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2014年1月26日 - 2014年2月1日

2014.01.28

◆レポート 円空大賞展 ユーリー・ノルシュテイン&フランチェスカ・ヤールブソワ作品

1517381_663657907009591_591233256_n       (写真はサイン会でのノルシュテイン)
岐阜県美術館|円空大賞展(公式HP)

"開催期間 : 2014.1/24(金)-3/9(日)

 岐阜県ゆかりの江戸時代の修行僧・円空は、12万体もの個性あふれる神仏を彫った事で広く知られています。岐阜県では、 平成11年度より土着の伝統に根ざしながら独創的な芸術を創造している芸術家を顕彰し、表彰する「円空大賞」を制定しています。(略)
 映像作家のユーリー・ノルシュテイン(以上、円空賞)。
 円空の精神を具現する5人の作家たちと今なお愛され続ける円空仏、その魂が三百有余年を経て共鳴し合います。"

 円空大賞展でノルシュテイン御夫妻の作品を観てきました。
 以下、展示作品リストと感想です(リストは公式図録にも掲載されていなかったので、会場でiPhoneにて全部メモしましたw)。写真は会場内は撮影NGとのことで、外のショップの様子です。

◆展示作品概要と感想
 全体で、絵本原画 6枚。マケット2点。絵コンテ 85枚。デッサン・イメージスケッチ・エスキースほか 40枚。
 映像展示 3点(「外套」23分。「冬の日」2分。円空賞受賞インタビュービデオ 約3分)。

 2010年に神奈川県立近代美術館 葉山館で開催された「話の話 ロシア・アニメーションの巨匠 ノルシュテイン&ヤールブソワ」展に比べるとノルシュテイン作品の展示面積は、たぶん1/20以下(150平方メートルくらいの会場)。
 そして展示品は、かなり「話の話」展とダブっていると思う(正式に比較したわけではないです。感覚的な判断です)。

 残念だったのは、「話の話」展で一番素晴らしいと思った展示品であるマケットが2点だけだったこと。マケットとはガラス板にノルシュテインの撮影素材とおぼしきキャラクタや樹木のシートを貼付け、それを積層的に並べて、LED等の照明を加えてディスプレイしたもの。まるで映像の世界が現実に現れたような幻影性にあふれた素晴らしい展示品だった。特に「話の話」のきつね君とか素晴らしいかったので、再会を期待していたが、今回のマケットは「外套」の2点のみ。

 一点は「夜のネフスキー大通り」という幅1.5m程の横長、街灯の下の大勢の人々を描いた作品。こちらは「話の話」展でも展示されていた作品。
 もう一点は、同じく「外套」のシーンを描いた小品。
 こちらも夜景、1灯の街灯の下でダンスを踊る人々。展示スペースに暗幕で薄暗いコーナーを作り、飾られたそれら作品は、まわりの「外套」のスケッチ、絵コンテ群と合わせて作品世界をそこに現出させていた。

