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2013.06.19

■感想(2) 映像の絵画への影響と意識の解体、そして映像への回帰『フランシス・ベーコン展 : Francis Bacon』@豊田市美術館

Muybridge_bacon

Francis Bacon & Photography « Cedric Arnold.

"L: Bacon’s “Two Figures” – R: Muybridge reproductions found in Bacon’s studio. Bacon on Muybridge “Michelangelo and Muybridge are mixed up in my mind together, and so I perhaps could learn about positions from Muybridge and learn about the ampleness, the grandeur of form from Michelangelo. …"

 これはセドリック・アーノルドという写真家が紹介している、ベーコン“Two Figures”(1953年)とエドワード・マイブリッジの分解写真を比較して並べたもの。

 今回ベーコン展では期待していた“Two Figures”の展示はなかったのだけれど、いくつかの作品で感じたのは、動画のコマを複数重ねたような、映像があったからこそ生まれた物凄く映画的な絵画だな、という感想。

 犬や人物の顔が透明になったりブレたりするのも、映像におけるシャッター速度と被写体の動作から初めて生まれてきた絵画表現であろう。また「ジョージ・ダイアの三習作 : Three Studies of George Dyer」(1969年)に代表される、顔が丸を基調にして歪んでいる絵画も、どこか魚眼レンズによる円形の歪みのように見える(そして黒い穴はさらにひっくり返して人間の視覚上の盲点の描写?)。

 会場のビデオ上映で紹介されていたように、ベーコンは写真から絵画のイメージを膨らませていたようで、まさに映像の世紀に生まれた新しい絵画表現のエッジにいたひとりと言うことが出来るだろう。

FrancisBacon_bluevelvet
右はリンチ『ブルーベルベット』

 前回紹介した「横たわる人物像 No.3 : lying figure No.3」(1959年)の背骨の表現は、X線写真の登場で生まれた絵画表現だとのこと。世界で最初のX線撮影装置は1898年ドイツのシーメンス社が開発に成功したらしいので、まさに20世紀のテクノロジーの絵画への利用形態である。

 ベーコンの表情が消えたような、昏い鈍い輝きを持つ人物の顔々を眺めていると、20世紀のテクノロジーや社会の複雑化による憂鬱の表情とも観えてくるのだけれど、そうした表情の抽象化において、まさに20世紀のテクノロジーを用いた絵画表現を用いているところが強く我々を揺さぶるのかもしれない(ちょっと強引だったかなw)。

 〈物語らない身体〉というコーナーもあったが、複数の空間と人物を描いていることで、そこからストーリーが生まれてしまうのを避けようとしたのだという。
 人物の形態を崩すことによる物語の解体。
 絵画の身体の壊滅と意識の解体が生み出したものは、言語により整然と形象化された認識ではなく、もっと原初的な、言語を介さないヒトの認識の映像を産みだしているようだ。

 このように考えると、ベーコンの絵画は、言語を解体し意識の向こうにある、無意識とか身体が持つ知恵のプログラミングを形象化ような新たな映像表現。それは言語にはもしかしたら相当に表現することが困難な何者か、なのかもしれない。
 「身体がイメージに回収されることに抗っている」というのはある絵を説明した展示会場の紹介文にあった言葉なのだけれど、どちらかというと僕は「身体が言語/意識に回収されることに抗っている」ととらえた。

Photo_3

 そんな絵画に、デイヴィッド・リンチ他の映像クリエータが刺激を受け、そうした言語を解体した様な映像世界を形作る。(右上がベーコン、下はリンチ『マルホランド・ドライブ』。詳細は拙Blog過去記事 情報 「フランシス・ベーコン展」@東京国立近代美術館, 豊田市美術館)
 
 20世紀の映画の祖であるマイブリッジから生まれた新たなヒトの認識が、ベーコンという絵描きの直感を通じて、新しい21世紀の映像表現へと回帰していく。
 そんな映像史的な興味を掻き立てる刺激的な展示会であったと思う。

◆そしてベーコン作品のパフォーマンス化

 そんなことを考えながら観た美術展の最終コーナーは、ウィリアム・フォーサイスのダンス映像(ペーター・ヴェルツ/ウィリアム・フォーサイス  「重訳|絶筆、未完の肖像(フランシス・ベーコン)|人物像を描きこむ人物像(テイク2)」  2005年 ゲーツ・コレクション)。
 これは上に述べた様なベーコンの強度を、残念ながら充分に表現できているとは感じられなかった。

 残念でならないのは、ここに、何故フランスのアーティスト オリビエ・デ・サガザンのパフォーマンスを持ってこなかったのだろうということ。

 ベーコンの人体変容芸術(^^;)を見事に体現できている、サガザンのパフォーマンスの衝撃を、もしあの会場でベーコンの絵画を観ながら体感できたとしたら、凄まじい体験になっていただろうにと残念でならない。
 特にサガザンは欧州では知られているが、日本では広く美術ファンに知られている訳ではないので、ベーコンを観た後、はじめてサガザン体験をする観客がいるとしたら凄い衝撃になっていたはずだ。

 サガザンについては手前味噌になるが、当Blog過去記事を参照頂きたい Olivier de Sagazan "performance O de Sagazan 08" オリビエ・デ・サガザン 人体変容パフォーマンス まさにベーコンファンが驚愕する表現です(^^)。

An Interview with Olivier de Sagazan - Loving Mixed Media

"5. What are your most important influences?
 I see some evidence of Soutine and Francis Bacon. Rembrandt is my main inspiration, and after him, Bacon."

 こちらはサガザンのインタビュー。
 やはり最も影響を受けた芸術家として、ベーコンを挙げている。(そしてもう一人はベラルーシの画家 シャイム・スーティン(Chaïm Soutine - Google イメージ検索))

 是非、次のベーコン展が日本で開催される折りには、サガザンの日本初来日を企画して頂きたいものである。

◆関連リンク
Cedric Arnold — Bangkok Based Photographer
 上で紹介した写真家セドリック・アーノルドの公式HP。
タイの精神世界を体に刻んで | Picture Power | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
 セドリック・アーノルドのタイでの写真を紹介する記事。
Pirates & Revolutionaries: Moving through Paralysis [36] Francis Bacon: After Muybridge - Woman Emptying a Bowl of Water & Paralytic Child 1965 Deleuze on Bacon, Painting Series
 
フランシス・ベーコン展 Francis Bacon|豊田市美術館|図録・グッズ
Mylène Farmer - A L'Ombre - YouTube
 フランスの歌手 ミレーヌ・ファルメール:Mylène FarmerのPV、オリビエ・デ・サガザンが参加している。

『美術手帖 2013年 03月号 フランシス・ベーコン』

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