■オラフ・ステープルドン『最後にして最初の人類』
浜口稔訳 (国書刊行会刊)
中学の時に、繰り返し図書館で借りた『SF教室』筒井康隆編(昭46ポプラ社)でその紹介文を読んで以来、ずーーーーーと読みたかったステープルドンの『最後にして最初の人類』をあれから約30年たった今、読了。訳者の浜口稔さんに『SF教室』ファンは足を向けて眠れません(^^;)。中学の時に、なんて小説が世の中にはあるんや! と読みたかったわけですが、あの紹介文(by.伊藤典夫氏?)のワンダーに近いものをしっかり感じて、読み終わった。
◆まずは総論
本書は1930年(昭和5年!)に書かれているので既に74年前の本であるが、噂にたがわぬ傑作SFであった。これが74年前に書かれていたとは驚きである。SFファンと気宇壮大な話の好きな人は、必読です。ひさびさどまんなかのSF。
20億年の地球人類の歴史の全体像をこのように描き出している想像力に感動。今、このような遠大で哲学的試みをできる作家は他にいないのでは。現在の作家が描く20億年も是非誰かの筆で読んでみたい。この本の翻訳をきっかけにして、日本人で挑む作家がいることを強く望む。
たぶんステープルドンは、地球と人類の未来を切実に見たいと思ったのではないか。僕も自分が死んだ後の人類の未来をみることができないのが、いつも悔しくってしょうがないのだけれど、本書はその欲望の何分の一かを満たしてくれるものだった。驚異の未来に立ち会えないことの悔しさを感じたことってないですか?
◆各論のよーなメモ
で、あとは読みながら思いついたことを、メモ的に、、、。
・空を飛行することを一種の理想として描いているのは、1930年当時に飛行機というテクノロジーの持っていた意味と無縁でないと思う。
・宇宙旅行の概念が出てくるのが随分後。これは現在書くとしたら、もっと前面に出されるでしょう。
・核兵器を開発した中国人。この部分が唯一、普通の小説的に個人の視点で物語られている。ここで少しほっとしました。冒頭から歴史的筆致で書かれていたので、最後まで読めるかと危惧したのだけど、各人類の描写にアイディアとワンダーがあって、驚異の未来を体感しながら、ちゃんと読み進められるのでご安心を。
・どの人類に対しても著者の知的生命への愛情が溢れている。
・A・C・クラークらへの影響。オーバーロードとオーバーマインドや、2001年へも確実に影響している。それらの存在すら、本書の20億年の人類の諸相にとってはちっぽけな一過程にしか思えないところが凄い。
・我々20世紀人はついテクノロジーで文明の進化をはかるのだけれど、ステープルドンはどちらかというと精神的な進化で文明を描こうとしている。テクノロジーとしてはメカでもエレキでもなく、バイオ。しかしDNAを知らない時代にこう描けてしまうのもなかなか凄い。
・過去を見ること。未来から過去への干渉。つい、『ケルベロス第五の首』を読んだあとなので、第18期人類の一人が第1期人類である著者を通して本書を語っているところに叙述的陥穽が潜んでいるのではとか、疑ってしまった。20億年のときをへだてた凄い規模の叙述トリック、、、。タイトルの『最後にして最初の人類』というのはこの第18期人類の一人が第1期人類である著者を通して、というところを表現した邦題なのでしょう。
・訳者解説で興味深かった一節です。『スターメイカー』も読まねば。
本作品の未来人類にしても、その退化の様は異様で奇怪。どう見ても弁証法的に肥え太っていくような進歩史観を展開しているように思われません。それなのに、読後感として人類への悲観も神への不信も感じることができないのです。この堅固な哲学的確信の出自はどこにあるのでしょうか。
◆関連リンク
・岡本俊弥氏のレビュウと年表(LOGスケールが嬉しい労作)
・訳者の浜口稔教授 (明治大学理工学部 総合文化教室 英語第3研究室)の大学のHPでの自己紹介文。ステープルドンを教えられているのではなさそうです。
これまで欧米の言語思想をもとに言語生物<ヒト>の存在の不思議をおっかけてきましたが、最近は東アジアと南洋の歴史・地理・自然を背景にした諸文化の湊(みなと)としての琉球の奇妙な個性に惹かれまくっています。おもしろそう? なら、総合文化ゼミナールでお会いしましょう。
・森下一仁氏のレビュウ。最後技術論でまとめてしまっているのが、ちょっと今ひとつか。
・オラフ・ステープルドンの作品解説
・すみ&にえ「ほんやく本のススメ」さんによる本書の対話レビュウ
・『最後にして最初の人類』(Amazon)
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