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2006.08.15

■アーシュラ・K・ル=グウィン公式コメント ジブリ映画化『ゲド戦記』
  Ursula K. Le Guin: Gedo Senki, a First Response

 ネットでもかなり批判的な言説が流れているアニメ版『ゲド戦記』。
 原作をまず全部読んでから映画を観にいくつもりだった僕も、初めて読んだ原作の素晴らしさと、アニメ版のあまりの不評に尻込み状態。原作の感想を書こうとしていて、アーシュラ・K・ル=グウィンの公式ページを見ていたら、2006.8/13付で「Gedo Senki A First Response to "Gedo Senki," the Earthsea film made by Goro Miyazaki for Studio Ghibli」という公式コメントが出ていたので、レポートします。

 ということで、少し長くなりますが、まずは日本側映画制作サイドのル=グウィンとの会話から引用。

「ゲド戦記」宮崎吾郎監督日誌 - 番外編5 ル=グウィンさんの言葉

そのパーティーの最後のお別れの挨拶のとき、
自分からル=グウィンさんに映画の感想を求めました。
これだけはきちんと聞いておかなければと思ったからです。

彼女は短く答えてくれました。
「It is not my book.
It is your film.
It is a good film.」
と。

彼女としては、本当はたくさんおっしゃりたいことが
あったのではないかと思うのですが、
それでも温かい笑顔とともに下さった言葉です。

この短い言葉を素直に、
心から感謝して頂戴したいと、思ったのでした。

 宮崎吾郎監督も「本当はたくさんおっしゃりたいことがあったのではないかと思うのですが」と書かれていますがズバリ、その真意がアーシュラ・K・ル=グウィンの公式HPに公表されています。スタジオジブリにとっては、かなりつらいコメントになっています。

 僕はずっと積読でやっと最近1-4部までを読んだにわかファンですが、原作の素晴らしさに感銘を受けたので、映画版で誤解をされて原作を読まない方が増えないようにという気持ちで非常につたないですが、以下要約してみました。ここまで書かれたら、原作ファンである宮崎駿氏には、ジブリの公式ページでル=グウィン氏のコメントを正式に翻訳して公開してほしいものです。公式にどこかで翻訳文が出たら、下記は削除します。

 微妙な表現の部分が多々あり、私の英語力では誤解を招きそうなので、よく理解できていないところは「(?)」を付けました。かならず原文に当たってご自分の判断で理解していただきますよう、お願いします。

Ursula K. Le Guin: Gedo Senki, a First Response (公式HPより要約)

 (「私」というのはアーシュラ・K・ル=グウィン自身を指す。)

・約20年前に、宮崎駿から3部作の映画化提案を受けた時、私は彼の仕事を知らなかった。ディズニータイプのアニメしか知らず、それが嫌いだったので、断った。

・6,7年前にヴォンダ・N・マッキンタイヤから『となりのトトロ』のことを聞き、いっしょにそれを観て、宮崎ファンになった。彼は黒澤かフェリーニと同レベルの天才だと思う。

・数年後、翻訳家の清水真砂子氏に、宮崎駿氏がまだ関心があるのなら、映画化に関して喜んで話し合いたいと言ってもらうよう、頼んだ。

・2005.8月鈴木敏夫氏と宮崎駿氏が私と私の息子のところに訪問した時、駿氏は映画制作から引退、そして家族とスタジオは彼の息子の吾郎氏に映画化をさせたいと、説明を受けた。我々は失望し心配したが、プロジェクトは常に駿氏の承諾を必要することを保障されるという印象を与えられた。この理解の下、我々は契約した。

・その後、駿氏が映画作りに参加していないことがわかった。彼から感動的な手紙(?)(moving letter)を受け取ったが、私はこのフィルムの制作に太平洋をはさんで、怒りと失望(anger and disappointment)が伴ったのが残念。また駿氏が引退せず別の映画を作っていると言われた。これは私の失望を増加させた。

・私が東京へ行けなかったため、嬉しいことに、スタジオジブリはたいへん親切で、8/6に映画を持ってプライベートな試写を開催してくれた。子供をつれた友人達がたくさん来た。子供達の反応は、幾人かの小さい子がかなり驚くか混乱していたが、年長の子は平気(cool)だった。

