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2015年7月12日 - 2015年7月18日

2015.07.15

■感想 ジョージ・ミラー監督『マッドマックス 怒りのデス・ロード : Mad Max: Fury Road』


Mad Max: Fury Road - ALL FLAMETHROWER GUITAR SCENES! (NEW MOVIE SCENES) - YouTube

 実は、恥ずかしながらマッドマックスシリーズ初見。
 汗臭いイメージwと、破滅後の世界を描くいつものやつかみたいに思って食わず嫌いだったのですが(^^;)、、、本作の凄い評判に、過去作一本も観ないまま急いで劇場へ行ってきました。観たのはReal Dで3D 吹き替え版。(凄い評判の代表格はライムスター宇多丸のムービーウォッチマンでの評、アカデミー作品賞&カンヌパルムドールレベル、映画の革新という絶賛)

 まさに今までの不明を強く恥ました。
 超絶アクションの
過激なつるべ打ちと、廃墟の静謐。緩急自在に、まるで映像の神が降りたかの様な画面に見入って、興奮して映画館を出ました。

 
イモータン・ジョーのカルト宗教ともロックバンドへの熱狂とも似た、ウォーボーイの価値観の描写。ジョーへの貢献を実現し英雄的な死を遂げられることへの無常の喜び、死の直前の銀スプレー。そんな描写の数々は、近頃比類なき、悪を画面に表出させていました。

 そして退廃的な砂漠の世界に置かれた純白のスーパーモデル。ここで描かれるフェニミズムのストーリーが、母乳が飲料として絞りとられる異様な世界の中で、人物達に奥行きを与えて、深みをもたらせています。

 そんな世界の、ジョーの砦と自動車群のスチームパンク的描写、そして時々挟まれる静かな世界の佇まいのアート的画像。汚染された沼地となった緑の地を行く高い脚の生物、頭上を越える放送衛星とテレビのあった時代への郷愁。

 白眉は冒頭に引用した動画の火炎放射ギターの男 コーマドーフ・ウォーリアー。
 関連リンクにwikiに書かれた設定を紹介したが、潜在眼球症候群と実母の頭部の人肉製マスクとか、ガソリンを噴出し炎を吹き出すエレキギターとか、映像をパンクに魅せる設定の数々にもしびれます。(観終わった僕の頭の中には、あのエレキの音と並行して、なぜかBLANKEY JET CITYの「ガソリンの揺れかた」が鳴っていたのですw)

 こうしたパンクなビジュアル、「スチームパンク」ならぬ「ペトロリアムパンク」wなんて言葉をイメージしてました。ガソリン臭に充ちたパンクアート。
 そうした装具等のSFアート面でも特筆すべき映像だったと思います。美術としてはジャン=ピエール・ジュネ,マルク・キャロ監督の傑作『ロスト・チルドレン』レベルかと。

 立体映像は、ステレオDの2D-3D変換のようですが、今回、かなり前方で観たので、臨場感が半端ない。俯瞰からの接近映像を多用したパキパキにエッジの効いた画面が、3Dの仮想空間として提示され、自分がまさに入り込んだような錯覚をもたらしていた。だけど、奥行き描写ではいくつかすごいと思うシーンがあったけれど、この映画の迫力は、立体映像としてのそれではなく、カメラワークとかフレームワークがもたらす2D映像そのものの力なのでしょうね。

◆関連リンク
Abbie Bernstein, 矢口 誠
 『メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロ-ド』


Mad Max: Fury Road: Full Behind the Scenes Movie Broll - Tom Hardy, Charlize Theron - YouTube
 俯瞰から対象に肉薄していくカメラの動きが確認できる。
"コーマドーフ・ウォーリアー Coma-Doof Warrior 