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◆作品詳細リスト。
 略号で作家名を記します。
 N : ユーリ・ノルシュテイン、Y : フランチェスカ・ヤールブソワ、NY : 合作。
 冒頭にノルシュテインの略歴。その後、各映像作品ごと、関連するイメージスケッチや絵本の原画が展示されています。
 各映像作品ごと、全作品、各1枚のパネルで概要が書かれています。
_963003841_ntile◆「25日ー最初の日」
 概要パネルのみ。
◆「きつねとうさぎ」
 絵本原画 NY 3枚(グレー緑の家。緑の背景。茶の背景の鶏)
◆「アオサギとツル」
 絵コンテ Y 5枚。映画フィルムによる絵 Y 1枚。
◆「霧の中のハリネズミ」
 絵コンテ Y 6枚。絵本原画 NY 3枚(木の中からハリネズミを見るフクロウ、白い馬、夜空を見るハリネズミと熊)。
 残念ながら葉山の「話の話展」で素晴らしかったマケット(多層的なガラスに立体的に映画の原画を貼ったもの)はなかった。
◆「話の話」
 オオカミの子 キャラクター組立て図 N 2枚、スケッチ 6枚。
◆「外套」
 完成している23分の映像。30インチ位のモニタで多分全篇上映。まさに制作中ということで、最後は街のシーンで人の動きの途中で唐突に切れる。
 ペトローヴィチと会った後で 絵コンテ N 4枚。その他 絵コンテ NY 48枚。
 イメージスケッチ 23点。
  こごえた耳をこするアーカーキー・アカーキエヴィチ N 1枚、外套を点検するアーカーキー・アカーキエヴィチ N 1枚、アーカーキー・アカーキエヴィチが口から糸をとる N 1枚、風に吹かれて歩むアーカーキー・アカーキエヴィチ N 2枚、出来事について語る N、フレスタコフ役で聴衆に向かって演じる N、風吹く中を歩むアーカーキーのフェーズ N 9枚。
 アーカーキーーペンとインク入れを手にした赤ん坊 Y、アーカーキー・アカーキエヴィチの頭部デッサン N、アーカーキー・アカーキエヴィチの姿 Y、古い外套を着たアーカーキー・アカーキエヴィチ Y、脱衣所 N。イメージスケッチ他 2枚。
 マケット 2点。
◆「冬の日」
 作品映像の液晶テレビでの上映 2分。
 絵コンテ N 22枚。デッサン・スケッチ N 6枚、エスキース Y 2枚、カラースケッチ N 2枚、写真パネル 9枚。
◆ノルシュテインの道具一式 絵の具、筆等。
◆円空賞受賞インタビュービデオ 約3分。

円空賞受賞の言葉
 ノルシュテインの受賞インタビューの様子が会場の液晶モニタで映し出されていた。以下、その一部引用。

"円空は言語に絶する強烈な個性を持つ人間であり、彼の想像は単なる個人の仕事だけではなく、全ての人に精神の旅の道程を示唆しています。その道を彼はまさに歩んだのです。自ずと私は彼を芭蕉と比較することになりました。なぜなら、見知らぬ地から地へと歩き、絶えず人々を助けた僧侶は、同じく旅をし続けて句を詠みついだ芭蕉と共通します。芭蕉も精神のストイックな聖職者だったと思えます。"

 インタビュー映像でもうひとつ語られていたのは、円空の12万体にのぼる彫刻作品について。偉大な作家の偉業を讃えるノルシュテイン。我々観客は、それを語るノルシュテインの作品との共鳴を強く感じていた。こつこつと掘り続けた円空の姿は、三十年におよぶ長い期間、「外套」という作品を一枚一枚の絵を描いて作り続ける現代の芸術家ノルシュテインと重なって感じられた。
 現在、23分間、全体が60分の構想と書かれていたので、残り37分の完成を楽しみに待ちたいものです。

サイン会
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 講演会後に行われたサイン会は約200人程の行列ができた。
 僕は、御気に入りの2010年の「話の話 展」の図録を持参しサインしてもらった(ショップで『「話の話」の話』を購入しサイン会参加券をもらったのです)。
 上の写真がそのサイン。図録の1ページの真ん中に、寂しそうに一人佇むキツネくんの横に創造主であるノルシュテインのサインが入り、キツネくんも故郷を遠く離れた日本の地で、どことなく安穏な顔になったような気がします(^^)。

 そしてサイン会で握手したノルシュテインの手は、シュヴァンクマイエルの手より硬質だった。この手から超絶映像が作られてるんだという感慨。

 ノルシュテインとシュヴァンクマイエルの、御二人の手の感触を、触覚の芸術でもあるコマ撮りアニメーションの貴重な記憶として、究極映像研 脳内アーカイブに格納しておきます(^^)。

◆関連リンク
当Blog ノルシュテイン関連記事 Google 検索.

