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2009年6月28日 - 2009年7月4日

2009.07.01

■感想 池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』

池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』 動画特設サイト

 『進化しすぎた脳』に続く、高校生への脳科学講義第二弾。
 眼から鱗の脳の正体を描いた前書に続き、今回はどんな脳の秘密に触れられるのか。

 この本で西洋近代の「我思うゆえに我あり」という意識尊重主義(?)に対して、科学的な最新の実験結果を示しながら、大きな風穴を開けていることは確か(^^;)。

 前作では、意識の正体について、ぼんやりとその外周を描き出して、そこから先は科学者として、推測になる部分が多くなるため、言葉を止めていた感じがあったのだけれど、今回は自由意志というものがどういうものか、ということをデータで示している部分で、かなり突っ込んだ意識についての認識を示している。これが、西洋近代哲学の根底を覆すような言説になっている凄いところ。

 研究活動の合間にその最前線をレポートすることは、自分の研究活動に支障になるのではないか、こうした仕事は科学ライターにまかせればいいのかもしれない、と池谷氏は書いている。(もしかして別の脳科学者M氏への皮肉?(^^;))
 脳科学がこんなにも人間の自己認識に鋭いメスを入れられる素晴らしい知見を得ていることは、是非これからも一般に知らせてほしい。ここに社会と世界のいろんな課題を解く鍵があるはずで、物凄く重要な仕事になっていると思う。

 では少し詳細な感想。

◆まずはお約束 脳のとらえる現実について

 哲学では「存在とは何ぞや」と、大まじめに考えていますが、大脳生理学的に答えるのであれば、存在とは「存在を感知する脳回路が活動すること」 と、手短に落とし込んでしまってもよいと思います。つまり私は、「事実(fact)」と「真実(truth)」は違うんだということが言いたいのです。
 脳の活動こそが真実、つまり、感覚世界のすべてであって、実際の世界、つまり「真実」については、脳は知り得ない、いや、脳にとっては知る必要さえなくて、「真実なんてどうでもいい」となるわけです。(P34)

 岸田秀の唯幻論や栗本慎一郎の経済人類学/言語学に通じる視点。
 脳の視点からは世界はそのような存在となる、というまずは前説。

◆無意識の脳の活動は、運動を学習する基底核が実行

 サブリミナル効果の実験とその際にMRIでとらえられた脳の活動部位である基底核について述べた箇所。

 テニスラケットのスイングの仕方、ピアノの弾き方、自転車の乗り方、歩き方、コップのつかみ方―(略)基底核は、少なくとも「体」を動かすことに関連したプログラムを保存している脳部位なのです。

 この「身体」に関係した基底核が、どうしても身体ともっとも関係がなさそうな「直感」に絡むんだろう(略)
 つまり方法記憶は無意識なんですね。(P81)

 ここを読んで思ったのは、天才的スポーツ選手が自分の運動能力について語る時の口調。具体的にはイチローが自分のその能力をまるで他人事のように、こうなっているのではないか、と語っているのをテレビで観たことがある。
 スポーツマンの運動を制御するのは脳である(これが基底核)。だけれどもそれを意識でとらえることは本人にも難しい。そうした時の自分のことであるが、自分でもどう脳が働いているかよくわからない、というスタンスの発言になる。そのメカニズムは下記のように描かれる。

◆脳活動と認知レベルの順番と差異

認知レベルと脳活動レベルの関係
 認知レベル ①動かそう ②動いた
 脳活動レベル ③準備 ④指令
実験結果 ③準備→①動かそう→②動いた→④指令 (P251)

 「自由は、行動よりも前に存在するものではなくて、行動の結果もたらされるもの」
 自由意志は「動かすのを中止することしかできない(P258)」という概念が実験的に確認されているという事象は重要。

 これは先に述べたスポーツだけでなく、おそらく人間のいろんな活動の全てに、そうした事象が発生している。
 脳の働きに対して意識のとらえられる幅は恐らく小さい。そして意識は、後追いで認識し、まるでその脳活動のスポークスマンとして存在するって感じ。
 (これは漫画家の発言にも共通する。参照 浦沢直樹が語る「半眼」)

◆そして意識が発生したメカニズム

 おそらく進化の過程で、動物たちは他者の存在を意識できるようになった。そして次のステップでは、その他者の仕草や表情を観察することに寄って、その行動の根拠や理由を推測することができるようになった。他者の心の理解、これが社会行動の種になっている。
 しかし逆に、この他者モニタシステムを、「自分」に対して使えば、今度は、自分の仕草や表情を観察出来るよね。(略)
 僕は、こうした他者から自己へという観察の投影先の転換があって、はじめて自分に「心」があることに自分で気づくようになったのではないかと想像している。(P180)