"イモータン・ジョーの養子の息子の1人で、ジョーの武装集団「ウォーボーイズ」の1人。火炎放射器付 きのエレキギターとサウスポー・エレキベースのダブルネック・メタル・ボディでディストーションを響かせたパワー・コード・リフ奏法を行う。潜在眼球症候 群と思しき障害を持ち、眼窩は皮膚となっていて両瞼が無い。実母の頭部の皮を剥いだ人肉製マスクで顔を覆い、赤い服を着ている。ドーフ・ワゴン(Doof Wagon)と呼ばれる、スピーカーのトラック全面に据えられた舞台から伸縮ロープに吊るされた状態で火炎放射器ギターを操る。幼少期に音楽家の母親の下 で盲目ながら音楽家としての才能を持つ天才児として幸せな環境で育ったが、何者かの攻撃により母親が殺害され、斬首された母親の頭部が彼の膝に落ちてき た。そして母親の頭にしがみ付いていた現場をジョーに発見され、ジョーの養子として迎え入れられ、闘いのミュージシャンとして育てられる。"

緊急開催! マッドマックス 喋りのデスロード!!!!(2015/7/3配信) - ぷらすとブログ

"合成シーンでもなるべく本物を撮ることで出るリアリティも見どころ。

今普通の映画ならCGでやるよね、というところはほ ぼ実写で撮って、細かいところをデジタルで治すのが基本。車がジャンプするシーンも実写で、後ろにいるトレーラーが後からの合成。ふつう飛んでいる方が合 成かと思いがちですが、あくまでリアリティを出すための合成なのです。一方、大きい砦は無理に組もうとすると逆にチープになるためCGに。本当に見せたい ところは本物のリアリティで魅せ、CGの豪華さも上手く利用することで、画面全体がリッチになっているのです。

そして更に驚くべきは、脚本ではなくストーリーボードで進められたことと、順撮りであること!シンプルな構成ながらあれだけ練り込まれたシナリオを脚本も無 しに撮ったと言われても、にわかには信じがたいもの。ですが、それも順撮りだったからこそ、話が混乱しなかったのかもしれません"

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2015.07.13

■感想 細田守監督『バケモノの子 : The Boy and The Beast』


▶ 「バケモノの子」予告2 - YouTube 公式サイト 

 日本テレビの細田監督作キャンペーンwで放映された『サマーウォーズ』を観て、改めて傑作の感を強くし、新作の初日にどうしても観たくなって『バケモノの子』を観てきた(この週末は一晩で『マッドマックス』と『バケモノの子』を連続で観た)。(実は細田作を劇場で観るのは初めてである。今までは失礼なことに、傑作をDVDで観ている)。

 観たのは、初日のラスト回(21時から)。そのシネコンの最大スクリーンでの上映で、350席のほぼ半分の入り。若者のカップルが多く、通常その映画館の初日で埋まっている座席数と客層とは異なる盛り上がりで、ヒットを期待させる状況だった。

 まず冒頭、これは細田版『千と千尋の神隠し』を狙ったと思わせるような、宮崎作を模した導入になっていた。
 この日本の街のどこかから、道に迷ったような状況で眼の前に現れる並行した異世界。食物のぶら下がる幻想のような街、そして千尋と九太と名付けられる、千と蓮。
 ここらは明らかに明示的に『千と千尋の神隠し』を狙っていますよね。

 映画の後半のテーマ展開を考えても、この映画はある部分、細田監督が宮崎作に持った違和感を、自分の問題意識として解答作成したような印象を、僕は持ってしまった。自分の本当の世界に戻った後が描かれない『千と千尋』に対して、細田は迷い出た先の、この日本の物語として結末を描き出している。

 その企てが成功しているかどうかというと、テーマ自体はメルヴィル『白鯨』を補助線として描くことでうまく対『千と千尋』を実現しているが、今回、演出上、細田監督の手元に珍しく狂いがいくつかあり、後で述べるディーテイルの不和で、映画自体のカタルシスは残念ながら、過去作に及んでいない、というのが僕の感想。

