■ジーン・ウルフ 『デス博士の島その他の物語』
The Island of Doctor Death and Other Stories and Other Stories
SFマガジンで「デス博士の島その他の物語」と「アイランド博士の死」は学生時代に読んでいたのだけれど、面白かったという以外、実にきれいさっぱり忘れていました(^^;)。というわけでほとんど初読の楽しみを今回味わいました。
面白かった順に書くと「アイランド博士の死」「デス博士の島その他の物語」「アメリカの七夜」「眼閃の奇跡」「死の島の博士」。僕は「アイランド博士の死」が圧倒的。本当にすごい作家だと感じました。
技巧派とか叙述の人だとかの評判は確かにそうなのだけれど、この一冊を通して読んでみて、書くことによるユニークなイメージの構築と書かないことによる想像力の刺激とが、渾然一体となって素晴らしい小説世界を作り出している。本当に凄いので、小説読みの皆さんには是非ともお薦め。
では、一編づつの感想です。ネタばれ全開ですので、ご注意を!!
◆「デス博士の島その他の物語」 The Island of Doctor Death and Other Stories
ある陸つづきの島に住むタックマン・バブコック(タッキー)という主人公の少年を二人称で描いた短編。少年の読む本『デス博士の島』の現実への侵入と、離婚後再婚を考えている母親とタッキーの物語。
スティーブン・キング『シャイニング』を思い出した。どちらかというとその映画化作品キューブリックの『シャイニング』のホテルのバーに現れるゴースト達のイメージかもしれない。
健全な魂の持ち主として描かれる少年の心に家族環境の影響が出ていることは明らかであるが、そこは直接描写されることはない。その影響の描写としての本の世界の現実への侵入。そして少年が短編の最後で見る母親の実態と本の結末。ラストの一文が物語の重層的な構造から様々なイメージを想起させ、深い味わいを作り出している。
「きみだってそうなんだ、タッキー。まだ小さいから理解できないかもしれないが、きみだって同じなんだよ」
◆「アイランド博士の死」 The Death of Dr. Island
木星の白斑上空に浮かぶ強化ガラスで作られた人工の衛星。その中に作られた海と人工知能(らしき)島であるアイランド博士。そしてそこで精神病の治療を受ける三人の登場人物。、、、このイメージだけで僕は既にイチコロです。こういうのを読むと、つくづく「SFは絵だ」という名言を思い出します。
精神病の治療を受ける三人のうちの一人、脳梁をメスで切られ二つの分離した脳を持つニコラス少年が主人公の三人称小説。しかしその治療の真の対象は○○○らしい。
ここでは主人公が実はその世界の主役ではないことがほのめかされ、そのことによる不気味な不安感が物語りのトーンを支配している。ここがこの短編のひとつの大きな魅力になっている。「デス博士の島その他の物語」が二人称で語られていることで真の主人公が物語りの外部に存在する気配を感じさせていたのを想起させる。
僕が凄いと思ったのは、主人公ニコラスがアイランド博士との会話で過去の母親との記憶を話すシーン。アイランド博士に話したニコラスの言葉「あんたは復活祭の飾り卵だ」。それからアイランド博士の推定「復活祭の卵はきれいな色に染まっているし、私の色彩は美しい-そういう意味だね、ニコラス?」。
その後に記述されるニコラスの記憶。
その卵は母が面会日に持ってきてくれたものだが、母にそんなものが作れたはずはなかった。(略)その金色は、精密機器をシールドするのに使われる純金のそれだった。卵の表面に小さな星をちりばめた結晶炭素の透明な薄片は、実験室の高圧炉の産物としか考えられない。(略)卵は二人のあいだの無重力の中にうかび、香水の匂う母の手袋の記憶とともに、ゆっくり回転していた。(P103)
これはアイランド博士に語られることはない。人工知能の持ったものと少年のイメージのあまりの落差。とりわけ少年のイメージの質感を想像すると胸にぐっとくる。そしてここが「デス博士の島その他の物語」へ繋がっていく。こうした部分をSFが持ちうる情感の最先端と呼んだら、誉めすぎだろうか。
◆「死の島の博士」 The Doctor of Death Island
殺人を犯して刑務所で暮らす主人公アルヴァードが癌にかかり延命のため冷凍睡眠に。