・試写後、私達は息子の家でいっしょに食事した。
 ウェルシュコーギーのエリノアは素晴らしく適切に振舞ったが、鈴木敏夫さんは芝生でひっくり返った。

・私が去ろうとしたちょうどその時、宮崎吾郎氏が「映画はお気に召しましたか」と尋ねた。その状況で簡単に答えられる質問ではなかった。私は「Yes. It is not my book. It is your movie. It is a good movie.」と言った。私はプライベートな質問にプライベートに答えたつもりで、公表されたくなかった。しかし吾郎氏が彼のBlogで公開したので、私はここに言及する。

・それの多くのシーンは美しかった。しかしすばやく作られたこの映画で、多くのconers(?)がカットされた。それは『となりのトトロ』の繊細な緻密さや『千と千尋の神隠し』のパワフルで素晴らしく豊かなディテイルがない。イメージは効果的だが、型にはまっている。

・私にはたいへん支離滅裂な話に感じられた。これは私が自分の本のストーリーを見つけようとしていたからだろう。私の話と同じ名前の人々によって演じられるが、これは完全に異なった気質と歴史と運命の物語である。

・もちろん映画と小説は非常に異なるフォームの芸術である。そこには大規模な変更も必要かもしれない。しかしそれは40年間にわたり出版されてきた本に基づき、物語と登場人物への信義が妥当である場合の話である。

・アメリカと日本のフィルムメーカの両方が、これらの本を、コンテクストを離れた断片として、名前といくつかのコンセプトのために単なる鉱山(mines)として扱った。一貫性がなく、完全に異なるプロットとしてstory/iesを取り替えた。私は本だけではなく, 読者に示される敬意のなさに驚く。

要約は以上。

(この後、映画のメッセージの説経的な部分、アレンの殺人と影の扱い、善悪の問題、肌の色等々についての否定的なコメントが続いています。ただ竜の描写の素晴らしさ、ゲドの声優の演技、「テルーの唄」への賛辞は述べられています。ここは映画を観ていない僕はあまり触れると間違ったことを書きそうなので、原文をあたっていただきたい。)

 たいへん礼節を持たれた表現をされていますが、しかしその内側では自分の物語とファンへの愛情から、かなりのお怒りの様子が伝わります。この本が言葉と名前とそして人間に対して、非常にデリケートな感覚で書かれた素晴らしい物語であるだけに、このコメントからうかがえる原作者としての違和感はたいへんなものがあると思います。これはまさに僕のようなにわかファンでなく、その作品の隅々に影響を受けた宮崎駿氏他、長くファンの方の気持ちそのものではないかと、読んでいて痛くなってきました。

 わざわざコメントのタイトルを"Gedo Senki"としているのも、元々名前の重要さをあれだけ書いている本に対して、なぜこのような原作から違和感のあるタイトルを付けているのか、という気持ちを込めているのかもしれません。(僕は翻訳書のタイトルの『ゲド戦記』もこの本のテーマから考えると、大きな違和感を覚えます。あと作者名を「ル=グウィン」としか表記していない岩波書店の無神経さ。米国TV版の予告編で、ゲドらしき人物がいきなり門番に「ゲド」と自分から名乗っているシナリオの無神経さと同種のものを感じます。「発行者:山口」と苗字だけ表記された時の不快感を感じないのでしょうか、この出版社は。)(言葉のニュアンスにこだわりぬく作家の文章をつたない英語力で、このような要約としてBlogにあげる自分にもかえってくる批判とは思いつつ、、、。間違い等あれば、どんどんコメントください。修正を入れますので。)

◆関連リンク
TV版ゲドに作者の怒り:全訳(前半) 全訳(後半)
 上記を書いていてこんなものも検索で見つけました。こちらにはハーブさんという方による、同じくアーシュラ・K・ル=グウィンご本人の米国TV版への批評文の全訳があります。上で「アメリカと日本のフィルムメーカの両方」と書かれているアメリカ版についての批判。
世界一早い「ゲド戦記」インタビュー 鈴木敏夫プロデューサーに聞く
  : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 コメントにもある鈴木氏と宮崎駿氏の訪問の様子が書かれています。この訪問の際に誤解が生まれたわけです。

『ユリイカ 2006年8月臨時増刊号 アーシュラ・K・ル=グウィン』(Amazon)

アーシュラ・K・ル=グウィン『夜の言葉』(Amazon)

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コメント

 shamonさん、こんばんは。

>>さて今日からベネチア映画祭が始ります。
>>吾朗氏には映画祭の報告と共にル=グウィンさんへの回答もきちんとしていただきたいものです。

 そーなんですね、ベネチアでも上映されてしまうのですね。

 公式にはコメントでていないですが、きっとジブリはル=グウィンに書簡なりメールは入れていると思いますが、、、。でもなんと書いたんだろ??やはり公式コメントは必要ですよね。