 劇場内の、観終わった後の高揚感も今ひとつの印象で、もっと期待して映画館に入っただろう若い観客たちが、どこか自分たちの期待が満たされていないような、中途半端な違和感を持っているような印象だった。(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』の時の雰囲気にとても近かったと書いたらわかってもらえるだろうか。) 今までの作品の成果として(& 日本テレビのキャンペーンで)一定数以上の集客はあるだろうが、残念ながら口コミで爆発的に観客が増える現象まではいかない、というのが僕が観終わって劇場内で感じた印象だ。

 新しい国民的なアニメ映画監督の誕生は、期待していたのだけれど、残念ながら次回作以降に持ち越されるのではないか、というのが僕の印象。(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』は今確認したら、『破』の興収40億円に対して『Q』が52.6億円で伸びていたんですね。劇場での印象と異なりますが、自分の映画への感想がまさに「鏡」になってそのように感じていたのでしょう。が、映画上映中の会場の沸き具合も含めて『バケモノの子』が宮崎アニメ規模のヒットになる印象を持てなかったというあくまでも僕の感覚です。細田監督一番のヒット作『おおかみこどもの雨と雪』が興収42.2億円、『バケモノの子』が『Q』を超えるかどうかがひとつの注目点ですね。今回テーマが『Q』の描いた人の心の闇であるだけに、、、。)

◆映画の詳細について(★ネタバレ注意★)

 ビジュアルは、アニメートも背景も、画面設計も力作だったので(九太の熊徹の技の継承、気の遠くなるような数のモブシーン、武闘シーンの演出と作画の迫力等々)、この後、いきなり欠点をあげつらうような感想となってしまい恐縮だけれど、映画を観終わった後の自分のモヤモヤを言語化して箇条書きにしてみます。

・バケモノ(もしくは英語タイトル"The Boy and The Beast"の「野獣」)が、"らしく"ない。熊徹のビジュアル、特に動物化する戦いのシーンの形態は、まさに『美女と野獣』のビーストを参照しているように見えるが、、、、バケモノの街 渋天街の様子が、宮崎の『名探偵ホームズ』の犬の街みたいに見えてしまうのがとても残念。あの種族が「バケモノ」とか「野獣」とか呼ばれるというのは違和感が、、、。

・熊徹の周りの二人のキャラクターが今ひとつ。コメディリリーフなのかもしれないが、その効果が十分活きていない。今までの細田作の魅力的な脇役と比べると今一歩。

・物語の中盤でキーとなる、一郎彦の変容が十分描写されていない。弟の二郎丸の描写に比重が置かれて(それによる影としてわざと描いていないのかもしれないが)、肝心の一朗太の闇がうまく描かれていないのが残念。牙の件とかはあるけれどもそれがどう闇を拡大させたかが描かれていれば、クライマックスのスペクタクルはより観客に響いていたように思う。映像としての鯨のシーンは、街に異様なものが現れて破壊をもたらす、デジモンに通じる迫力のあるシーンなだけに、一郎彦の変容が充分描かれていたら、テーマ的なカタルシスの規模は大きく違ったと思う。
 (少年の闇が渋谷の街に広がるところ、同じく超常能力を持った、闇を抱えた少年がそれを東京の街に解き放つ橋本治『暗夜』を思い出したのは、ロートルファンの僕だけであろうか。ここはヴィジュアルの魅力含めワクワクする)

・ラストのカタルシスは、熊徹が付喪神になってしまい、その場で九太と一緒にキャラクターとしての熊徹が戦うシーンがないのは残念。一緒に戦っていると言えば戦っているが、細田作の他と比べて、共同して働きかけることによるカタルシスが弱かった。

 あと蛇足ですが(メルヴィルの『白鯨』を読んでいない僕が書くのも変なのだけれど)、文学論で時々取り上げられる『白鯨』を物語の補助線として描いている中で、メタフィクションの文脈につながるような部分が感じられなかったのは、少し残念かも。

◆関連リンク
『白鯨』アメリカン・スタディーズ:みすず書房

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