 他者との関係性から意識が発生したというような記述。自己認識が先にあって、他者とコミュニケートしたという順番でなく、他者がまずあって、そこから派生的に自己が表出したと読める。
 しかし本書では、これ以上は突っ込んで書いていない。高校生と、自由意志の介入する部分の狭さを怖い事象だ、というような会話をしているが、ここらも、意識尊重主義の亡霊にとらわれているように見える。

 本当は一歩突っ込んで、意識は自分の主人ではなく、脳の無意識の活動が実は自分の本来の主人である。意識は他者との関係性から、その活動を客観視して他者に伝える必要性から発生してきた。とか、大雑把な僕は、そんな風にとらえてもいいのではないか、と本書を読みながら考えていた。

 これって、西洋近代の否定の根本的な否定ですよねー。
 言語論とも通じるし、脳科学のデータや知見が、哲学の領域のポストモダンを証明しつつある、ダイナミックな動きに見えるのは僕だけだろうか。

 そしてさらに本書は生命のシンプルなゆらぎを利用した構造について述べている。この知見が生み出すものの可能性って、もしかしたら社会学とかの分野と、それから工学の分野で大きな広がりがあるのではないだろうか。池谷氏の研究については、今後も注目したい。

 生命らしい特徴が垣間見えるときは、システムの素子が相応しい構造を持った回路でつながっているというのが前提にある。構造さえしっかりしていれば、後は簡単なルールを繰り返せば、自然と生命現象が創発される。(P368)

◆補足 究極映像研的に視覚についてのメモ

・眼の網膜は効率の悪い進化の失敗作(P232)
 何層もの薄い膜構造の一番奥にあり光の透過の効率が悪い。

・最新の報告で、網膜を通さず大脳皮質に光を感受するチャンネルを作成することに、ネズミで成功(P240)。大脳皮質がダイレクトに受け取る映像って、どんな映像なのだろうか。

・未来を見る実験。脳による遅れ補正 右手と左手の感覚入力も学習補正されている(P290)。

◆関連リンク
・脳のすみずみについて電子顕微鏡写真で明確にするプロジェクト
 コネクトーム - Wikipedia.

コ ネクトーム(connectome)とは、生物の神経系内の各要素(ニューロン、ニューロン群、領野など)の間の詳細な接続状態を表した地図、つまり神経 回路の地図のこと。つながる、接続するといった意味を持つ英語のコネクト(connect)という言葉と、「全体」を表す-オーム(-ome)という接尾 語から作られた言葉。

意識 - Wikipedia.

ルネ・デカルトは仏: Je pense,donc je suis(我思う、ゆえに我あり メルセンヌ神父によるラテン語訳羅: Cogito ergo sum)などの方法論的懐疑により、後世に主観的でありしかもなお明証性をもつ羅: Cogitoと表現される認識論的存在論を展開した。デカルトは世界を「思惟」と「延長」から把握し、思惟の能動性としての認識と受動性としての情念をそれぞれ主題化した。

前野隆司 - Wikipedia.

意識に関する仮説「受動意識仮説」を見出す。これをより詳細な理論へと昇華すべく現在も鋭意研究を続けている。

ヒトとロボットの心の研究 「意識」は受動的だろうか?.

『人の「意識」とは,心の中心にあってすべてをコントロールしているものではなくて,人の心の「無意識」の部分がやったことを,錯覚のように,あとで把握する ための装置に過ぎない。自分で決断したと思っていた充実した意思決定も,自然の美しさや幸せを実感するかけがえのない「意識」の働きも,みんなあとで感じ ている錯覚に過ぎない。そしてその目的は,エピソードを記憶するためである。』

 意識を受動的なものだとする説を調べていたら、この工学者の方の説が見つかった。
 ここでは、エピソード記憶のために意識が生まれた、というところに違和感。コミュニケーションのためとか言語表現のためと解釈した方がいろいと説明しやすいと思うのだけれど、、、。

当Blog記事
 『進化しすぎた脳』レビュウ

 視覚の不思議と、脳とアニメーション原画の関係について。池谷氏の記述から勝手に映像論を展開してみました。
 『進化しすぎた脳』 感想
   無意識の脳活動と芸術家の「半眼」

  これと上記の意識より前に脳は行動を開始しているという部分をあわせて読むと、「半眼」の正体が見えてくる。ここまで書いたら言わずもがなだけれど、豊か な描線を無意識の脳活動が描こうとしていて、それを邪魔してしまうのが、この時、後追いで生成された「描こう」と自分では思っている」クオリアとそれによ り無意識の活動に介入する意識なのだろう。  それを意識をぼんやりさせて「半眼」で動き出した脳活動にまかせる、というのが、池谷的に表現した浦沢の描線の豊かさの秘密なのかもしれない。