投稿: BP | 2006.09.01 00:51

こんばんは。

>・ル=グウィン宅訪問時に宮崎駿が引退するということは言っていない。なんらかの言葉のやり取りの誤解ではないか。

つまり「僕たちは悪くない。」ってことですか・・・。

鈴木Pのコメントはともかく一緒に行った駿氏、そして監督の吾朗氏はだんまりのままですね。
監督日誌も全く更新されないままで、「そのうち」と言いながら韓国での評価も報告していない。

さて今日からベネチア映画祭が始ります。
吾朗氏には映画祭の報告と共にル=グウィンさんへの回答もきちんとしていただきたいものです。

投稿: shamon | 2006.08.30 18:35

 本日発売の「週刊現代」に関連記事がありました。

 ル=グウィンのコメントを2Pに渡って、要領よくまとめてありました。

 そして鈴木Pコメントして、以下二点が目新しいものでした。

・事前にこうしたコメントをHPに載せるという連絡があった。
・ル=グウィン宅訪問時に宮崎駿が引退するということは言っていない。なんらかの言葉のやり取りの誤解ではないか。

投稿: BP | 2006.08.29 01:03

asahi.com:映画「ゲド戦記」、原作者がHPに批判的「感想」

 大手マスコミでは初めてでしょうか、asahi.comにル=グウィンの批判に関する記事と、鈴木Pのそれに関するコメントが出てます。読売でないのがポイントですね(^^;)。(朝日新聞にも載ったのだろうか??)

スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「原作者の感想として素直に受け止めている。ただ、僕らは原作の精神を生かしたつもりだ。この映画には賛否両論があるが、楽しんで見てもらえればそれが一番です」と話した。

 記事では宮崎駿、鈴木敏夫両氏がル=グウィンを訪問した時の嘘については、まったく触れられていません。ここがポイントなのに、マスコミって、、、。

 有名なきっこのブログがル=グウィンの批判を採りあげたのがきっかけかも。

投稿: BP | 2006.08.25 00:25

明るい空様
>吾郎氏がゲドを題材にした詩画集を出したのは明らかに著作権違反です。この件に関して一切、ル・グイン女史は許可を出していないはずです。

 『ゲド戦記 詩画集』は、その「あとがき」にも書かれている通り、CDアルバム『ゲド戦記 歌集』のために書かれた歌詞と、映画制作の初期に描かれたイメージボードを収録した本です。もしもこれが「著作権違反」になるとすれば、CDアルバム『ゲド戦記 歌集』や、『ジ・アート・オブ・ゲド戦記』などのムック本なども「著作権違反」になってしまうのでしょうか?それはちょっとありえないことと思われます。
 小説の映画化に際して、映画音楽のサントラ・アルバムやイメージ・アルバムなどが制作されたり、様々なムック本の類が出版されたりすることは、ごく普通に行われています。ですから、映画化の権利を得た際に、映画に付随するCDや書籍についても契約が交わされていただろうと考えても、おかしくはないと思うのですが。

投稿: 大阪のジムシイ | 2006.08.23 21:05

まずはBPさん、始めまして、TBさせていただきました。

ところで、私の知り得ている情報です。
これは公式に出された雑誌インタビューで確認されたものだけで構成しています。

まず、駿氏も吾郎氏も原作の大ファンでいらっしゃると思います。ですが、急に竜を出したり、その他の変更を吾郎氏にこうした方がエンターテインメント性が出るからと指示したのは鈴木Pです。
雑誌「コンティニュー」今月号をご覧になれば、吾郎氏の口からその話は語られています。

いろいろと言いたいことはありますが、「手当たり次第の本棚」というBLOGでとらさんが指摘しているように、吾郎氏がゲドを題材にした詩画集を出したのは明らかに著作権違反です。この件に関して一切、ル・グイン女史は許可を出していないはずです。駿氏ならまだしも、まったく原作者から手を加える許可を得ていない、鈴木p及び吾郎氏が行ったことは万が一訴えられた場合、限りなく黒です。ここが最大の問題なんでしょうね。

投稿: 明るい空 | 2006.08.22 19:20

 Qさん、こんばんは。

>>名前が重要だとおっしゃるなら尚更、
>>安易に原題どおりにせず
>>もっと広く受け入れられる名前を考えることが
>>重要だとは思いませんか?

