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2009年8月16日 - 2009年8月22日

2009.08.21

■Aida on the floating stage on Lake Constance in Bregenz

Aida_on_the_floating_stage
Aida on the floating stage on Lake Constance in Bregenz as seen in Quantum of Solace - Telegraph(Tumblrより)

 海辺の浮きステージで開催されるオペラの写真。
 他にもリンク先には各種巨大造形物のステージが掲載されている。

 舞台の人の大きさから推定すると、このガイコツは15mくらいの巨大さではないだろうか。
 このダイナミックな舞台、そしてこの海のオープンスカイで、どんなオペラが繰り広げられているか、興味津々。これは一度観てみたいものです。

 
 巨大な足のシーンのビデオ。雰囲気を一部味わうことができます。

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2009.08.20

■Panasonic フルハイビジョン プラズマ3Dシアター

Panasonic_prasuma_3d FULL HD 3D Special Site | Panasonic

 プラズマディスプレイによる3D映像の紹介サイト。

 既にNEWSとしては古いのですが、僕はサイトで初見だったので紹介します。

 これはフルハイビジョン映像をプラズマディスプレイに120コマ/秒で映し出して、液晶シャッターメガネで交互に60コマ/秒 右目/左目へ交互に伝達。かなりの高画質を実現できているようです。
 
 アメリカ中心に、映画館で立体映画が広がっているので、いよいよ家庭にも、、、ということですね。

 記録はブルーレイディスク。プラズマディスプレイに、液晶シャッターメガネをコントロールできるプレイヤーを組み合せれば実現できるということで、かなり早い時期に投入されることになるかも。

 ジェームス・キャメロン渾身の立体映画大作『アバター』が年末に公開されて大ヒットしたら、そのブルーレイディスクの発売に合わせて、家庭用機器として本システムを市場投入というシナリオではないかなー。

 としたらここ1,2年でのデビューになるわけで、資金的に変える目途は全くないけれど(^^;)、それに備えて薄型テレビ購入は控えなきゃ。

 あと家庭用としてメガネの装着を強要するのは否定意見もあるようだけれど、僕は雰囲気作りとしても絵の高精細度にしても液晶シャッター方式は大賛成。

◆関連リンク
西田宗千佳のRandomTracking(AVWatch)
 SONY技術陣へのインタビュー掲載

 確かに、ちゃんと作った 4K2Kのコンテンツは、鳥肌が立ちます。ですがポストHDの姿として、4K2Kというのと、3Dというのとでは、得られる臨場感の違いと、技術的なハードルの高さを考えた場合、コンテンツのアベラビリティを考えた場合、どちらがいいか、といったら「まずはこちらの方が良さそうだね、こちらが先決なんじゃない?」という発想です。

 特に、「BOLT」の映像を見ている時、ちょっと面白いことに気がついた。3D映像が立体に見える理由は、右目と左目の映像の「視差」にある。だから、メガネを外して映像を見ると、映像は左右にぶれたような感じになる。このぶれが、画面の「上部」と「下部」で違ったり、同じシーンなのに細かく変化したりしていたのだ。

 通常この「視差によるぶれ」は、画面全体・シーン全体で一様である。例えば、視差が画面の上下で違うということは「画面の上と下でピントがあっている場所が違ったり、立体感が異なっていたりする」ということであり、普通にはあり得ない状況だ。

 だがBOLTでは、同じシーンの中で、同じフレームの中で視差を細かく調整している。狙いは「どこがどのくらい立体的に見えるか」を調整し、視線を誘導するためだろう。

 後半に述べられている3D映画での映像制作のノウハウは、なかなか興味深い。
 3D映画って、結局冒頭数分は驚異の映像にワクワクするけれど、たいがいその後、慣れてしまって全編でのエキサイティングな体験になかなかならない。裏返せば、脳内映像補正で2D映画でもかなり立体感を体感していることが、この差異の小ささの原因になっているような気がする。

 といった時に、こうした撮り方による3D独特の驚異の映像へのアプローチって、なんかあるのだろうね。やはりキャメロンの実験が楽しみ。

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2009.08.19

■感想 諸星大二郎原作 早川渉監督『壁男』

諸星大二郎原作 早川渉監督『壁男』

 諸星大二郎原作、早川渉監督・脚本のこの映画をDVDで観た。

 なかなかシュールな一品。in outの中間に位置する壁の存在を追求していくくだりでシュールレアリスムに触れる等、なかなか観せる。

 但しそれが諸星大二郎のタッチになっているかというと、ちょっと雰囲気は違って、たぶんこれは監督の個性なのだろう。

 原作ははるか昔に読んで、ほとんど記憶に残っていないのだけれど、諸星ならばもっと土俗的に描かれるのが、近代的な映像描写でやはりあの漫画のタッチとは異なる。

Mudmen  諸星を実写で完全映画化するとしたら、どんな手段があるのだろうか。
 これはかなり難問で、きっとどんな監督も頭を抱えてしまうのではないだろうか。

 というわけで、この映画のような諸星の雰囲気を映画で出そうとせず、原作として割りきって映画は映画としてのアプローチで行くというのが正解かもしれない。

 でも観たいですよね、諸星を完全再現した実写映画。
 『オンゴロの仮面』とか観たいなー。

◆関連リンク
諸星大二郎 - Wikipedia

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2009.08.18

■解読 神林長平『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』

Photo

『アンブロークンアロー―戦闘妖精・雪風』(ハヤカワ・オンライン)