 意識を持ったロボット

「意識」と呼ばれている脳活動(ニューロンの発火?)は、その上位構造が下部の情報(クオリアも含まれる)を「みつめる」時に発生しているのではないか。 その脳活動が「意識」。自分の脳内の活動を、統合した形で「上」から眺めるパースペクティブが「意識」なのかもしれない。

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2009.06.30

■イゴール・コヴァリョフ監督「妻は雌鳥:Hen, His Wife」
  (Igor Kovalyov's Его жена курица)

Hen_his_wife

YouTube - Russian animation: His wife is a hen (Его жена курица) 1/2
YouTube - Russian animation: His wife is a hen (Его жена курица) 2/2.
(あまりとなえさんのちゃいるどふーず・ねばー・えんど | 妻は雌鳥、視聴できます経由)

Igor Kovalyov(公式HP)

Hen, His Wife Year: 1989
Production: Moscow Studio Pilot
Ottawa Intl, Animated Film Festival 1990 Grand Prize and Best Film in category B

Ottawa International Animation Festival 1990 Edition.

Award Winners Grand Prix: Hen, His Wife, Igor Kovalyov, USSR

 これは異様な迫力と幻想性を持った傑作。で、最高に気持ちが悪い(褒め言葉(^^))。
 この手の映像が嫌いな方は、絶対に観てはいけません。

 絵の不可思議さと気持ち悪さに加え、物が落ちる音とか妻の体の表面の斑点とか、不安を増幅する装置になっている。特に僕はあの黒い服の男が仮面を脱いでテーブルを踏みつけていくところが、何故かぞっとする。
 どこか雰囲気は、デヴィッド・リンチDavid Lynch - Dumb Landに通じる。ロシアアニメーション、恐るべし。

◆関連リンク
アニメ産業とビジネスの情報.

「日本アニメーション学会 理論・歴史研究部会主催 公開研究会」
日時: 2009年3月14日(土) 14時~17時
【プログラム】 1)上映と解説   土居伸彰(東京大学大学院)
「越境するアニメーション——ソユズムリトフィルムを中心に」
 『霧の中のハリネズミ』(1975) 監督:ユーリー・ノルシュテイン
 『妻は雌鳥』(1989) 監督:イーゴリ・コワリョーフ
 『I Feel a Lifelong Bullet in the Back of My Head』(2007)
    監督:プリート・パルン、オリガ・マルチェンコ
   (オムニバス・アニメーション『Black Ceiling』(2007)から)

Animations-Criticism.に特集記事。素晴らしい!
 クリス・ロビンソン「イゴール・コヴァリョフであること」

イゴール・コヴァリョフ(イーゴリ・コワーリョフ)の主な作品 1989 Его жена курица(Hen, His Wife) 1991 Андрей Свислоцкий(『アンドレイ・スヴィスローツキー』Andrei Svislotsky) 1994 Aaahh!! Real Monsters(『ぎゃあ!!!リアル・モンスターズ』、テレビ・シリーズ) 1996 Bird in the Window 1998 The Rugrats(『ラグラッツ・ムービー』) 2000 Flying Nansen(『フライング・ナンセン』) 2002 The Way the Dead Love(インターネット・シリーズ)    http://www.globaltantrum.com/bukowski.html 2005 Milch

 ラグラッツムービーもこの人なんですね。
Global Tantrum : igor kovalyov.
 4作品が見える(はずですが、うまくQuick Timeが動かない)
ちゃいるどふーず・ねばー・えんど | 妻は雌鳥・視聴できません

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2009.06.29

■ネタばれ感想 庵野秀明総監督 摩砂雪;鶴巻和哉監督
 『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破  YOU CAN(NOT) ADVANCE.』

Eva_ha_trailer

 ★★★★★★ ネタばれ注意 ★★★★★★★

 今回は全開レビュウで行きますので、未見の方は絶対に読まないでください。

 ※続きは以下。

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 『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破  YOU CAN(NOT) ADVANCE.』"

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2009.06.28

■感想 庵野秀明総監督 摩砂雪, 鶴巻和哉監督
 『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破 EVANGELION:2.0』

Photo <まずは徹底した秘密主義をとった本作公開までの制作陣の想いに従い、ネタばれなしのレビュウ>

※ネットでの情報をシャットアウトして、まず劇場へ走ることをお薦めします。進化したヱヴァの最高のセンス・オブ・ワンダーが観られます。

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 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版: 破  EVANGELION:2.0』を初日のレイトショーで観てきた。館内は20代~30代の若者で満員。僕らの世代は少ない。

 で、まず結論。
 とにかくこの映画、日本アニメの最先端、というか奇想映像の世界最北端に位置する素晴らしい完成度。

 演劇の世界では、何年か間をおいてシナリオと演出を演出家自らがアップデートし再演する、という姿は一般的である。
 一方、映画でのリメイクは、基本、別の監督による再映画化の形がほとんど。脚本と演出と哲学を深化し進化させるという演劇のそれと比べると、パワーダウンするのは否めない。