 どちらが広く受け入れられる名前かは、それこそ人の感性の問題ですので、ある程度統計的なデータをとってみるしかありません。「トリビアの種」に応募してみるのも手ですね。って絶対採りあげられない(^^;)

 僕の書いてる名前の重要性というのは、人に受け入れられるかどうかではなくって、ル=グウィンが本シリーズで描いているテーマ「名前が物事の本質に密接にかかわるものである」という意味合いのことです。

 名前が本質そのものであるというテーマの本で、その題名が原題とあまりにニュアンスが違うというのは、作者の設定したテーマのいくらかをないがしろにしているように思えて「違和感」がある、と感じたのです。

 もっとも書かれた本は、作者を離れてテクストとして独立し、作者の設定したテーマでなく、読者が受け取ったテーマこそが本当のテーマである。その際に、題名は『ゲド戦記』こそ本質である、という読者がいても許容されるべきかもしれません、、、。

 しかしその時、題名は読者の数だけ無限につけられるものとなり、ひとつの真の題名などというものは世界に存在し得ないものとなります。

 世の中に一冊くらい題名のない、『   』という本があってもいいかも。(小松左京に『題未定』という本はありますが、空白のタイトルの本って、どっかにありましたっけ??。)

投稿: BP | 2006.08.21 23:14

記述間違えました

× 最近もブログで
   ↓
○ 最近のブログでも

投稿: Q | 2006.08.21 03:07

名前が重要だとおっしゃるなら尚更、
安易に原題どおりにせず
もっと広く受け入れられる名前を考えることが
重要だとは思いませんか?
そうして考え出されたのがゲド戦記という名前であり、
その名前で100万部以上というロングセラーになったんですよ?
その結果を否定されるんですか?

子供が嫌がると言いますが
単にその子供が嫌がったというだけの話でしょう
昔からある2chのゲドスレでは
「小学校の頃読んだ」「子供の頃読んだ」という
書き込みが結構な数ありましたよ
最近もブログでちょっとそういった書き込みを見ましたし

投稿: Q | 2006.08.21 03:04

 SACさん、こんにちは。

>>今回の事態により、宮崎監督(パパ)がどのように「動く」のか、とても興味があります。
>>「クリエーターとしてのプライド」と「事業家としてのセンス」のいずれが強く表出する
>>のでしょうか?

 もっと重要なのは、「『ゲド戦記』ファンとしての作品への愛情」ではないでしょうか。

 今回初めて『ゲド戦記』を通読し、宮崎作品への影響を凄く感じました。そのレベルはまさに宮崎駿の作品の土壌として『ゲド戦記』があるという感じ。

 ル=グウィンへの誠意ある愛読者宮崎駿氏の対応を期待したいものです。TVシリーズかOVAで完全アニメ化するとか、ネ。(でも一方でオリジナル作品を観られなくなる寂しさはありますが、、、(^^;)僕はいまも宮さんのファンです)

投稿: BP | 2006.08.20 09:38

BPさん、こんばんは。
凄いコメント数ですね。

「ゲド戦記」に関しては、色々な方の色々な意見・反応があるのですね。
ナイーブな考え方かもしれませんが、出版社もアニメスタジオも「閉鎖的な世界の住人」だけが、いるわけではない!、と思わせて頂けるリアクションを見せて頂きたいと思っています。
それに、確かに「勝てば官軍(売れるが勝ち)」だとは思いますが、一時的な勝利よりも「その先(の安定した利益)を見た営業展開」を普通の企業は行っていると思うのですが。

今回の事態により、宮崎監督(パパ)がどのように「動く」のか、とても興味があります。
「クリエーターとしてのプライド」と「事業家としてのセンス」のいずれが強く表出するのでしょうか?

投稿: SAC | 2006.08.19 02:34

Qさん、こんばんは。

>>『地球海の魔法使い』じゃ、完全に児童むけですよね。

 (^^;)既に個人個人がどう受け取るかという感性の問題ですが、僕はこの本は、子供時代(10代くらいかな)に自分は読んでおきたかったので、むしろ原題のままのこっちの方が日本タイトルとしても良かった、と思います。(それと何度も言ってすみませんが、名前の重要性が物語のキーになっている本で原題から名前を大きく変えるのはやはり抵抗がある。既に邦題に慣れてしまっているファンには違和感あるでしょうが、、、。)

 (あとうちの子供たちに読ませたいのですが、『ゲド戦記』というものものしい名前に拒絶反応をみせているのもこう書いてる理由のひとつ)