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2014.01.26

◆レポート 円空賞受賞 記念講演会 ユーリー・ノルシュテイン アーティストトーク

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岐阜県美術館|関連イベント(公式HP)

"ユーリー・ノルシュテイン アーティストトークとサイン会
開催日:1月25日(土曜) 時間:午後1時30分から午後3時00分
出 演:ユーリー・ノルシュテイン
会 場:講堂

ユーリー・ノルシュテイン作品上映会
開催日:2月1日(土曜)、2月23日(日曜)
時 間:各日、午後1時30分から午後3時00分
会 場:講堂 ※事前申込み不要、無料"

 ノルシュテイン円空賞 受賞記念講演会に行ってきたのでレポートします。

◆概 要
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 講演は冒頭からノルシュテインの哲学的な話がいきなり始まり、エネルギッシュな芸術家の刺激に満ちたアーティスティックな空間がそこに現出した。

 13:30から質疑応答の20分を含む2時間弱の高密度のアーティストトークを現場にMacbook Airを持ち込んでほぼ全部(たぶん9割以上は)テキスト化できたと思うので、長文ですが遠方で来られなかった方のために、以下掲載します。(本当は3Dハンディカムを持って行ってたので、立体映像でノルシュテインの言葉を記録して公開したかったのですが、撮影禁止でそれは実現ならず。会場スタッフの方に聞くと、動画は撮影されるが公開は未定とのこと。貴重な映像になると思うので、ぜひ公開をしてほしいものです)

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 会場は180名入れるが、補助席も使い、さらには会場外のホールに並べた仮設の座席と映写スクリーンでパブリックビューイングも実施された(この映像がきっと記録されているはず)。
 会場は左のような様子(残念ながら撮影禁止で始まる前の画像のみ)。

 通訳者は長年ノルシュテインの作品の翻訳や通訳を務められている児島宏子さん。そして手話通訳者が御二人(名前が会場でも紹介されなかったですが、ノルシュテインは最後に感謝の意を伝えられていました)。

 席につくとまずノルシュテインが、テーブルの水のボトルから児島さんのコップに水を注ぎ入れた。この気遣いが印象的だった。

 以下、通訳された内容を、私の理解で文脈に合わせて若干文章をいじっています。項目分けと見出しは、長文を整理するため、内容から勝手に追加しました。
 写真は岐阜県美術館で撮ったものと、講演に沿ってネットの関連画像を引用しました。ノルシュテイン氏の意図と合っていない場合は申し訳ありません。

◆冒頭 フランチェスカとスタッフへの感謝
・私は映像作家なので、言葉に置き換えて交流するのは楽なことではない。
・昨日、円空賞の授賞式挨拶で、妻のフランチェスカ・ヤールブソワについてお話しした。
Img_9623 ・映画監督ほど、ひどい者はいない(笑)。自分は指示するだけで、映画は美術監督他スタッフが実現する。
・この円空大賞展の展覧会場では、私のコーナーとなっているが、実はその作品の多くはフランチェスカが作り上げた物。そうやって監督は、映画で働く人々から搾り取る。もちろん私も何事かを成すので皆さんに作品を届けられるけれど…。
・描いてばかりでは共同作業成立しない。何が問題かというと、映画制作で私の中にある何ものかを伝えるのが難しい。
(注.写真はパブリックビューイングが実施された岐阜県美の多目的ホール)

◆問題定義 言語と表現芸術の間
・世界の様々な芸術ジャンルの中で映画が主導的とは思っていない。
・映画は実に物質的なものである。理知と芸術性と知性、映画を作り上げるのに多くの損失をしていく。立体芸術や平面芸術の作家もその問題は抱えている。
・作品は精神性に満ちている。そこから湧いてくるもの。
・精神性に満ちているのは、蒸気とか煙でなくもっと他のもの。
・私は映画人であるが、一般芸術史として20世紀までに、芸術の歴史でどういうことがあったか、興味がある。
・今やることは過去のことを引き継いでいる。それを志向することなしには、あり得ない。
・実際に、言語と表現芸術の問題は芸術が始まった昔からある。
・ミケランジェロのモーゼが、ここ岐阜県美術館にある(注.模刻)。これは物質的、じっとしている。死んでいるのか、内面において生命史を持っているのか、これが問題。
・こういう問題を考えながら、その解決の相似性に心を砕いている。物質と芸術作品の境界とは何かを考えている。