(昨日の感想から、以下続く)

★★★ネタばれ注意★★★
(内容が思弁的なだけにこの程度の記述じゃ、本当のネタばれにはならないけれど為念)

◆エビグラフ と 人称

 すべては変わりゆく
 だが恐れるな、友よ
 何も失われていない

 このエビグラフは、まさに本書を体現している言葉である。
 つまり小説の人称を自在に混在させ、一人称の部分が全体のほとんどを占めるのに、その一人称自体がいろいろな登場人物視点にスライドしていく。読者はこれにより結構な眩暈を覚えることになる。
 本書のテーマの一つである人それぞれで現実が違う=不確定性という概念の文体化。
 まさに視点によって「すべては変わりゆく」。しかしどこかで表現される「失われていない」「リアル」。
 これは神林の作品で今までも何度も語られているモチーフであるが、今回以下の観点を持ち込むことで、さらに破たん寸前だけれど、ギリギリ戦端を広げることになっている。

◆無意識の思考 と 擬似的な思考システムである言語

 文章を書いたり言葉で思考するというのは、その本来は意識できない思考の流れを擬似的に再現しようとしているに過ぎないのであって、言葉による思考は本物の思考ではない。われわれの思考というのは無意識になされているのであり、意識するのは、生きている限り寝ても覚めても休むことなく無意識になされている膨大な思考計算の、そのほんの一部の結果にすぎない。われわれが意識するのは、瞬間瞬間のそうした「結果」「結果」「結果」の羅列なのであって思考そのものではない。
 それでもヒトであるわれわれには、無意識の思考の流れをあたかも意識的に追跡しているかのように感じられるが、それは、擬似的な思考システムを持っているためだ。それが、すなわち言語能力というものだ。(リン・ジャクソンに宛てたアンセル・ロンバート大佐の手紙より P23)

「無意識の思考や意思というのは<自分>ではない(略)」
「では<自己>はどこに発生するんだね」
「だから、言語上に、ですよ(略)。脳なんかなくても言葉さえ存在すればそこに自己が発生する。」
「いまきみが言ったことは、おそらくジャムの人間観を表している。ジャムは、人間とはそういうものだととらえているに違いない。」(ロンバート大佐 桂城少尉 P118)

 ジャムが、われわれの、おそらくは言語感覚を操作することによって、ある種の錯覚世界を生じさせているんだ。(桂城少尉 P136)

 記憶が虚構ならば、それをもとにして構成される自意識というのは仮想、すなわち本心とは異なる、仮の想いだ。普段のわれわれは、そうした仮想の自分といういわば代理人(エージェント)でもって世界を認識し、他者との意思交換を行っているのだ。(ロンバート大佐 P150)

 長文の引用になってすみません。
 P23から既にスロットル全開、冒頭でのこのテーマ提示にはびっくりした。先に書いた村上春樹『1Q84』の感想に直結していたから(全くの我田引水で申し訳ない(^^;))。

 この部分、池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』で述べられている脳科学の実験データで検証されつつある自由意志の仮想性というテーマと、ダイレクトにつながる。
 そうしたデータの引用は本書にはないので、あくまでも言語テーマを追求してきたこの作家による空想の結果として、ここに記述されているのだろうけれど、、、。

 そうした脳科学の知見に、神林がデビューからこだわり続けているテーマである「言語」に関する観点を導入すると、上の引用のとおりの認識が生まれるのではないか。

 そしてそれを、ジャムという異種知性体の攻撃概念に外挿したストーリー展開。
 ここが本書を「異種知性体 戦闘哲学SF」と呼びたくなる根拠である。

◆人間に自由意志はない

 今までの神林作品でも、自由意志の不安は常に描かれてきたが、それは「言語」による自由意志の拘束性、というテーマだった(と僕は記憶している)。

 本書が神林のそのコアテーマの戦端を広げたと思えるのは、引用部分にあるように、「無意識の思考の流れをあたかも意識的に追跡しているシステム」として「言語」を規定した点である。今までの作品では「言語」が人間の限界を規定している原因だったのが、さらにその根本原因に言及したのではないか、というのが戦端の拡大。