 大人にとっても傑作ですが、児童書として読まれる意味もかなりある本だと僕は思いますが、、、。

投稿: BP | 2006.08.18 23:40

t0moriさん、こんばんは。

>>逆に最近の予告で併記をやめたと言う(すみません、見てないで書いてます)のは、
>>単に長いから、とか二重にあるとお客さんが混乱するから、とかそう言う理由だと思
>>います。
或いは海外販路での表記に絡む理由かも知れません。日本で「ゲド戦記 - Tales of >>earthsea」なら海外販路では「Gedo Senki - Tales of earthsea」なのかも。

 Youtubeで古いver.、ジブリサイトで現在の予告を見るとわかりますが、Gedo Senkiという表記が消えているのです。

 たしかにt0moriさんの言われるローマ字つづりというのはわかりますが、毎度私の行き着く先は、名前が重要なのに何故本来のスペルを使わないの?というところ。しかも海外で同じ読みの「外道」という日本関係映画が既にあるのに、、、。

 現在ver.で消した理由もおっしゃるような理由かもしれないですが、、、、。ジブリに聞いてみたいものです。関係者はここへは来てないよなーー。

 ますます瑣末なネタでひっぱってすみません。
 

投稿: BP | 2006.08.18 23:07

英語圏の子供達?ゲド戦記はべつに児童書じゃないですよ
まあ日本では児童書ですが、
『地球海の魔法使い』じゃ、完全に児童むけですよね。
そうじゃないという事をタイトルにこめた訳で、
実際本の内容もそうなのだから、
出版社の営業努力を褒めるべきだと思いますね

もし子供向けの本として大人が見向きもしなかったら、
その方が寂しいでしょう。
そうしたら今回の映画化も無かったかもしれません

投稿: Q | 2006.08.18 08:21

>このGedoって、本来の原書のGedのたぶん誤記なんですね。

ちょっとこれはあり得ないです。もっと複雑な文言ならともかく、ひとつの映画のタイトルが世に出ると言う事は、よほどいい加減な仕切りでもない限り、会議を重ね、何重にもチェックが入りますし、意図した表記以外のスペルミスなどが表に出る事はまずないです。もちろん、決定前の物が何らかの不手際で漏れると言う事はないわけではないですが、今回の場合は違いますよね。
これは意図してこのスペルにしたと見るべきでしょう。つまり"Senki"は日本語なんだから、ローマ字綴りにしよう、と言う事だと思います。
で、恐らく"Gedo"とすることはル=グウィンさんの許可も取ってると思います。

逆に最近の予告で併記をやめたと言う(すみません、見てないで書いてます)のは、単に長いから、とか二重にあるとお客さんが混乱するから、とかそう言う理由だと思います。
或いは海外販路での表記に絡む理由かも知れません。日本で「ゲド戦記 - Tales of earthsea」なら海外販路では「Gedo Senki - Tales of earthsea」なのかも。

投稿: t0mori | 2006.08.18 06:59

 大阪のジムシイさん、t0moriさん、Qさん、引き続きコメントありがとうございます。

 t0moriさんのおっしゃっている作家名簡略表記とシリーズ名簡易化の狙い、こうした目的のために出版社が意図的にしているのはわからないでもないです。

 だけど僕が議論したいのは、名前が本質的に重い意味を持つこの小説において、本当にこんなことしてて出版文化としていいのかな?という部分です。ジブリのしたことと本質的にどこかで似通ったものを感じたので、瑣末なこだわりに見えるかもしれないですが、書いてみました。

>>これがもし原題どおり「アースシーの魔法使い」
>>だったらと思うとゾッとしますね
>>いかにも子供むけぽくて

 Qさん、はじめまして。
 僕は『地球海の魔法使い』というタイトルの本があったら、イマジネーションが逆に膨らんで、もしかしたら子供の頃に読んでいたかもしれないです(^^;)。英語圏の子供達には、この『地球海の魔法使い』というニュアンスが近いのではないでしょうか?


