■田草川 弘『黒澤明vs.ハリウッド
『トラ・トラ・トラ!(虎 虎 虎)』その謎のすべて』
文藝春秋社 自著を語る 田草川弘×野上照代対談 (公式HP)
田草川 弘『黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて』(Amazon)
◆注意!
この本を読もうと思っている黒澤ファンは、本のあとがきと上記リンクの著者と野上氏の対談を先に読まない方がよいです。著者があとがきに仕掛けた素晴らしいエッセンスを体験できなくなります。
◆総論
映画のメイキング本が好きで、中でも黒沢明の現場が知りたくて関連本は20冊近く読んでいると思う。それらいくつもの本でミステリアスに語られていた『トラ・トラ・トラ!』の黒澤明監督降板。この本はその38年前(1968年12月)の謎に迫った一冊。黒澤ファンとしては、その真相/深層を切実に知りたいと思っていたけれど、既に本人も亡くなり真相は既に藪の中と思っていただけに出版に驚くとともに、大いに期待して読んだ。
読了、結果は素晴らしいの一言。いままで読んだ黒澤ドキュメント本の中でもベスト1ではないだろうか(上記リンクの対談で、黒澤の盟友 野上照代氏も絶賛されている)。黒澤の映画づくりの現場のルポとして、そして問題の降板の謎について迫真のドキュメントとなっている。
謎の解明の深度と多面的分析の素晴らしい完成度。日本国内では情報を得ることができず、アメリカへ資料探索と関係者インタビューに赴いた著者の行動力と、センセーショナリズムに傾かない真剣な筆致がとてもいい。多数の関係者の気持ちを尊重しながら、客観的に丁寧に描いた一級のルポルタージュになっている。
◆黒澤版『虎 虎 虎』
本書はまずロサンゼルスのAMPAS(映画芸術科学アカデミー) マーガレット・へリック図書館のエルモ・ウィリアムズコレクションで発見された黒澤と小国英雄、菊島隆三による脚本第一稿(準備稿)を紐解いて、読者に幻の黒澤版『虎 虎 虎』の映像イメージを提示する。シナリオの一部採録と田草川氏の解説により、脳内投影された黒澤版は圧巻である。
『虎 虎 虎』は「誤解の積み重ねによる、能力とエネルギーの浪費の記録」であり、運命的な「悲劇」である、と黒澤監督はつねづね語っていた。(略)
「おそろしい運命が待ち構えている。そのことを知って、避けよう避けようと懸命に努力する。それなのに、かえってその運命に引き寄せられてしまう。これだけはやるまいと苦労していた人間が結局その最も恐れていたことを自分でやってしまう。」 P23
戦争の本質をまるごと描こうとした黒澤のコンセプトがイメージとして立ち上がる。
どこかに悪役がいたからという単純な図式ではない、戦争へ至る人間たちの怪異なメカニズム。その全体像が提示される素晴らしい映画になっていたような印象である。
ずっと黒澤が撮っていたらどんな映画になっただろうという幻を想い描いていたファンには、この部分だけでも、第一級の贈り物になっている。
具体的には、山本五十六の人物像に関する黒澤の解釈と描写が面白い。そしてファーストシーンとして構想された山本の長官としての新任式「登舷礼」の演出プラン。音と映像の黒澤マジックがシナリオと解説で、読者に素晴らしいイメージを伝えている。
巨大で無気味な圧迫感、その運命から逃れられない人間、それを天から俯瞰する目。具体的映像で表現できるはずもなく、スクリーンには映っていない何か恐ろしいものを、観客は想像することになる。「(観客が)想像したものよりいいものを撮るのは、僕は不可能ではないかと思うのです」という黒澤の言葉がある。自分の撮る映像は凄い。そしてそれを超える映像は、自分が観客の脳裏に想像させてみせる、という強烈な自信の表れだ。P109
◆降板
そして謎の真相。ここについては多面的な見方がされており、いくつかの複合的偶発的な要因が大事を引き起こす過程が生々しくルポされている。登場人物は、20世紀フォックス社長のダリル・ザナック、プロデューサー エルモ・ウィリアムズ。黒澤プロ青柳哲郎氏等々。
今まで読んだいろいろな本で述べられていたことが、全てある視点からみたら原因として正しかったようにみえる。そうしたいろいろな要因が複合的に「降板」という一点に収束していったということである。ただ上記対談で田草川氏が要約して語っている。
原因は配役にあった。素人俳優の起用というのは、現場からみたらたいへん危険なことで、三船敏郎さんもこれを批判されていました。
田草川氏は多面的な原因ではあるが、特にキーとなったのは、黒澤がリアリティにこだわり戦略としてとった主要人物への海兵出身素人俳優(「社会人俳優」)の起用だと分析する。それにより撮影が順調に行かなかったことと、東宝の黒澤組を離れた慣れぬスタッフとの京都太秦撮影所での気苦労、そして日米の映画の撮り方の文化的ギャップとそれへの認識不足と黒澤への伝達のディスコミュニケーション、、、これらによる現場と黒澤の混乱が真相だったようだ。
