■福井晴敏
『月に繭 地には果実―From called “∀”Gundam』
『月に繭 地には果実』(Amazon)
ハードカバー版を図書館で見つけて、あの福井晴敏の書いた『ガンダム』ということで、かなり期待して読み始めた。しかしどうでもいいけど、ハードカバー版の表紙(画像右)は通勤電車で読むには酷です。文庫版が渋い表紙なのに何故?責任者出て来い!と言いたい。(ハードカバー版は「著者自身のプロデュース」らしいので、責任者は福井氏か?)
『∀ガンダム』をほとんど観たことがなかったので、冒頭の月の女王ディアナと地球の令嬢キエルが同じ顔だとか、主人公ロランの金魚のオモチャだのといったいかにもアニメチックな設定に引いてしまった。で、しかもなんか文体が富野小説に近い(富野小説を読んだのは既に20年近く前なので、保証の限りではありません(^^;))。
『亡国のイージス』『終戦のローレライ』の重厚な文体でガンダムを読めると期待した私が馬鹿だったのかと、細かい字/残りの分厚い頁を後悔の念とともにじっと見てしまいました。
でも地球最終戦争後に月へ移住していた人々が復興しかけた産業革命直前といった風の地球へ戻ってくるというなかなか壮大な小説世界に惹かれて、アニメチックな設定には眼をつぶって読み進めた。結局、シオニズムからジオンが名付けられた『ファーストガンダム』と同様に、この小説は故郷を無くした民族が元の土地に帰ろうとして武力で衝突するという人類永遠のテーマの再話であり、それを福井晴敏がどう描くかという興味が沸いたというわけです。
で、人類が繰り返すジェノサイドの歴史に、新たに月を含んだ一頁が築かれる、というわけ。クライマックスは福井版の方がアニメ版よりハードらしい(下記リンク参照)。重力の井戸から宇宙へ出るための巨大な宇宙振り子(?)<ザックトレーガー>とか、最終兵器<カイラル・ギリ>とかSF的ガジェットは原作のものだろうけれど、雄大な世界観を福井流の緻密描写で読ませてくれた。ニュータイプも描かれるけれど、残念ながら、それほど新鮮味はなかった。
◆関連リンク
・終戦のターンA 『月に繭 地には果実』 接触篇 アニメとの違い
例えば登場人物では、シド爺さんの相方がジョゼフではなくウィル・ゲイムに変わっていますし(ゆえに、フランの付き合っている相手が会社の同僚という一度も出てこない人間になっている)、フィルの部下もテテス・ハレになっています(なので、しまいにはサブタイトルにまでなってしまったポゥの泣きっぷりが拝めない)。ボルジャーノン(ザク)のパイロットでソシエと婚約した挙げ句、核兵器で壮絶に命を落としたギャバンは存在すらありません(そのため、ソシエの寝取られ属性がなくなっている)。個人的に好きだったリリ・ボルジャーノンは幼少の頃病死したという扱いにされています(そのせいで後半の展開がグダグダになってしまっています)。
とにかくここで言えるのは人が大量に死ぬ、ということです。『ターンAガンダム』は(富野作品としては)人があまり死なないことで有名なのですが、そんなアニメ版など嘲笑うかのような惨殺っぷりです。
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コメント
究極さん、こんばんは。
「月の女王と地球の令嬢が同じ顔」という設定が、いきなりお目目のでかいアニメ顔をイメージさせて、のけぞったのです。
先日のNHKトップランナーやBS2ガンダム特番で、ガンダムを語る福井晴敏氏をみました。ファーストが「義務教育」で、富野氏が仲人とは、なんと濃いガンダムの血(^^;)
投稿: BP | 2005.08.22 23:32
「同じ顔の姫と平民が入れ替わる」のが「いかにもアニメチックな設定」ってアンタ。とりかえばや設定をつかったフィクションは全部アニメを連想するわけですか。
「アニメチック」には引くけど福井は「重厚」。君おもしろいな。
投稿: 究極 | 2005.08.22 21:37