 ひとつ、新しく気づいたこと。
 ジブリ映画版のタイトルは、以前の予告編はTales of earthseaとGedo Senkiの併記になっています。このGedoって、本来の原書のGedのたぶん誤記なんですね。最近の予告編ではTales of earthseaとしか書かれていません。

 完全に名前を書き違えているわけで、瑣末でトリビアなネタではあるけれども、これも痛い間違いですね。ル=グウィンはどう思ったかわかりませんが、、、。

 Gedoって、普通に日本語で書くと「外道」で(^^;)、これ、ある意味ひどい。Gedo (2001)という映画もあったみたい。

投稿: BP | 2006.08.18 00:16

「ゲド戦記」というタイトルは全然アリでしょう
ファンタジー好きならわかると思うんだけど
「○○戦記」というタイトルには
何かこう、特別な響きが感じられるんですよ
想像力をかきたてられるというか
これがもし原題どおり「アースシーの魔法使い」
だったらと思うとゾッとしますね
いかにも子供むけぽくて

宮崎駿がもののけ姫を「アシタカせっ記」に
変えようとしたのも「○○戦記」というタイトルへの
リスペクトがあったからだと私は思ってます

投稿: Q | 2006.08.17 07:14

はじめまして。エントリはとても興味深く読ませて頂きました。映画は観ておりませんし、久しぶりにジブリ作品で観たいと思った作品なのですが、鈴木Pの思惑に嵌められるのにだけ抵抗感があって、なかなか足を運ぶ事が出来ない中年オヤジです。

コメント欄でちょっと違和感を感じてしまったので、本筋と離れますがその事だけ。大阪のジムシイさんを弁護するわけではありませんが……作者名の表記について。

本来は、日本人に馴染みのない欧米人作家の名前を、なるべく短く表記し、またタイトルとセットにする事で、その本の知名度を高めようとする出版社の営業努力であったと思います。「ゲド戦記」の場合は出版社がターゲットとした対象年齢(恐らく小学生〜中学生)に対する配慮の方が強かったかも知れません。確かに、すっかりその辺の境がなくなるくらいに洋書の翻訳も増え、また、本来想定された読者よりもずっと幅広い層を掴んだこの本の表記では、現実に則さないし、版を重ねているのなら古い慣習を見直すべき、と言う批判は出来るでしょう。しかし、今回の「ゲド戦記」のアニメ映画化における諸々と一緒に語るのは、いささか揚げ足取りに見えますが、いかがでしょう? この件は功罪共に語られるべき事と思います。「ダンテの神曲」であったり「シェークスピアのマクベス」、「ル=グウィンのゲド戦記」とする事で、その本自身の知名度もそうですし、作家自身の知名度も上げる功がありました。所謂キャッチコピーのような物ですね。だから罪の方ばかりに目を向け、無神経と断じるのはいささか乱暴に感じました。

余談であくまで想像ですが、日本のシリーズタイトルに「Earthsea」を採用しなかったのは、作家名に続き日本人には直感的に理解し難いカタカナの名詞が続く事が、出版社が想定した対象読者に抵抗感になり得る、と言う判断があったと思います。また、原題が地球や海と言った言葉を合成した造語である事も、英字でなければ伝わり難く、その辺りの判断も働いたと思います。まあしかし、それらを以てしてもあまり良いタイトルではないかも知れません。が、作品の内容に対しての善し悪しはともかく、覚えやすく、日本人(特に子供)の記憶に残りやすいタイトルと言えるのではないでしょうか。

また、今回のル=グウィン氏のコメントにある「Gedo Senki」については、私などの感覚だと「自分の作品ではない」と言う単なるパブリックな意思表示であって、不快感の現れと見るのはいささか邪推に思いますし、そう言う腹の探り合い的なコメントと読むのは、寧ろ、数々の無礼を受けながらも冷静に「Gedo Senki」を作品として評価しようとするル=グウィン氏の紳士的(こういう場合は淑女的?)な態度を貶めているようにも感じてしまいました。

もちろん個人のBlogなので、感じられた事を書く事に異論はありません。コメント欄に波及するに至って、ちょっと気にかかった物で。簡潔にまとめるつもりが長文になり、失礼。

投稿: t0mori | 2006.08.17 02:09

こんにちは。TB頂いたのに何故かこちらからは遅れません(--;。ごめんなさい。

原作者のコメントに対し、ジブリは沈黙です。
どんな対応で望むのか注目です。

>『ゲド戦記』の小説、読みやすいし、すごく良いですよ。
みたいですね。友人からも勧められています。ファンタジーは大好きなのでそのうち手に取ってみようかな、なんて(^^ヾ。

投稿: shamon | 2006.08.16 16:40

お返事を有難うございます。

>『マクベス』と『神曲』は未読ですので、比較はできないのですが、『ゲド戦記』というタイトルの乖離と近いものなら、僕は同じように「違和感」を持つと思います。~
 僕が「無神経」と書いたのは、あくまでも筆者名の表記についてです。