現場での黒澤の奇行も描かれているが、これがプレッシャー故だったのか、いつもそうしたことは程度の差こそあれあったことなのか(他のドキュメント本でも出てくるが、この行動はかなりのもの。通常の黒澤組スタッフからはここまで露骨な描写はソフトにされて出てきていなかったのか)、これはよくわからない。
※ここで僕は事件を「降板」という表現で書いた。田草川氏は本書で「解任」という表現をしているが、P298とP302のエルモ・ウィリアムズの発言と書簡を読むと、アメリカ的契約社会のドライな「解任」という表現は適切でないと思う。エルモが配慮しつつ語ったことは、「何より大切なのはあなた(黒澤)の健康である。だからこそ、あなたには東京に帰り、十分休養していただきたいのです」というもの。「更迭」という表現もあるが、この時のエルモの心情はドライな「解任」ではなく、辞任を促したという感じなので「降板」という表現としました。
◆もうひとりの主役 エルモ・ウィリアムズ
この本で、著者が黒澤以外で非常に丁寧な描写をしているのが、プロデューサのエルモ・ウィリアムズ。むしろ読後の印象は、このエルモの映画への粉骨砕身がテーマだったのではないかとも思える。
アメリカの映画プロデューサーの仕事のリアルな中味を知りたいならば、このドキュメントはその理想形を見せてくれるかも知れない。それにしても残念なのは、ダリル・ザナックとは映画という共通言語で心を通わせていた黒澤が、もっとも身近で黒澤作品を愛し、人一倍『虎 虎 虎』実現のため、苦労していたエルモを理解していなかったこと。
どこでボタンが掛け違ったのか、そこは書かれていないが、この二人に良いコミュニケーションがあったら、われわれはもう一本の黒澤作品を観ることができていたはずで、残念でならない。
歴史にもしもはないが、ハリウッドでの成功があったとしたら、その後の黒澤フィルモグラフィは全く違ったものになっていただろう。ファンなら読後、ため息とともに、そんなパラレルワールドを空想し、黒澤究極映像をイメージしてしまうだろう。残念。
◆関連リンク
・ジャーナリスト 田草川 弘氏の本(Amazon)
・Tora! Tora! Tora! TRAILERS 『トラ!トラ!トラ!』予告篇
・James Elmo Williams Web Site(公式HP)
・Elmo Williams - Filmography - Movies - New York Times
・EI > Interviews > Elmo Williams
ここにはエルモによる黒澤降板のコメントがあるが、本書のニュアンスとは随分異なっている。
・AMPAS(映画芸術科学アカデミー) (日本サイト)
・Special Collections Manuscripts - Margaret Herrick Library - Academy of Motion Picture Arts and Sciences Elmo Williams Collection
ここへ行けば、準備稿が読めるようです。この本が当たって、どこかの出版社が著作権関係を整理して、是非準備稿または黒澤版撮影台本を刊行してほしいものです。黒澤生誕百年の2010年に実現されることをファンとして期待したいものです。
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コメント
樋口千晃さん、はじめまして。コメント、ありがとうございます。この本、本当に充実したいい本でしたね。
>>青柳さんも今度キネ旬のインタビュウには応じられるようですけど相手が居なくなってから出てこられるのも肯けないな。
キネ旬でインタビュウ!
どんなことが語られるのでしょうね。でもこういうのっておっしゃる通り一方的な発言では公平さを欠きますね。まさに『羅生門』の「藪の中」になるわけですから。
>>ご存知であれば教えて欲しいのですが、年齢的にプロの役者さんだと思うのですけど黒澤版で淵田中佐はどなたが演る筈だったのですか?
たしかどこかの本で読んだ記憶なのですが、ほとんどこの手の本は図書館で借りているので、残念ながら手元にありません。ざっとネット検索してみましたが、やはり見つかりません。
産業界等から素人を配役しようとしていたはずですが、中心人物は役者だったかもしれません。今度、図書館で心当たりを当たってみます。黒澤本って山ほどありますからね。
今後とも、よろしくお願いします。
投稿: BP(樋口千晃さんへ) | 2009.09.30 23:33
面白く読ませて頂ました。
田草川さんの本は傍で見ていた人間であり、「契約」と云う面から問題を読み解いた興味深い本でしたね。
ただ二ついつも極悪人のように扱われる青柳プロデューサーと菊島さんのやったことが解らないのですね。
菊島さんに関しては執筆途中から小国さんと仲が悪くなっていったとかも言われていますしね。
青柳さんも今度キネ旬のインタビュウには応じられるようですけど相手が居なくなってから出てこられるのも肯けないな。
ご存知であれば教えて欲しいのですが、年齢的にプロの役者さんだと思うのですけど黒澤版で淵田中佐はどなたが演る筈だったのですか?
