認識が先にあって、他者とコミュニケートしたという順番でなく、他者がまずあって、そこから派生的に自己が表出したと読める。
 しかし本書では、これ以上は突っ込んで書いていない。高校生と、自由意志の介入する部分の狭さを怖い事象だ、というような会話をしているが、ここらも、意識尊重主義の亡霊にとらわれているように見える。

 本当は一歩突っ込んで、意識は自分の主人ではなく、脳の無意識の活動が実は自分の本来の主人である。意識は他者との関係性から、その活動を客観視して他者に伝える必要性から発生してきた。とか、大雑把な僕は、そんな風にとらえてもいいのではないか、と本書を読みながら考えていた。

 これって、西洋近代の否定の根本的な否定ですよねー。
 言語論とも通じるし、脳科学のデータや知見が、哲学の領域のポストモダンを証明しつつある、ダイナミックな動きに見えるのは僕だけだろうか。

 そしてさらに本書は生命のシンプルなゆらぎを利用した構造について述べている。この知見が生み出すものの可能性って、もしかしたら社会学とかの分野と、それから工学の分野で大きな広がりがあるのではないだろうか。池谷氏の研究については、今後も注目したい。

 生命らしい特徴が垣間見えるときは、システムの素子が相応しい構造を持った回路でつながっているというのが前提にある。構造さえしっかりしていれば、後は簡単なルールを繰り返せば、自然と生命現象が創発される。(P368)

◆補足 究極映像研的に視覚についてのメモ

・眼の網膜は効率の悪い進化の失敗作(P232)
 何層もの薄い膜構造の一番奥にあり光の透過の効率が悪い。

・最新の報告で、網膜を通さず大脳皮質に光を感受するチャンネルを作成することに、ネズミで成功(P240)。大脳皮質がダイレクトに受け取る映像って、どんな映像なのだろうか。

・未来を見る実験。脳による遅れ補正 右手と左手の感覚入力も学習補正されている(P290)。

◆関連リンク
・脳のすみずみについて電子顕微鏡写真で明確にするプロジェクト
 コネクトーム - Wikipedia.

コ ネクトーム(connectome)とは、生物の神経系内の各要素(ニューロン、ニューロン群、領野など)の間の詳細な接続状態を表した地図、つまり神経 回路の地図のこと。つながる、接続するといった意味を持つ英語のコネクト(connect)という言葉と、「全体」を表す-オーム(-ome)という接尾 語から作られた言葉。

意識 - Wikipedia.

ルネ・デカルトは仏: Je pense,donc je suis(我思う、ゆえに我あり メルセンヌ神父によるラテン語訳羅: Cogito ergo sum)などの方法論的懐疑により、後世に主観的でありしかもなお明証性をもつ羅: Cogitoと表現される認識論的存在論を展開した。デカルトは世界を「思惟」と「延長」から把握し、思惟の能動性としての認識と受動性としての情念をそれぞれ主題化した。

前野隆司 - Wikipedia.

意識に関する仮説「受動意識仮説」を見出す。これをより詳細な理論へと昇華すべく現在も鋭意研究を続けている。

ヒトとロボットの心の研究 「意識」は受動的だろうか?.

『人の「意識」とは,心の中心にあってすべてをコントロールしているものではなくて,人の心の「無意識」の部分がやったことを,錯覚のように,あとで把握する ための装置に過ぎない。自分で決断したと思っていた充実した意思決定も,自然の美しさや幸せを実感するかけがえのない「意識」の働きも,みんなあとで感じ ている錯覚に過ぎない。そしてその目的は,エピソードを記憶するためである。』

 意識を受動的なものだとする説を調べていたら、この工学者の方の説が見つかった。
 ここでは、エピソード記憶のために意識が生まれた、というところに違和感。コミュニケーションのためとか言語表現のためと解釈した方がいろいと説明しやすいと思うのだけれど、、、。

当Blog記事
 『進化しすぎた脳』レビュウ

 視覚の不思議と、脳とアニメーション原画の関係について。池谷氏の記述から勝手に映像論を展開してみました。
 『進化しすぎた脳』 感想
   無意識の脳活動と芸術家の「半眼」

  これと上記の意識より前に脳は行動を開始しているという部分をあわせて読むと、「半眼」の正体が見えてくる。ここまで書いたら言わずもがなだけれど、豊か な描線を無意識の脳活動が描こうとしていて、それを邪魔してしまうのが、この時、後追いで生成された「描こう」と自分では思っている」クオリアとそれによ り無意識の活動に介入する意識なのだろう。  それを意識をぼんやりさせて「半眼」で動き出した脳活動にまかせる、というのが、池谷的に表現した浦沢の描線の豊かさの秘密なのかもしれない。

 意識を持ったロボット

「意識」と呼ばれている脳活動(ニューロンの発火?)は、その上位構造が下部の情報(クオリアも含まれる)を「みつめる」時に発生しているのではないか。 その脳活動が「意識」。自分の脳内の活動を、統合した形で「上」から眺めるパースペクティブが「意識」なのかもしれない。

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コメント

 hawkさん、面白そうな本の情報、ありがとうございます。

>>人間の意識にご興味がおありでしたら
>>「ユーザー・イリュージョン」という本をオススメします。

 Amazonで何人かの方のレビュウを、今、見てみました。僕の関心領域にズバリかも、って思いました。

>>そして是非、感想を書いていただきたい。
>>僕のためにも(笑)
>>かなりの大著ですが・・・

 値段も張りますが、面白そうなので、購入検討します。図書館にあれば、それでいいのですが、、、(^^;)。

 大著とのことで、ずいぶん先になるかもしれませんが、首を長くして御待ちいただければ、幸いです。来年になったら、ごめんなさい(^^;;)。


投稿: BP(hawkさんへ) | 2010.04.13 00:29

初めまして。

人間の意識にご興味がおありでしたら
「ユーザー・イリュージョン」という本をオススメ
します。

そして是非、感想を書いていただきたい。
僕のためにも(笑)
かなりの大著ですが・・・


投稿: hawk | 2010.04.12 13:15

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