 こちらが不明瞭な書き方をしたせいか、ブログ主様を混乱させてしまったようで、申し訳ありません。
 私が「シェークスピア『マクベス』とするのも、ダンテ『神曲』とするのも、無神経なのでしょうか?」と述べたのは、筆者名の表記について、邦訳書では姓のみの場合が珍しくないという例として挙げたつもりだったのです。シェークスピアの場合は、表紙においても著者名がウィリアム・シェークスピアではなくシェークスピアだけであることはよくありますし、ダンテもダンテ・アリギエーリ(これは洗礼名で、ダンテが名前なので、例としては不適当だったのですが)ではなくダンテだけの場合が多いです。このように、欧米の書物を翻訳・出版する場合、姓だけの場合があまり珍しくないので、私自身は著者名が「ル・グウィン」だけでも特に違和感は感じませんでした。とはいえ、ブログ主様の「作者名は少なくとも表紙と奥付にはフルネームで入れる必要がある」というご主張は、もっともなことだとも思います。
 本筋から離れた瑣末な話題での書き込みをしてしまい、失礼致しました。

投稿: 大阪のジムシイ | 2006.08.16 00:07

 まつもとさん、上田早夕里さん、コメントありがとうございます。

> 彼女が望んだ宮崎駿の「ハウル」が原作とはかなり異なる形式になっていることは
>知らなかったんでしょうか?
>>ル=グウィンからのオファーがジブリ側に届いたのは、宮崎駿氏が「ハウル」を制
>>作中だった時期です。映画化検討はその直後で、したがって彼女は「ハウル」を
>>観ずに契約の話に入っています。

 上田さんのおっしゃるタイミングの話、その通りと僕も思います。

 また「ハウル」の原作は未読なので「ハウル」に比べてどうかわかりませんが、ル=グウィンの小説の趣旨と映画のあまりのかけ離れようが問題なのだと思います。
 少なくとも当初鈴木Pと駿氏は小説の熱いファンとして映画化したいと申し出たはずで、それなのに世界観も生かされていない&映画への作家の私的なコメントを無断で良いように解釈して掲載ということでは、抗議はある意味当たり前でしょう。

> 途中で宮崎さんがノータッチだとわかった時点で抗議できなかったのでしょうか?
>>これができない条件だったから、今回これほど問題になっているのではないでしょうか。

 契約条件は僕はよくわかりませんが、少なくともル=グウィンが大人であるのなら制作費もかけて進んでいるものにストップはかけられなかったでしょう。また抗議もあくまでも宮崎吾郎監督のBlogの無断コメント掲載が原因なので、原作者として本来ここまで発言することも元々考えていなかったのではないでしょうか。

 文章読んでみてもル=グウィンの大人の対応が際立って印象に残りました。ここまでされても一方的な批判の文章にしていないところに、同じ芸術家への節度を持った対応を感じて好感の持てる文章だと思います。
 駿氏の作家としての才能に敬意をいまだ表しているのだと思います。

投稿: BP | 2006.08.15 23:26

 あひるさん、はじめまして。TBもありがとうございます。

>>(こちらの訳文がとても率直で素晴らしかったため、一部を私のblogで引用させて頂いてお
>>ります。もし問題があるようでしたらお手数ですがお声をおかけ下さい。)

 訳語がよくわからない部分を原文と並べて引用していただいているので、冷や汗です(^^;)。稚拙で恥ずかしいということ以外には問題はありませんので(^^;)、そのままにしていただいて結構です。

 あひるさんがご紹介されている2ch語訳、拝見しました。(笑)。ル=グウィンが見たら卒倒しそうですが、これも現代日本のネット実状ということですね。
 確かに効用としては少し明るい気持ちになりますが、意図的にか結果的にかよくはわかりませんが、ル=グウィンに嘘をついた鈴木プロデューサと駿氏には、明るくならないでしっかり反省してもらいたいというのが、本音です。

投稿: BP | 2006.08.15 23:12

 大阪のジムシイさん、はじめまして。

>>う~ん、では例えば、シェークスピア『マクベス』とするのも、ダンテ『神曲』とするのも、
>>無神経なのでしょうか?