 <自由意志は言語があるから拘束されている>という今までの概念を否定し、<もともと自由意志はない。自由意志は、瞬間瞬間の無意識の「結果」を仮想している言語が作り出している>という認識へ転換しているのだ。(ありゃありゃ、こんがらがった表記でわかりにくくてすみません。)
 つまり、今回新しいのは<もともと自由意志はない>と意識を否定しているところだ。

◆では無意識は、本当に自由意志ではないのか

でも、おれは、そうは思わない。自意識というのは、筋肉と同じレベルで実存しているとおれは感じる。そんなものは自意識ではないと大佐はいいそうだが、では別の言葉にすればいい、自意識ではなく自我意識とか。そういう意識は、筋肉が身体を動かすように無意識の本心そのものをドライブすることができる、と思う(深井零 P157)

 さすが主人公深井零(^^;)。
 ここで語られるのは、前項で書いた<もともと自由意志はない>という概念への疑問と、さらに新しい概念の提示である(弁証法での正反合の「合」ですね(^^;)) 。
 (自由意志と自意識を同義と捉えていいのかという問題はありますが、、、)。

 筋肉に例えた零の表現はいかにも戦闘機乗りの視点である。言語に頼らず戦場を生き抜いている零に言わせたことが本書のひとつの肝である。
 無意識の意志決定を、自由意志とも自意識とも呼べない新しい概念として述べたいため、神林はここでは「自我意識」という用語を用いている。この言葉が的確な用語であるかどうかは大変微妙であるが、ここで筋肉の動きに例えていることから、神林が述べたいのはイメージできる。

 僕の解釈はこうだ。神林ははっきりと書いていないが、以下のように表記するとわかりやすいのではないか。

◆戦闘機のシステムアーキテクチャと意識/無意識

 戦闘機の制御を想起してほしい。それはおそらく下記の構成を持つのではないか。

A. 周辺検知、エンジン制御、機体運動制御、攻撃制御、乗員安全制御、、、といった各サブシステム/制御機能。
B. 雪風のように高度な機械知能を持った機体は、これら制御を上位階層で統合制御するシステム機能を持っているはず。
C. さらにその制御の状態を客観的にとらえ(俯瞰し)、乗員もしくは基地の戦術コンピュータへ伝えるインターフェース部分が必要。

 つまり零が説明したことを戦闘機の上記システムアーキテクチャで表現すると、人間の筋肉の動きがA.の階層(無意識のレベル)、自由意志/自意識がB.とC.の階層ということになる。
 人の自由意志/自意識が瞬間瞬間の無意識の「結果」をとらえているだけというのは、戦闘機では、応答性のニーズから瞬時瞬時は各サブシステムのA.レベルが実行し、それをB.レベルで後追いで認識し(次の行動を大まかに統合制御し)、それをC.レベルが言語化し他者に伝える、というプロセスになる。

 最新の脳科学の知見では、人の行動は、下記のようになっているという(当Blog記事 池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』より引用)。

認知レベル   ①動かそう ②動いた
脳活動レベル ③準備      ④指令
実験結果
 認知レベルと脳活動レベルの関係
 ③準備→①動かそう→②動いた→④指令 (P251)

「自由は、行動よりも前に存在するものではなくて、行動の結果もたらされるもの」
自由意志は「動かすのを中止することしかできない(P258)」という概念が実験的に確認されているという。

 なんだか禅問答のような記述にみえるかもしれないけれど、これは各種実験で確認されている事実と、そこから抽出される概念。

 まさに上で述べた戦闘機のシステムアーキテクチャを想定すると、わかりやすいのではないだろうか。

 これって実は戦闘機で書いたけれど、我々の身近の家電とか自動車とかのシステムも、意識的であれ無意識的であれ、現在、これに近いものになってきていると考えられる。A.B.C.のB,Cがどの程度進化しているかが異なるが、近未来にB,Cがこれらのシステム構成に追加されていくのが時代の趨勢といえると思う。
 さらに脱線すると、これを徹底して意識的に実行すれば、特にB,Cをいかに人間の言語に近いシステムとして導入するかで、人工意識みたいなものが出来あがってくる可能性があるんじゃないか、と思ったり(^^;)。もちろんそんなに単純な話ではなく、言語学とか認知学の知見をぶっこんで、意識的に作り上げることが重要だろうけれど。

車のNAVIって一部音声認識発語が可能なので、実はこの視点から既にミニミニ人工意識の萌芽となっている(現にうちの子供たちは車のNAVIが喋るのに刺激されて、彼女(女性声)に名前を付けて呼称している(^^))。
 NAVIが車両内部の各周辺検知情報や制御機能について、上記先端の知見を入れたうえで、俯瞰して語り出したら(A.を自己観察して語るということ)、人工意識としてのレベルはかなり上がるのではないか。単純だが、これをどうユーザー(特に子供たち)が認識するかで、意識の問題は装置のレベルで、生活の中で検証されていくのではないか。チューリング試験的に(^^;)。