 この『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズは、オリジナルの作家たちが自らの最初のコンセプトを現在の進歩したテクノロジーとスキルで、まさに深化/進化させた超アップグレード作品である。技術はもちろん、前作からのビジネスの拡大(特にパチンコ)により資金も潤沢。庵野監督自らのスタジオ カラーによる自主制作と、クロックワークスという小回りの効く配給会社による公開の時間的制約の少なさ。
 これほど環境の整ったリメイクは稀有だろう。
 そして作品も稀有な超リビルド作品として、凄い完成度を達成している。

 進化したのはオリジナルのコンセプト。
 つまり『ウルトラマン』『ガンダム』のフォーマットで、『イデオン』『2001年宇宙の旅』の哲学を超え、さらには『幼年期の終わり』や『ブラッド・ミュージック』、『デビルマン』といった進化SFの傑作群を抜きさる、という庵野秀明監督の野望の具現化。
 あの映画版エヴァ『THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』、SFとしての到達点をオタク批判で締めくくるという壮大な楽屋オチは賛否両論あるのだけれど、僕は映画作品としてのSFのベスト10に入る傑作と思っている。まだラストまでいっていないが、それの深化を見せられる可能性大。中盤でこの完成度である、この後の二本、制作陣のモチベーションがハイテンションで維持されたら、どこまでの奇想世界に我々は連れて行かれるのか、既に想像の範囲を超えているかもしれない。(ってちょっと大げさですね(^^;))

 ただしこれは言える。
 当分、ハリウッド映画はこの映画のスペクタクルを抜くことはできないだろう。ここまで複合的統合的に集積化した映像アクションは、とても商業主義でシナリオ が均一化しているハリウッド映画では無理だろう。
 加えて、この映画の繊細な表現をとらえることのできるハリウッド映画人っていったいどの程度いるのだろう か。
 たぶんデヴィッド・リンチやテリー・ギリアムクラスは大丈夫だろう。だけれども既にティム・バートンやスピルバーグクラスでは難しいのではないか。タランティーノでも無理かも。

 とにかくSF/アニメ/奇想映画の世界最北端である。

 繰り返して書くが、今すぐ情報をシャットアウトして、大画面でこの映像を堪能するために映画館へ走ることをお薦めする。(注. 最低限『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序』だけは事前に観ておくこと) 僕もあともう一回は劇場へ行くと思う。

◆関連リンク
端材で創る エヴァンゲリオンを創る19
 ステンレススティールでヱヴァンゲリヲン零号機を作る。
鷺巣詩郎『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 オリジナルサウンドトラック SPECIAL EDITION』
 09.7/8発売
高橋洋子, 及川眠子, Bart Howard, 大森俊之, 森大輔『残酷な天使のテーゼ 2009 VERSION』 さわりを聴けます。

1. 残酷な天使のテーゼ (2009VERSION)
2. FLY ME TO THE MOON (2009VERSION)
3. One Little Wish

庵野秀明;摩砂雪;鶴巻和哉『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 (EVANGELION:1.11) [Blu-ray]』

当Blog記事
 詳しくは書けないけれど、以前書いた下記の新劇場版への期待は満たされています。
庵野秀明総監督 『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序
 EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE』

  旧版は制作陣、特に監督のもろもろの切羽詰った心情がストレートに14歳の主人公に投影されたとかで、10歩進んで20歩下がるような悩みまくりの観たく もない屈折ムービーだった(世間ではそうした部分が受けていたようだけど、僕はそこの部分、評価できない。映画版のラストのアレを描くために必要だったと いう理解もできなくはないけど、、、)。  そこをエンタテインメントとして、今回は成長物語にしてくれたら、(エヴァでなくなる部分は確かにあるけど)、僕は期待したい。

脱線して『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』四部作について

 僕はうじゃうじゃしたシンジの世界系描写なんて馬鹿馬鹿しくてどうでもよく、19話「男の戦い」から先、なんで初号機他の暴走がエスカレートしていった大センス・オブ・ワンダーなSF新生物ストーリーが観れないのかと不満に思っていた。なので、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』四部作は、そんなワクワクする映画になるのなら、観てみてもいいかな、と思っている。

アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』CHILDHOOD's END
 人類の未来 映像の未来

 『幼年期』のクライマックスで現出する無表情な無数の子供たちの異様な姿。このシーンは明らかに映画版『新世紀エヴァンゲリオン』に影響している。
 そして『THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』は、たぶん『2001年宇宙の旅』を超えて、今のところ『幼年期の終わり』の不気味な進化に最も近いイメージを映像化した作品といえるだろう。たぶんリビルド『ヱヴァンゲリヲン』の最終話が作られるまでは。

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