582pxmichelangelos_brutus_casting_i ◆ミケランジェロのブルータス胸像の二重性
・ミケランジェロの作品であまり触れられないブルータスの胸像。ミケランジェロは、この胸像作るのに驚くべき方法をとっている。
・シーザーを殺したブルータス。ブルータスは当時の教育を受けて権力層に入っていった。殺しには、そのグループの意志があった。
・この胸像は頭部が左向き。右側から見ると左側の素晴らしさに驚かされる。
・右側は何事かをなす強い意志に溢れている。怒りに満ちた眼。固く閉じた口、という表現。

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・胸像の周りを右から左に動いてみると、左に驚くべき表現。
・正面、ふたつの状態が組み合わされている。非常に頑固な唇が左側では変わっていく。左のプロフィールに動いていくとブルータスの状況が変わっていく。
・この像を造る際にミケランジェロは、実際のブルータスを、当然、知らなかった。ファンタジーから作った。
・左側は全く違う。怒りとかでなく、苦み,悲哀が見えてくる。歯が痛んでいるような表情がみえる。眼は塗りつぶされている。表情をみせない。
・なぜ私が胸像について詳しく述べるかというと、物質的な固定観念を克服しているような、さきほど言った境界が観られる。
・実はプーシキン美術館にこのブルータスの石工模型がある(注.Michelangelo's Brutus in Pushkin museum)。訪れるたびに、幾度も新しい作品に出会うような想いがある。
(注.引用した写真、上はプーシキン美術館の胸像。下はStudy of Michelangelo’s Brutusより)

◆映画における二重性の導入 「外套」のアーカーキー
・私の映画に戻ると、最初はすべてが見えていない。病的なほど悩む時期がある。
・それを言葉で美術監督に伝えていかないと行けない。私がわかっているところまでわかってもらう必要がある。
・仕事のプロセスは、それをしながら内蔵する秘密、課題、新たなものが供出してくる。
・映画が完成した後に、やっと理解ができる。
・人と人の初めての出会いも同じ、だんだん付き合っていると最初の印象が変わる場合がある。
・この展覧会で「外套」の一部を上映している。映画を言葉で説明するのは難しい。
・アニメーションで難しいのは、キャラクタを生き生きと人間的に描くことである。
・アニメーションは、グロテスクな側面がよく言われる。もっと正しい形にする/グロテスクでなくするには、人間的なキャラクターをしっかり描くことである。

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・ゴーゴリ「外套」の主人公 アーカーキー・アカーキエヴィチを取り上げると、どういう性格がなのかよくわからない。それを美術監督にどう話すか。
・ブルータスの二重性両極性を話したが、映画のキャラクタをどう作り上げていくか、両極性は陰陽のような哲学性である。これが登場人物に見つからないと、生きてこない。
・同時に幼童(ようどう)性を持つ。子供が大人のように試練を受けるとしたら悲劇である。しかし実際には、その存在は若くない。子供っぽさはどこから出てくるか。二重性は相互に呼応しない、ということ。
・想像してみてください、年取ると若い気持ち、例えば飛んでいきたいという気持ちがあっても飛んでいけない。
・子供が嫌いで接したことのない大人もいる。どうしても接する必要のある時、どうしたら良いかわからない。

◆人間観察の映画作りにおける重要性
・監督として重要なのは、それまでの観察とその思考。そうしたものを利用した時に言葉で仲間に伝えることができる。
・通りを歩いていて人々を観察するのが好き。寒さにどう対処するか。小銭を扱う時の指の動きは、そこからその人のお金に対する考え方がみえる。これは大事なこと。
・親戚や友人が話しているところを一生懸命観察する。これが仕事に凄く役立つ。
・思い出すのは、65歳のおば。40年つれそった旦那を亡くした。ところが再婚することになった。このおばは話すときとか、女優的要素がある。
 新たな人生のスペクタルが必要。彼女の再婚のための新しい夫についての話。これが映画作りにとても役立った。
 (立ち上がって動作で説明)おじいさんが来た。この人はインテリ。指先で探りながら椅子に座る。この人とは結婚しないわ、と思った。このちょっとしたことが、映画にとても参考になる。

