« ■香川県直島『地中美術館』オープン | トップページ | ■新刊メモ 『スタンリー・キューブリック―写真で見るその人生』他 »

2004.07.25

■映像の極北は切りひらかれたか?
        大友克洋監督 『スチームボーイ』(2004)

 東濃地方ではすでに一日3回しか上映されなくなっているようでヒットしてないのではと心配だったのですが、週末の夜にほぼ満席で少し安心。
 eiga.comの[トップ10速報]で興行収入は、公開第一週は4位。

大友克洋が9年間と24億円を費やした注目作「スチームボーイ」が食い込んできた。3日間での興収は2億3000万円強、土日の2日間では「イノセンス」を10%ほど上回っているという。

 観終わった印象は、正統派冒険活劇映画(※1)+19世紀後半のありえたかもしれない未来のテクノロジーと人類の関係の話(※2)ということで、僕としてはテクノロジー描写が一番、面白かった。
 ありえたかもしれない未来というのは、オルタネーティブSFという奴です。でもオルタネーティブSFとしてのストーリーでの飛躍と、映像の革新という意味では、物足りなさを感じた。
 (※1映画では科学と言ってますが、ほとんど技術の領域 ※2技術をどう使うかという問題へのアプローチの話)

◆蒸気テクノロジーのダイナミズム
 1866年、蒸気による産業が円熟に達したロンドンが舞台。石炭を燃やす煤煙と蒸気にむせぶテムズ川畔の工場群と万博の華々しい建造物は2005年の日本の万博(まだ観てないけど)と比べると、栄華を極めた英国の底力と、蒸気機械のダイナミズムを感じさせます。
 産業として蒸気エネルギを用いた機械によるテクノロジのダイナミズムは、現代の情報産業のチマチマしたモニターとキーボードというアイテムに比して圧倒的迫力です。銅が導電性で語られるのではなく熱伝導率と比重のみで語られ、シリコンが唯の石ころであった時代、、、、今では信じられないですが、電気と半導体が存在しない世界(※3)のメカニクスシステムの描写が本作の主題でないかというくらい、充実しています。
 電気のない時代(※3)のヒューマンマシンインターフェイス描写(一部機械によるバーチャルリアリティというかテレイグジスタンス)。手に歯車がついていてそれが操作盤へはめ込まれ、腕と手の動きが歯車の細かい動きとして伝達され巨大機械を動かす描写が圧倒的迫力。以前ギブスンの『パターンレコグニション』の記事で紹介した純機械式の計算機が拡大して巨大システムを形成していると思ってください。加えて伝声管と鏡を使ったモニターという神経系。AKIRAでは電線が重要な役割を果たしたが、電線の変わりに圧力と歯車が複雑に連係したメカニクスシステムが本作のもう一つの主人公だ。
 ということで、こんなテクノロジーの描写を楽しむには、本作は細部に渡って凝っていて(技術史的にフィクションになってる部分はいっぱいありそうだが、、、)最高。
(※3 電気の歴史はこの電気年表を参照すると、スチームボーイの1866年には電球はまだ発明されていない(1879年byエジソン)けれど、マクスウェルの方程式とかは発明(?)されています)

◆テクノロジー思想としての物語
 肝心のストーリー テクノロジーと人間の関係話は、今ひとつ未消化な印象。祖父と父の思想の違いとそれにより世界と対峙していく少年、というのはなかなかいい設定なのだけれど、家族の話になっている分、広がりに乏しい。
 で、そうした思想の決着のない混沌を描きたかったのだろうけれど、整理が出来てなく観客には物足りなさが残る。特に父親の技術思想が浅く感じられ、こことスティーブンスン(だっけ?)をもう少し整理して唯のマッドでなく、きちんとした大人の思想を描写してたら、充実したろうに、と思えて残念。

◆冒険活劇漫画映画の少年の視点
 あとは宮崎駿『未来少年コナン』へのオマージュ?ってな具合の少年の活劇部分はそれなりに楽しい。しかし肉体の頑張りの点でコナンのシチュエーションとそれに対する的確な行動描写にはかなわなくって不十分な感じ。主人公レイの動きに観察力と行き当たりばったりでなく考えられた行動の描写があったら、もっと良かったと思うけど。んで、子供向きにしたことで、主人公が良い子すぎる気がするのだけど、大友らしい健康優良不良少年なパンクなテイストがあったらもっと凄い映画になったと思う。
 あと映像的には、俯瞰の絵が少ない。主人公レイの視点で描いているのだろうけれど、何が周囲で起きているかもう少し観たい!と思ってしまった。世界が狭い気がしたのはこんなところが影響しているのかも。

◆そして映像の極北は切りひらかれたか?
 『イノセンス』が映像の極北を広げたという感じだったけれど、『スチームボーイ』はある懐かしい世界を再体験させたって感じ。映像は丁寧でアニメのレベルも高いのだけれど、大友の絵を丁寧に動かしましすぎたってイメージで、旧来のアニメの枠を脱していない。アニメとしては優等生的で、おっ、これは天才的アニメートって部分はほとんど感じられない。大友独自の絵は、かつてマンガ界に革命を起こしたのだけど、それをアニメートする時の方法論としてきっちりやりすぎないで、パンクに崩してどうあの絵のイメージを動きで表現するのか?という命題の建て方が必要なのかもしれない。アニメータで言えば、誰のイメージかな?(適当な人を思いつける人は是非コメントください。)
 あと極北なイメージのなかったのは、なんでかな?CGの進化をセルアニメと上手く融合しているのはわかったけれど、セルアニメに合わせすぎということかも。『イノセンス』は『アヴァロン』の実写との融合の視点から、セルアニメをCGに合わせようとしたタッチがあったからかなー。『イノセンス』はアニメの枠ではなくって、100年の映画の枠をどっか超えたって凄さがあったのだけれど、、、いや何が凄かったのか、私の解析能力では充分分析できてないですが、、、、。
 で、『スチームボーイ』、続編の話もあるようだけれど、僕は大友氏に漫画でやってもらいたい。長らく読めない大友漫画をここらで堪能したいじゃないですか?で、今度はまた漫画で極北を切り開いてもらいたいと思うのです。映画に手を出すと、次、また16年かかるのだけは勘弁してね。

◆関連リンク
・押井守が大友克洋に語る「大友さんみたいな方法でやってたら、『イノセンス』なんて一生できないよ」
・モノホイールバイクの動画はここから
monohoilebyc.jpg
■現代の蒸気兵 UC Berkeley BLEEX Project(すぐ上の記事)

|

« ■香川県直島『地中美術館』オープン | トップページ | ■新刊メモ 『スタンリー・キューブリック―写真で見るその人生』他 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■映像の極北は切りひらかれたか?
        大友克洋監督 『スチームボーイ』(2004)
:

« ■香川県直島『地中美術館』オープン | トップページ | ■新刊メモ 『スタンリー・キューブリック―写真で見るその人生』他 »