 閑話休題。
 零が述べていることの新規性は、A.について、人間の無意識と呼んで自由意志から切り離して考えるのではなく、これも「自我意識」と呼んで人間自身と考えればいいのではないか、という概念だと思う。先の戦闘機の制御で言えば、A.B.C.ともにそれは雪風自身であって、B.C.のみを切り離して雪風の自我意識と呼ぶのは変だよね、ってことだと思う。

 これが池谷本の時に書いた、近代の意識偏重主義の突破、と同じ概念だと僕は思った。神林のような鋭利な文学者と、脳科学の先端知見が同様の結論を推定してきているのが、とても興味深い。(そして現代の機械システムの制御アーキテクチャもまた、そこに近づいているのが面白い)

◆意識を生み出す進化圧力と鮮やかなラスト

 かなり本書から脱線してしまったが、神林長平は下記のとおり、続けている。

 環境におけるそうした自己の時空的定位を認識する能力というのは、生物に特有なものではなかろうか、自分がいまどこにいるのかを捉える感覚器を持っているというのは。それは認識対象との関係性を能動的に測る能力に繋がるだろう。そうした能力が、いわゆる<自我>というものを発生させたのではなかろうか。(略)それらは無意識的にやっていることだろうが、意識的にやれた方が有利だという状況があって、そのような進化圧力が加わり人は意識を持つようになった、というのはありそうなことだ。(深井零 P223)

 意識(=言語)というものの成り立ちの推測である。
 前項の文脈で言えば、B,Cの俯瞰機能と他者へのコミュニケーション機能のために、意識と言語が進化した(というかそれを持たない者が淘汰された)、ということになる。

 終盤、雪風のエージェントとしてエディスが出てくるシーン(P280)がある。
 まさにコミュニケーションのために雪風が作り上げた機能がこのエディスである。雪風がジャムと戦うために、人間を分析し、人工意識を作り出したシーンと言える。

 そして鮮やかなラストシーン。

「雪風は魔を祓うために来たのだ」。

 不確定性にまみれたフェアリイの地からの雪風の飛翔とそれによる現実の定位。哲学的な世界が、本書世界で確固たる存在である戦闘機により、リアリティを獲得するスリリングで確信に満ちた神林の筆致が見事である。

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2009.08.17

■感想 神林長平『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』

『アンブロークンアロー―戦闘妖精・雪風』(ハヤカワ・オンライン)

 そんな少佐がいまやそれ、「哲学的な概念」がジャムを殺す武器として使える、レトリックではなくミサイルと同じ次元での直接的な武器になるのだ、と言っ ている。(略)<いままでにない概念>そのものが、ジャムを殺す、消滅させる、すなわちこの戦争を集結させる可能性がある、ということだ。(エディス・フォス大尉 P58)

 『アンブロークン・アロー』読了。凄い。今回異種知性体 戦闘哲学SF度、さらにアップ。 思弁の固まりのような作品になっている。
 思索のレベルは、言語から意識や無意識のレベルへ深まって、ジャムとの戦闘はさらに複雑怪奇なものに、、、。

 脳科学の知見から意識について新たな分析が進んでいる昨今、神林長平は戦闘SFの中で、言語からスタートして人間に関する哲学領域へ戦端をどんどん広げているって感じ。
 冒険しすぎてはっきり言って破たんしているところも散見。ただしそれがエッジを効かせることになっているのも確かな事実。この冒険心は紛れもない本格SFの財産だ。

 この先端的な文学について、是非、哲学とか心理学、脳科学方面から専門家の分析/アプローチを試みてほしい。
 神林って、SFジャンルだけでなく、もっと広く読まれて良い作家だと思う。
  例えば『ユリイカ』。アニメや音楽に浮気をしないで、こうした文学をしっかりと特集してほしい。最近、売れ線狙いでアニメ・漫画方面に浮気している雑誌な のでしょうがないか(^^;)。神林じゃ、ジブリの1/10も雑誌は売れないだろうから(残念ながら1/1000かも(weep))。

★以下、詳細ネタばれレビュウは、明日の記事へ続く(長文でーーす)
 →■解読 神林長平『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』

◆関連リンク
『 戦闘妖精雪風 FAF航空戦史 [DVD]』

星雲賞」受賞の傑作SFをアニメ化したスカイアクションが“EMOTION PLUS”に登場。本作は、本編の軍事映像を「軍事評論」の視点から再編集。軍事評論家・岡部いくさによるフェアリー空軍の航空戦史解説BOOK付き。

『戦闘妖精雪風 1/100 スーパーシルフ雪風Ver.1.5』

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