土曜日、プラネテスの後の『うる星』をみてから『イノセンス』を観にいくと、その映
像の違いにめまいがしてくる(くらべるなって!)。
フランスかどこかで、押井守レトロスペクティブとか開催して、何も知らない外国人
に、同じ一人の監督のフィルムとして、TV『うる星』と『イノセンス』を続けて上映して
度肝を抜くのが楽しいかも。
映像表現の進化の凄さ。
我々21世紀の映像ファンは、現在のCGがフォン・ノイマン型コンピュータのひとつ
の成果とすれば、リュミエール兄弟には足を向けられても、ノイマンに足を向けて眠
るわけには行かないでしょう。ってな凄さ。
こと映像に関しては、ハリウッドの先端の映像でも、これには(2Dのアニメ絵の部
分以外)、勝てないかも。
映像体験を脳内へ注入される実世界に存在しない視覚情報の芸術と定義したら、
間違いなくトップレベルの出来でしょう。(持ち上げすぎ(^^;))
あと音もアニメとしては、相当気合を入れて構築されているので、ドルビーサラウ
ンドの劇場を推奨。「Follow Me」の歌のボーカルの吐息、舌の艶めかして動きまで
リアルに聞こえます。タバコの音、鳥の羽ばたき、バセットハウンドの尻尾をふる音
、、音響も凝っている。これって、ルーカスのスカイウォーカースタジオの音響デザイ
ナーがやってるらしい。
★★★★★★★★★★★★★★
ということで、ネタばれは、下記。
★★★★★★★★★★★★★★
映像的な部分以外で言えば、「身体」に関する古今東西の哲学の引用が過剰に
満ちている。実は僕は引用と思わずに、押井の考えかと思って(^^;馬鹿!)必死
にセリフを聞こうとしていたのだけど、、、。(押井インタビュー参照)
全てを引用で埋めたかった、なんてことも言ってる。
過剰さは映像だけでなく、言葉による情報にも言えたわけだけれど、そのあたり
も上記インタビューで触れられていて、言葉も映像といっしょで全部把握できなくて
も良い映画の「背景」なのだというのは、言われてみればもっともだな、と。
インターネットの『イノセンス』関連の感想やらを読んでいると、ほぼその映画の
「背景」のひとつである言葉とか、ストーリーとかについての記述がほとんど。
この映画は、僕はそこの部分は、実はあまりたいしたレベルのことを言ってない
のではないか、と思う。セリフも全部認識できてないのに、ずいぶん大雑把な感想
だけど、、、。
それよりもこの映画の凄いのは、言葉とストーリーに加えて、映像・音・音楽をト
ータルで観た時の「映画」そのものとして立ち現れてくるイメージの凄さかな、と。
ストーリーはSACの方が面白いものが何本もあったように思うし、身体のSFとして
も、本質的には、凄いレベルとは思えない。凄いのはやはり映像の過剰さと思う。
そこが全体を底上げして、「映画」として、先端に行っていると。
ただ残念なのが、セル画の人物。
全体の映像の中でみて、ここはどうしても薄っぺらく観えてしまう。
沖浦作監とかのアニメかな(クライマックスのバトーの戦闘?)、という通常の2D
アニメとして観ると凄いレベルの作画もあるけれど、全体の映像表現の中では、
少しさみしい。
ここの表現、うまい手書きアニメ表現を、どう3D+ディジタル処理映像に嵌め込
んでいくのか、というのが、日本アニメ映像の先端の課題なんだろう。
で、さっきから凄い凄いと言っている映像だが、これはひとことであらわそうとす
ると、ゴシックで中国大陸的な主に建造物の映像、というか。、、、押井はチャイ
ニーズゴシックという指示を美術に出してたらしい。
どこにもない映像なので、表現するのが、難しいのだけれど、無理に分類する
としたら、ブレードランナーが描いたサイバーパンクな映像の延長線上にあるもの
なのでしょうね。
で、そこに中国とか東南アジアとかロシアとか、広範囲なアジアのテイストが
過剰に盛り込まれた、というか。
本当にこの多民族文化ごった煮+未来の描写は、国際的な民族文化の各芸術
を分析する視点から論評を構築する事が必要かも。通常の映画評論家の論旨の
中からは、たぶん正確な評価はできないのじゃないかな。
大阪の民族博物館とか、民俗学的芸術的を分析してる人たちの論評が読んで
みたい。東南アジアのマスクとか、中南米のおまつりの民族具とか、、、、、そう
いうものの映像と建造物で構築された映像なので。
『ブレードランナー』、『ロストチルドレン』とか、第一作の『攻殻機動隊』、『スワロ
ウテイル』とか、あと『GADGET』とかゲームCG、その延長上にあるような気もする
けれど、遥か高みへ行ってるかも。種田陽平はインテリアデザインをしたようだけど、
建造物のメインデザイナーは誰?
ということで、このへんで。映像について褒めすぎたが、息をのむことだけは確実。
この映画、ジブリがプロデュースしてヒットさせようと、いろいろやってるが、絶対
メジャーには受け入れられないだろう。こんなマイナーな身体の哲学と、オタクなガ
イノイドな話と、先端の映像芸術と、ヒーロー性のない中年のおっさんの映画が、
大ヒットなんかするわけない。
鈴木プロデューサも、あまりにジブリヒット神話が巨大化しすぎると重いから、時
々『おじゃまんが』とか押井先端映像とかで、わざとはずしてるのかな(笑)。
それかただ宮崎で当てただけで、プロデュース感覚は凡庸なのか。
ヒットさせたかったら、こんな映画にはならないと思うけど、、、。
◆関連リンク
・都市論としての『イノセンス』 五十嵐太郎氏(建築評論家) 公式ページより以下引用。全文、なかなかかっこいいです。
そもそも、「ゴシック」の語源は、イタリアのルネサンスの建築家が、北方の野蛮で奇怪なデザインという侮蔑的な意味を込めて、ゴート風と呼んだことに由来する。つまり、他者の様式である。理性的な古典主義に対する、情念的なゴシック。情緒を表現しようとした『イノセンス』が、ゴシックを選んだのは偶然ではない。ゴシックは理解不能なものを含意する。
18世紀頃からシノワズリと呼ばれる中国趣味が建築や庭園に導入されるのだが、正統な古典主義の規範とはまったく違う、異質な世界観を表現するものだった。当時、絶対的な古典主義の価値が相対化される動向なかで、ゴシック・リバイバルも登場している。つまり、様式のイメージという視点に立てば、実はゴシックと中国風は親和性が高い。中華ゴシックは、二重化された他者の様式である。
・五十嵐太郎氏の日記ページ
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