◆「外套」におけるゴーゴリ「査察官」の援用
Img089・小銭を数える人、自己顕示したい人。ゴーゴリ「査察官」を読みながら意識的に「外套」をスペクタクル化/激化している。存在する言語テキストと表現芸術は別、と言ったが、戯曲読んでドラマツルギーを考えていくと、自分の中に縛りをすると表現芸術になっていく。
・文学の名作の映画化は、文学に沿っているのが正しい方法と思っていない。
・ひとつの出来事をゴーゴリはたった二行で書いてします。しかしこの二行の映像化では映画にはならない。
・この二行の映像化のためには、この時のシチュエーション、背景が必要。これを眼に見せようとすると、映画は二行のみの描写ではできない。その際に言わなければいけないのは、ほかの方法を使って二行を表現すること。
・「査察官」のフレスタコフは、「外套」のアカーキーみたいな人物ではない。役所で別の役割。
・「査察官」からキャラクタもらっている。下級役人であるアカーキーをからかう役人としてフレスタコフを使う。
・ゴーゴリは役人がアカーキーをあざ笑っていると書いているが、映画ではその役人一人一人のイメージを作らないと行けない。

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・必死に縮こまって働いているアカーキー、楽しく役所に行く役人もいる。フレスタコフをここに持ってきた。ロシア語でフレスタコフはこういうS字の曲線。さっさっとデッサンして美術監督に渡す。歩き方、振り向き方、遊び方。
・「査察官」では市長の奥方が娘を嫁にやった方がいいとアピールする。おそらく役所でフレスタコフはそのことを仲間に話している。
・私はゴーゴリ「査察官」からフレスタコフを「外套」に持ってくる。このキャラクタを思いついて、まず第一歩は私がその人物を感覚して、スタッフに伝えなければいけない。

◆「外套」アカーキーの二極性
・アカーキーは仕事に熱中し、回りに注意を払えない。対してフレスタコフは自由に振る舞っている。アカーキーが集中しているのを回りはからかう。
・からかわず、ただ助ける人もいる。どうやって助けるか。フレスタコフが冗談を言う。悪意のないものもある。フレスタコフ一人を描くのでは、役所の雰囲気は描けない。こういうことって映画を作ろうと決心した時には何も見えていない。
・そういうキャラクタは、例えばザヨーグ。フレスタコフとの二極性。ふざけて面白いことを言っているだけでない。こういう人がいる。
・頭が禿げているザヨーグは、長い横の髪を上に引き上げるようにして隠そうとしている。登庁すると鏡の前で鞄を足の間にはさんでヘアピンで止めている(立って鞄を持って実演するノルシュテイン)。
・ザヨークさんが髪の毛をやっているのをフレスタコフがふっと横から吹いて髪を乱してしまう。そうなると、とても大変。鞄は落ちるし、髪は戻したいし、、、。
・こんな描写がなぜ必要か。特徴付けが大事。ザヨークは私が思いついた。フレスタコフは悪意はないが、遊んでみたいだけ。しかし相手は怒りに満ちて追いかけていく。追い付きそうになった時に振り向いて眼をぐりぐり動かす。眼にはめていたものを外す、鼻眼鏡のようなものを。そうなると他の人たちがそれで結びつく。ここで何を表すか、悪意がないことのスケッチ。ザヨークさんの髪をフレスタコフが直してあげる。

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・役所の人のことを、細かいことの積み重ねでこうして描いていく。ふざけている中で、集中して清書しているのがアカーキー。この役所の人々の動きで表現できるのは、アカーキーの熱心さ。
・これはもう映画の中の法則。皆が走っている中で、一人だけ立っている。そこへ眼が行く。

◆小さなものから見えてくるもの
 物質と感情の間を埋める表現

・最初に言語と表現の間の問題について述べた。映像で、たえず観客の意識を矯正する、見せてしまう。作り上げていって、映画の一つの物質、映像は矯正してしまう。個々の性質の表現にこういうことが必要。
・私は非常に表現芸術が大好きで美術館巡りをしかりする。そして大傑作をいっぱい見つける。たとえば北斎の作品。登場人物をいろんなところで共用している。(注.葛飾北斎『絵本隅田川両岸一覧』か? 下図)