投稿: 樋口 千晃 | 2009.09.28 19:23
chokoboさん、はじめまして。コメント、ありがとうございます。
>>2010年が楽しみですね。
もしオリジナルの脚本が出版されたら最高ですね。もしかしてネットには既に流出していたりして、、、(^^;)。
>>自分のブログにも書きましたが、黒澤の映画製作では、必ず”ある人物”に注目しています。
その人物をとことん研究してはじめて映画が動き出す、というようなことをどこかで述べています。
僕もどこかでそんな記述を読んだ記憶。
黒澤の中でその作品固有のリアルが立ち上がる瞬間を述べた言葉なのでしょうね。
>>晩年の映画で”人物”に対するこだわりから群像劇にシフトしていった黒澤の思考は、この「トラ・トラ・トラ」で作られたのではないでしょうか。
神は細部に宿るという言葉を最も理解していた黒澤監督なので、群像劇でのリアリティの立ち上げ方をノウハウとして体得されたのかもしれませんね。
>>そして三船との決別もこの思考を促したように思います。
そういう解釈も面白いですね。
でもファンは皆んな三船と続けてほしかったと思ってますよね。
今日から樋口版『隠し砦』ですが、どうなんでしょうね。僕はとりあえずDVD待ちです。
投稿: BP | 2008.05.10 20:29
2010年が楽しみですね。
自分のブログにも書きましたが、黒澤の映画製作では、必ず”ある人物”に注目しています。
その人物をとことん研究してはじめて映画が動き出す、というようなことをどこかで述べています。
晩年の映画で”人物”に対するこだわりから群像劇にシフトしていった黒澤の思考は、この「トラ・トラ・トラ」で作られたのではないでしょうか。
そして三船との決別もこの思考を促したように思います。
投稿: chokobo | 2008.05.10 07:16
kannosukeさん、はじめまして。
>>そして、本を読み終わり虚脱感と残念な思いと共に悔しさが後に残りました。
本当に観たかったですね。幻の『トラ・トラ・トラ!(虎 虎 虎)』。
天国で黒澤監督が完成させて上映されていることを祈りましょう。
、、、となれば是が非でも天国へ行けるよう、善行を積まねば(^^;;)。
投稿: BP | 2007.06.20 05:35
BP@究極映像研さん
知人から『黒澤明 vs ハリウッド』を読んで感想が欲しいといわれ、まず、こちらの記事を読ませていただきました。
お陰様で概要がつかめました。有り難うございました。
そして、本を読み終わり虚脱感と残念な思いと共に悔しさが後に残りました。
kannosuke
投稿: kannosuke | 2007.06.19 11:47
TBさせていただきました。
読み終えて、ただただため息でした。
魂と魂、情熱と情熱、いろんな物のぶつかり合い。
読み応え十分で素晴らしかったです。
投稿: タウム | 2006.12.03 22:24
大阪歩さん、neponさん、はじめまして。コメントとTB、ありがとうございます。
>>いつもそうだったのを東宝のスタッフが支えて
>>いたのかというのは興味のあるところです。
他の本では、現場の雰囲気はもっといいので、『虎 虎 虎』の特殊な事情がそうさせたんじゃないかとは思いますが、黒澤組スタッフのコメントを聞いてみたい気がします。
>>この本に書かれているような心労を読むと、ハ
>>リウッドの黒澤作品は出来なくて良かったので
>>はないかとすら思えてしまいます。
確かにそういう見方もありますね。
ハリウッドで撮り続けていたら、もっと消耗して、これ以降の作品のレベルが落ちたかもしれない、という見方ですね。黒澤組としての強みが、黒澤作品の真髄という考え方もできそうですね。
投稿: BP@究極映像研 | 2006.06.13 00:01
はじめまして。トラバ、ありがとうございます。違うスタッフとハリウッドシステムの戸惑い。あまりにも黒澤監督にとって辛い条件が重なりすぎましたね。
この本に書かれているような心労を読むと、ハリウッドの黒澤作品は出来なくて良かったのではないかとすら思えてしまいます。
投稿: nepon | 2006.06.12 21:07
トラックバックありがとうございます。
リンクの対談の方も興味深く読ませていただきました。
文中でもかかれていらっしゃいますがアメリカの製作で、素人俳優で、東映の撮影所でという今までと違った環境の中で黒澤がそうなっていったのか、いつもそうだったのを東宝のスタッフが支えていたのかというのは興味のあるところです。
普通に考えたらここに描かれた撮影現場は尋常ではないですよね。(加藤泰の例もあることですし・・)
投稿: 大阪歩 | 2006.06.11 15:00