■古川日出男著『ボディ・アンド・ソウル』(双葉社刊)
昨年の『サウンドトラック』に続く古川日出男の最新作は、作家フルカワヒデオの一人称で語られる物語の創造を描いた小説。
フルカワが新しい小説の構想を得て、イメージを膨らませるシーンが、主に編集者との関係のうちに多種書かれている。これが本当に古川日出男の創作の現場であるかどうかというのは、かなり疑問であるが、なかなか興味深い。(登場する架空の新作の中では、僕はディストピア小説『ドストエフスキー・リローデッド』が是非読んでみたい。なんか凄そうでしょ。『アラビアの夜の種族』の文体で描かれる再装填されるドストエフスキー、、このイメージ喚起力!!)
小説全体は、現在の軽薄な日本の生態が、フルカワの日常として現代的な躁状態の文体で描かれている※1。しかし読み続けていくと、現れる別の断面。少しでも書くとネタばれになるので止めておくが、この側面が現れるところがゾクゾクした。軽薄な日常/ギャグの中に深刻な話がチラチラ顔を出す部分は、鴻上尚史の第三舞台の芝居を思い出させる。鴻上尚史が随分前に書くはずだった小説版『朝日のような夕日をつれて』は、この古川の本に近いものになっていたのかもしれない。演劇をやっていた古川日出男が『朝日のような夕日をつれて』を知らないはずはないので、本作に絡めてどっかでインタビューで触れる人がいないか、期待したい。
※1 古川日出男の小説は、文体の幅がかなり広い。わざと広げているように感じられるのだけれど、今回の躁文体は初読の人にはかなり誤解を招きそう。実は『アラビアの夜の種族』みたいに重厚な文章や、『アビシニアン』のようにリリカルな文体も書ける作家なのです。ファンの人には言わずもがな。
※2 いろいろな小説や音楽や舞踏についても文中で語られていて楽しめるが、P234の藤子・F・不二雄「劇画・オバQ」の解釈は切ない。「藤本氏から安孫子氏にむけた決別のメッセージ」という解釈は、藤子不二雄ファンの間で一般的なのかな?ウェブで検索してみたところ、この解釈は見当たらないけれど、、、。古川が本書のイメージに合わせて解釈した新説なのかも。詳しい方、コメントください。
◆関連リンク
・『ボディ・アンド・ソウル』(Amazon)
・作家・古川日出男氏非公認の情報サイト 古川日出男センター ―仮営業所―
・古川日出男の著作(Amazon)
・第三舞台『朝日のような夕日をつれて』 第1回公演 '85 '87 '91 '97
・鴻上尚史 戯曲集『朝日のような夕日をつれて』(Amazon)
・評論家、アンソロジストの東雅夫氏の「◆◆◆幻妖通信◆◆◆」第12号に記事。
古川日出男の『ボディ・アンド・ソウル』は……あの『ケルベロス第五の首』や『生ける屍』に勝るとも劣らない(!?)大変な野心作にして問題作である。
・cakeさんのページに『小説推理』連載時の本書の感想があります。
★★ネタばれ!!! 注意★★ 以下は必ず読後に!!
(やっぱり我慢しきれずに書いてしまおう!!)
ラストは、とにかく切なくていい小説になっている。文中で触れられる「生涯---読んだなかで一等賞の"すばらしい一行目"を所有している」ナイジェリアの作家エイモス・チュツオーラ『文無し男と絶叫 女と罵り男の物語』は、僕は読んだことがないのだけれど、本書は僕が読んだ一等賞に近い"すばらしい最終行"を所有する一冊になりました。最終前の1ページとこの最終行の喚起するイメージが、とても広大に思えたのは僕だけではないと思う。こういう叙述によるトリッキーさだけでなく、心情的な拡張のある小説が好きなのです。
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