そして数十年後、癌治療どころか永遠に生きられる生命技術を得た人類を目の当たりにするアルヴァード。その世界では彼が発明した読者と(人工知能で)対話する本が普及しもはや人は識字能力を失いかけている。
ウィルスのように本を侵食していくディケンズのキャラクター。死と病から逃れた世界を描いているのに、何故か読後は相当に病んだイメージ。悪夢のような対話する本と刑務所の息苦しい描写が作り上げたイメージだろう。
◆「アメリカの七夜」 Seven American Nights
ミュータントだらけの未来のアメリカへやってきたイランの青年ナダンが経験する幻惑に満ちた世界。これをナダンの日記という体裁で描いた小説。
劇場で買った六個の卵菓子のうちのひとつに自分が仕込んだドラッグ。これをロシアンルーレットのように一晩にひとつづつ食べるナダン。どこからが幻覚でどこからが現実なのか、それが未来世界の幻惑とまじりあって、アメリカなのにとても中東風な幻想的世界に感じられた。
朝食をとるホテル近くのレストランを描写するところがわざと矛盾させてある。叙述によるトリックのウルフによる読者への信号。丹念に追っていったらきっとどれがドラッグの幻覚かわかる仕掛けがあるのだろうけど、僕はあきらめた。
そしてラスト。ナダンが出会って恋した女アーディスとのデート。「これまでの一生で、あの小さなボートに乗っていたときほど幸福だったことはない。」そうした甘ったるい砂糖菓子のようなどこにでもある恋愛風景の後に仕掛けられたウルフの罠。ここでは暗闇の中でナダンが酒に灯された明かりで見たアーディスの真の姿に関する描写は少ししかない。恋愛シーンに感情移入した読者は自らの想像力で幻想のトラウマを味わうことになる。
◆「眼閃の奇跡」 The Eyeflash Miracles
網膜が破壊された少年リトル・ティブの物語。少年の一人称で一見ジュヴィナイル的な描写。そして明らかになる医学実験と少年の秘密の能力。
頭のねじが外れた教育長パーカーさんとその召使いニッティ。見えない巨大女とキリストを意味するライオンと神学のプリティーヴィー博士と足の悪い女の子ドロシーと、「わしの話しのネジを巻いてくれ」と言う銅男。
少年の空想と幻想がないまぜになり、これまた幻惑的な小説世界となっている。こう書くとファンタジーのようですが、それでも硬質なSFフィーリングに満ちている。
◆関連リンク
・未来の文学『デス博士の島その他の物語』 (amazon)
・ジーン・ウルフ 岡部 宏之訳『新しい太陽の書① 拷問者の影』 (amazon)
しばらく前に復刊されたが、現在amazonは品切れ。私は『独裁者の城塞』と『警士の剣』を先週買いました。来週から読む予定。
・国書刊行会告知 「SFに何ができるか――ジーン・ウルフを語る」
★三省堂SFフォーラム★ 『デス博士の島その他の物語』刊行記念
柳下毅一郎さん・山形浩生さんトークショー
日時:3月4日(土) 開場17:30 開演18:00
場所:三省堂書店 神田本店8階特設会場
・若島正氏のただし書き 「デス博士の島その他の物語」ノート
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SFマガジン掲載時「デス博士の島その他の物語」(左)は、A・デイビットスン「どんがらがん」と同じ号('72.11)。なんか凄いですね、SFって過去の資産でまだまだ食えるということでしょうか。にしてもイラストが楢喜八とは選んだ編集者はどういう感覚?(楢氏のイラストは大好きなのだけどさすがにウルフには合わん)
「アイランド博士の死」(右)は、ティプトリーの「愛はさだめ、さだめは死」と同じ号('75.9)。こちらは中村銀子氏のイラスト。翻訳は伊藤典夫氏と浅倉久志氏の共訳ですね。
・殊能将之氏のケルベロス第五の首:勝手に広報部
『デス博士の島その他の物語』のリンクもあります。
殊能氏の「アメリカの七夜」の“真相” インターネットの諸説をチェックして一押しの解釈も紹介されています。
・2ch 【新しい太陽の書・ケルベロス】ジーン・ウルフ第2の首
06.3/5付けNo.418の書き込みに、柳下毅一郎・山形浩生トークショーのレポート。
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