« ■ついに刊行!小松左京+谷甲州著『日本沈没 第二部』 | トップページ | ■「がいな石の妖怪 がいな鬼太郎」 »

2006.07.13

■叶精二『宮崎駿全書』 と 宮崎駿『もののけ姫』について

 叶精二『宮崎駿全書』(Amazon)
著者の公式HP (高畑・宮崎作品研究所) フィルムアート社

本書は、長編9作、短編9作、計18の宮崎駿監督作品を以下14の項目で多角的に解析した必携のデータベースです。
 ●クレジット●あらすじ●制作の経緯●作品の源泉
 ●技術的達成●カットされたシーン●制作スタッフ●声優
 ●音楽と主題歌●宣伝と興行●公開、その後
 ●海外の反響●主な批評●総評

 まさに力作な資料集&評論集である。漫画映画が監督だけのものではなくスタッフ全員が作り上げるものという視点で多角的に分析してある。そして多数のスタッフへのインタビューをバックボーンに(インタビューそのものは入っていない)、アニメ技術の進化、立ち止まらず変貌を続ける宮崎駿組作品の深化の緻密な分析が興味深い。

◆宮崎のアニメータとしての作品への影響

 宮崎駿が、まさにアニメータ監督として作品そのものの画面丸ごとを作り出す圧倒的な映画術。これは他のアニメ監督とは大きく異なる独特の手法である。作画面について実質的に監督の関与が隅々にあることが言われていたが、特に本書では『千と千尋の神隠し』での作画監督安藤雅司氏との相克が興味深い。この事例から宮崎監督の作画への関与の度合いを、我々は映画の画面として体験していたことがわかる。

 最初、作画を今までよりも作画監督にまかせる方針だった『千と千尋の神隠し』。それがどんどん宮崎が介入していく様子が描かれている。その結果として、映画冒頭と後半のキャラクタの捉え方の違いが、映画の画面の違いとして、観客に提示されている。あの違いが宮崎作画の関与度合いだと体感できる。

 初期の『ルパン三世』や『侍ジャイアンツ』(第一話後半)、『空飛ぶゆうれい船』の戦車シーン等、宮崎の原画として知られている。あの天真爛漫な線と破天荒な動きの原画(そして空間の独特の把握)が宮崎原画の本質的なイメージとしてあるのだけれども、それが後年、本質としてはそれを持ちながら、どう変化していったかがなんとなくこの事例でイメージできた気がする。具体的には宮崎自身の原画部分がどこかが明らかになっていたら、もっとくっきりとわかるのだけれど、、、。(『ハウルの動く城』のカルシファーは自身の作画らしいけど、あれは炎であって人間じゃないし、、、。)

◆『もののけ姫』のコンセプト

 『もののけ姫』のコンセプトについての記述も興味深かった。思わず『もののけ姫』3回目を観直してしまった。

 「課題は鮮明であった。<百姓と侍>という枠組みを外し、新たな歴史観に基づくこと、現代を反映させた作品であること、そしてそれらを総合して『七人の侍』の呪縛を断ち切ること。」(P191)

 黒澤明『七人の侍』以降固定化された時代劇の変革、これが宮崎が設定した『もののけ姫』のコンセプトのひとつ。侍ものの『戦国魔城』の企画を捨てて、新しい時代劇を創造しようとしたチャレンジの息吹が、全編にみなぎっている。

 しかしアクションの映像面で述べると、アシタカやサンの動物と絡めた新しいアクションシーンは確かに観るべきものがあるけれど、それでも甲冑の侍の映像の方に目が行ってしまう。画面に登場する侍の甲冑のイメージは圧倒的だ。そして黒澤アクションに比べても作画の誇張でよりダイナミックにみえる。
 この宮崎の新しい挑戦は、後続作品が出るかはともかく、記録的観客動員数で成功を収めたわけだから、今度は黒澤時代劇フォーマットでもいいので、ダイナミックなアクションの連続する『戦国魔城』がやはり観てみたい。最近の作品が詩的な世界に流れているというのが本書の分析の一つであったが(特に『ハウル』)、ここらで私たち初期ファンを打ちのめしてくれる痛快作を次回期待。

