■新刊メモ 高畑勲・大塚康生・叶精二・藤本一勇著
『王と鳥~スタジオジブリの原点~』 と 環境現象学
(Amazon)
王と鳥 スタジオジブリの原点(高畑勲・宮崎駿作品研究所)
【目次】
『王と鳥』監督ポール・グリモーの言葉
『王と鳥』あらすじ
『王と鳥』と日本人の特別な関係 (叶 精二)
登場人物の寓意/タキカルディ王国にしないために (藤本一勇)
初めて人間の内面を描いたアニメーション (大塚康生)
考えを触発してくれる映画『王と鳥』 (高畑 勲)
映画『王と鳥』情報
◆8月2日「王と鳥~スタジオジブリの原点~」発売(「王と鳥」公式サイト)
・宮崎駿「王と鳥」を語る
例えば、王宮の天辺にある屋根のところに羊飼いの娘と煙突掃除の少年が座っている。背景は煙突だけで、空は夜明けの白々とした薄明だけなんですが、息を飲むように美しい。僕にとってあそこは最高のショットで、本当に衝撃を受けました。同時に「これはやっても自分たちには無駄だな」と感じたんです。そういう空間感覚は自分にはない。ならば、自分たちが持っているものは何だろうということを考える出発点にもなったんです。(宮崎駿)
この時代のアニメには、こういう動きにはこのパターン、という「型」がまだ確立していない気がして、それが妙な生々しさを生んでいる気がするわけです。たとえば人間が歩く。どう歩くのか。人を歩かせてみる。それを描いてみる。こういうプロセスがいちいち存在し、しかもそれがまだ荒削りなので妙に生々しく見える。(岩井俊二)
今日は本当に引用ばかりですが、とても興味深い記事だったので、思わず長文お許しください。
僕は7-8年前にビデオで『王と鳥』を観ました。確かに空間感覚が面白かった。単なるパースの付いた空間でなく、独特のねじれの感覚があって、そこがなんとも魅力だった記憶。
欧州の古いたてものは、いくつか行ったことがあるけれど、それでも僕らが観ると単なる3次元的なパースで眺めてしまう。記憶の中の城は、この映画の空間とは違い、普通のパースペクティブで想起される。
『カリオストロの城』は映画としては素晴らしくても、映像空間としては『王と鳥』の独特さにとても太刀打ちできない。これは西洋の空間で生まれ育ってきた人たちとの空間把握のなんらかの文化的違いがあるのだろうか。
このあたりの映像(もしかして記憶?)感覚について、どっかの大学で分析しているところはないだろうか。ものすごくそういうのを読みたくなってきました。(岩井俊二が言っている「「型」がまだ確立していない」というのとは、ちょっと違うような気がする。今でもヨーロッパのアニメはどこかそんなパースを持っていると思うので、、、。)
◆関連リンク 研究例を探してみました。的外れだったらごめんなさい。
・環境現象学特論 主観的空間認知の現象学的、文化史的分析
森田秀二教授 (山梨大学電子シラバス)
あまりに長文でまだ読めてませんが、リンク掲載。この講義の後半は学生が興味のある現象を分析したレポートを発表とありますが、「『王と鳥』と『カリオストロの城』の空間認識の差について」なんて、いかが?
・以下が参考書。その他関連書誌。面白そうです。オギュスタン・ベルク著 篠田勝英訳
『日本の風景・西欧の景観―そして造景の時代』(Amazon)
ヨーロッパ近代が生んだ遠近法と中心がたえず移動する日本特有の空間。視線の差異の発見と再発見、野性空間・田園・都市における風景観念の比較を通して、主体―客体2元論たる近代景観論の解体を論じ、ポスト・モダンの風景=〈造景の時代〉を予見する。
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