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<14.1/27追記>
Twitter / tuchihannmyoo(よたか堂/kenkaizuさん)ツィートで教えていただきました。ここで語られている北斎の絵は、以下の「御厩川岸より両国橋夕陽見(おんまやがしよりりょうごくばしゆうひみ)」だそうです。御教示いただきありがとうございます。 

"@butfilp 講義録アップありがとうございます。ノルシュテインさんが触れている北斎の絵はこれだとおもいます。https://www.adachi- hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai030/ … 2005年阿佐ヶ谷でのワークショップで、詳しく取り上げていました。"

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御厩川岸より両国橋夕陽見|葛飾北斎|富嶽三十六景|(浮世絵のアダチ版画オンラインストアさん)
 両国橋は隅田川にかかる橋ということで、以下に語られる内容とまさに符合します。
<以上追記>
・隅田川に船を浮かべた絵、船客が別々のことをしている。船はまだ出ていない。女が洗濯物を濯いでいるが、それは見えないが、感じさせる北斎の表現。
・船上ではおしゃべりの様子が見える。頭の手ぬぐいを水で洗っている。そういう情景が見えてくる。船の動きと別の方向。舳先に座っている男が、おそらく居眠り。もうすぐ起きる。そういうことを思い起こさせる。
・浮世絵の上に月が上がっている。小さな船に全世界がある。遠くには夕暮れが訪れてきたように明かりが見える。信じがたいほどの大きな詩の世界を与えてくれる。
・遠くの明かり、生きた生活がある。見えてるものから感じるもの、よく見えないもの、家の火。さまざまな記憶を喚起する、はっきりしない明かり。
・さきほどから気にしている物質の克服。物質と思わせないものに表現して行く。物質が遠ざかり眼に見えない感情が残される。このことが作り手に重要。映画のストーリーの動きは、たったひとつの小さなことが見えた時に、動いてくる。

◆質疑応答 客席からの質問に答えて
<質問>あなたにとって観客とはどういう存在ですか。どのように意識して作っていますか。
・とても重要な質問。いつも答えているのは、自分のために作るということ。観客に優位性持ってるとか偉いということでなく、映画を作るテーマ等の発想は、私が責任もって作り上げないと行けない。
・映画は、私自身が知りたいこと等、いっぱい含んでいる。見ている人に共有してもらえたら、問題が増殖していく。
・テーマを最初決めるが必ずしもそのままにするのがいいと限らない。方向転換する勇気がいる。私が作るのではなく、映画が私に作らせていると思う瞬間がある。
・私の作品の大部分はソ連時代のもの。検閲があり苦しかった。しかし今はお金の苦労がある。あの時代に多くの作品が作れたのは良かった。
・もちろん自由でなく制約があった。まずシナリオを提出し承認を得る。その後に、作品には変更がある。検閲をだますとかでなく映画に忠実になること、こういう良い点が映画という仕事にはある。
・お客さんのことを考えていない、ということではない。私の課題は、テーマ等決まった時に表現していくこと。テーマと表現を一致させていく。

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・難しいのは、映画はちょっとづつ動かして撮っていく。物質を作品に援用していく、これは大変なこと。コマ撮りはテクニックがいる。物質的。これを見る人にわかってしまうようにしては行けない。
・自然なものにするには、全身全霊で動きを感じていないといけない。ストーリーボードを用意して、感覚で時計観ないでやれるようにしていく。そうすると、見る人には技術や物質は意識されなくなる。
・もうひとつ重要なのは自由な感覚。少しでも妥協できないものがあるなら、捨てることも必要。これが重要。
・アカーキーのキャラはものすごく時間がかかった。信じられるキャラクタにするために時間がかかった。
・仕事の心理状態。無意識にできてしまうことを意識化する作業がいる。
・美術監督にアカーキーの頭を爪の大きさくらいに描いてくれと言った。無意識下の意識化、物質の克服はずっとやっていないと行けない。作り上げる時に気楽にできない。頭、現実から影響が出てくる。
・大きな絵で描くのではなく、小さく描くともの凄い集中がいる。小さいキャラクター、さまざまな心理状況でどうなるか、絵を描いていった。
・小さいサイズでペレジバーニエ、追体験・共感をそこに込めてしまう。
・グラフィックに描くことは、小さすぎて正確にできない。眼に見えないものを発見。拡大した時に心理状態を表すものになっていた。無意識下の意識化。小さい絵だと、技術的なことに重点を置くことができない。もっと創造的な作業になっていく。