(宮崎作品では『カリオストロ』とか『ON YOUR MARK』とか、大人の男が主人公の作品がもっとも素晴らしいと思っている僕ですが、『戦国魔城』を青年侍を主人公にして、現代が忘れている侍のように襟を正して潔い大人をみせてくれる作品を期待。今の子供たちにも、これって必要だと思うのだけど、、、。)

 本書に戻って、もうひとつの『もののけ姫』のコンセプト。
 漫画『風の谷のナウシカ』の達成のもとに、森と鉄文明の相克(自然と文明の衝突そのもの)とその両方を混濁して維持し続けるしかない人間の業をアニメーションで描ききること。これも本書を読むことで思いつくところがいろいろとあって、今回映画を見直すとかなりすっきりと整理して理解することが出来た。

 初見時、あいまいにみえていたアシタカの行動が、その混濁をテーマとしているととらえることで、明確に浮かび上がってくる。ただここで、絵コンテを最後まで描ききらずに作画にはいることの無理が感じられた。

 もっと全体の俯瞰が出来ていれば、きっとこの一見曖昧に見えるテーマがもっと前面に出てきたのではないか。正義と悪でなく、両義的に人間が抱えざる得ない二つのものを対立とそれをかかえこむ描写がもっとあったら、と補完しつつ観てしまった。
 具体的には、単純だけれど、烏帽子登場シーンは食料運搬でなく、山から木を切り出すところ。そしてそれを盛大に燃して鉄を造る描写。女たちがふいごを踏んでいるシーンよりも鉄をダイナミックに作っている映像と、それを襲うサンを直接描いた方が対立軸はしっかりしたのではないか。そして両義的に抱え込むアシタカの行動がもっとくっきりする。

◆作画データの分析

 本書は、各作品のデータの充実も素晴らしい。そこでそのデータでこんなグラフを作ってみました。一般劇場作品のみだけど、作画枚数の推移。
Miyazaki_sakuga_maisuu_1
 特徴的なのは『ON YOUR MARK』以降の分あたり枚数のほぼ倍増。
 ジブリの充実もあったのだろうけど、短編をはじめて作ることで、作画密度を上げる実験をして、その成果で全体のレベルを上げたように思える。まさに<ジブリ実験劇場>であったわけである。

 本書には他にも多数のデータがあり、こんな分析をいろいろと楽しめるという嬉しさもあって、本当にお薦めの一冊。僕も図書館で借りたので、ちゃんと買って手元に置いておかなきゃ。

◆関連リンク
書評 『宮崎駿全書』

|

« ■ついに刊行!小松左京+谷甲州著『日本沈没 第二部』 | トップページ | ■「がいな石の妖怪 がいな鬼太郎」 »

コメント

 みーちゃんさん、はじめまして。

>>映画の食糧運搬初登場シーンと女たちがふいごを踏んでいるシーンの方が提示されている貴方の案よりはるかにいいです。
>>はっきりいいますが貴方のほうがセンスが悪い。

 宮さんと比較いただけるとは光栄です(^^;)。

 あまりに類型的だし、対比は明確になりますが、映画の膨らみはしぼむ危険性はありますね。

投稿: BP(みーちゃんさんへ) | 2010.07.31 10:56

>具体的には、単純だけれど、烏帽子登場シーンは食料運搬でなく、山から木を切り出すところ。そしてそれを盛大に燃して鉄を造る描写。女たちがふいごを踏んでいるシーンよりも鉄をダイナミックに作っている映像

映画の食糧運搬初登場シーンと女たちがふいごを踏んでいるシーンの方が提示されている貴方の案よりはるかにいいです。
はっきりいいますが貴方のほうがセンスが悪い。

投稿: みーちゃん | 2010.07.31 00:32

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■叶精二『宮崎駿全書』 と 宮崎駿『もののけ姫』について:

« ■ついに刊行!小松左京+谷甲州著『日本沈没 第二部』 | トップページ | ■「がいな石の妖怪 がいな鬼太郎」 »