・アカーキーの生まれた時のこと。赤ちゃんの頭の大泉毛(頭の渦巻き?)から描き始めた。私たちを見上げるように描いて欲しい、と要求した。条件を課すことで表現できる。キャラクタが人間だと大変。
・本物らしさ。道化、パントマイムが好き。チャップリンとか。動物の動きを観るのが好き。
・どうしてチャップリンが好きなのか。アニメーション的なものを持っている。歌舞伎も入れなければならない。歌舞伎は様式で、役者の成すことを完璧に作り上げている。例えば、花道を歩いている。振り向く時のドラマチックな瞬間。
・アニメーションは様々な国の文化の層を吸収している手法。

<質問>NHKの特集番組で、あなたは日本の若者の短編の総評をされた。「殻に閉じこもらず、外へ出て観察しなさい」と言われた。私は童話を書いている。独りよがりにならないためには観察が重要か。
・単純なこと。交差点が必要。
・哲学的な芸術がある、ドラマチックで哲学的な作品。思考感覚の深みが必要。誰もが持っている。しかし表現するのに、現実生活から出ている、誰もが生きている世界との交差がないと、作者の深みを理解してもらえない。
・それを知った上での表現が重要。簡単だが難しいこと。
・例えば映画表現で言うと、哲学的な台詞をしゃべっている、蚊が飛んできて、それをたたく。この生きたところとの結びつきが大事。北斎、巨大な哲学的な作品。深川の作品。まるで高見にあがっていくような詩の世界に上がっていくような。高見に行く、ずっとは立っていられない。現実との結びつきが大事。

◆最後に
・長い話を忍耐強く聞いて頂き、ありがとうございます。
・この中には何か芸術のクリエータや、生活のクリエータがいらっしゃるはず。私の話が何かちょっとでも役に立ったらとっても嬉しいです。

・手話の通訳さんが活躍してくれた。「外套」で耳の障害の人にアカーキーが話すシーンがある。なかなか伝わらない。
・言葉だけでなく、身振り手振りで伝えられるように、みんなでしてゆきましょう。今日はありがとうございました。

◆BP感想
 人間観察による細部の描き込みによって登場人物の感情がみえてくる、というところ、人間の無意識の動作に自然に立ち現れて来る心情や哲学の、映像的な表現を目指している、というようなことが述べられているのだと思います。
 展示会場で観られた23分間の現状の「外套」映像。
 講演に先立ってこれを観ていたので、ここで言われたことがノルシュテインの映像で体感的に理解できたような気がしました。

 「外套」の描写でとても印象的だったのが、主人公アーカーキー・アカーキエヴィチの食事シーンとペンで文字を書くシーンと、布団にくるまるシーン。
 いずれも手の細部の動きや、布の細かな模様の変化が、微細に長い時間かけて表現された印象的な映像。
 それらから圧倒的に立ち上がってくるアカーキーの心情。
 今回の講演はノルシュテインが30年以上かけて描き続けている、まさにライフワークである「外套」に込める、彼の積年の想い、そのものであったのかもしれません。

 読みにくい長文のまとめを最後まで御付き合いいただき、ありがとうございました。当日のノルシュテインさんの熱い講演の雰囲気を少しでも感じていただければ、幸いです。

◆関連リンク
ユーリー・ノルシュテイン トークまとめメモ@岐阜県美術館 2014/1/25 アーティストトークとサイン会 - Togetterまとめ
 twitterでの@ysd_ms:吉田さんの同時ツイートレポート。上記レポートの参考にさせていただきました。
ユーリー・ノルシュテイン氏Yuri B. Norstein(円空賞展~2014.3.9 岐阜県立美術館) - Togetterまとめ
 こちらは関連ツィートのまとめ。
児島宏子の奄美日記(公式HP)
 ノルシュテインについても触れられています。

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