 『マクベス』と『神曲』は未読ですので、比較はできないのですが、『ゲド戦記』というタイトルの乖離と近いものなら、僕は同じように「違和感」を持つと思います。特に『ゲド戦記』はお読みになっていればおわかりでしょうが、名前に徹底してこだわっている小説なので、邦題の原題への配慮は必要だったのではと思います。

 僕が「無神経」と書いたのは、あくまでも筆者名の表記についてです。

>> また、邦訳版の『ゲド戦記』シリーズは、確かに表紙などでは「ル=グウィン」となっていますが、
>>奥付などではきちんとフルネームで書かれていますよ。

 僕はソフトカバー版を見て書いたのですが、表紙と奥付他は「ル=グウィン」。カバーの折り返し部分だけフルネーム表記があります。
 ハードカバーでは確かに奥付がフルネームでしたね。でもそれ以外は省略されてます。

 普通、作者名は少なくとも表紙と奥付にはフルネームで入れる必要があるのでないでしょうか。
 これが日本作家で表紙に例えば「筒井」とだけ書かれたら、「康隆」氏は決してその出版社とは仕事を続けないと思います。


 枇杷さん、はじめまして。

>>私は今回のジブリによるアニメ化について、原案が宮崎駿氏の「シュナの旅」と知り、
>>失礼ながら、宮崎父子は自分たちの作品とル・グイン女史の作品のそれぞれを大切に
>>思っているのか、と思い、悲しみました。

 邪推ですが、ジブリはル=グウィンにこの事実を説明していないのではないでしょうか。ひどい話だと思います。こんなこと、作家に説明できるわけはないと思います。
 クレジットに名前を出したいだけだったのなら、「父 宮崎駿」と書いた方がずっと良かったのでは(下記鈴木Pの発言より)。

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_interview_20051226_02.htm

投稿: BP | 2006.08.15 22:57

 みなさん、たくさんのコメント、ありがとうございます。このテーマへの関心の高さが改めてよくわかりました。大勢の方に読んでいただいて、昨日、深夜まで慣れぬ英文和訳をした甲斐がありました。

>>shamonさん

 訳文の情報、ありがとうございます。読み比べて直さなきゃいけないところは直してみます。
 『ゲド戦記』の小説、読みやすいし、すごく良いですよ。特に4巻はいろんな意味で打ちのめされました(後日感想、書きますね)。


>>matkaさん

 おひさしぶりです!

>>アニメは大好きですが、アニメでは活字の持つ力には敵わないと思っています。
>>キャラが喋る言葉を耳で聞くよりも、頁から自力で吸い込んだ文字の方が、遙かに奥深く多彩だと思うのです。

 僕も文字の方がイマジネーションとしては芳醇な魅力に溢れてると思います。『ゲド戦記』の世界観って、宮崎駿作品に凄くいろんなシーンで色濃く反映されているのを今回の読書で感じました。ル=グウィンが宮崎駿作品を評価しているのもそうした部分への共感も感じているのかも。

 僕は個人的に漫画『風の谷のナウシカ』は『ゲド戦記』の世界観も援用しながらそれを超える傑作になっていると思うので、ル=グウィンに漫画版への評論を書いてもらいたいです。漫画って、絵としての魅力と文字の多彩さを融合できているメディアかもしれないですね。

投稿: BP | 2006.08.15 22:35

> 契約の時点でなぜ細かく要望を伝えてそれを条件としなかったのかのでしょうか?
ル=グウィンのコメントによると、ジブリ側が「責任を持つ」と繰り返したので契約したとあります。

> 彼女が望んだ宮崎駿の「ハウル」が原作とはかなり異なる形式になっていることは知らなかったんでしょうか?
ル=グウィンからのオファーがジブリ側に届いたのは、宮崎駿氏が「ハウル」を制作中だった時期です。映画化検討はその直後で、したがって彼女は「ハウル」を観ずに契約の話に入っています。

> 途中で宮崎さんがノータッチだとわかった時点で抗議できなかったのでしょうか?
これができない条件だったから、今回これほど問題になっているのではないでしょうか。

投稿: 上田早夕里 | 2006.08.15 22:17

おじゃまします。

よくわからんのですが、映画と小説は異なるとしながらも、そこまで原作と映画の違いを述べるのなら、契約の時点でなぜ細かく要望を伝えてそれを条件としなかったのかのでしょうか?
彼女が望んだ宮崎駿の「ハウル」が原作とはかなり異なる形式になっていることは知らなかったんでしょうか? 宮崎駿がチェックするという条件で契約されたのなら、途中で宮崎さんがノータッチだとわかった時点で抗議できなかったのでしょうか?

それと、どうも彼女も世間一般も、宮崎駿の息子というだけで、経験がない人間が40年の経験がある父親と同じレベルのものが作れると思ってる・期待しているように見えてしまいます。

投稿: まつもと | 2006.08.15 18:01

はじめまして。今までも何度かお邪魔して読ませて頂いておりましたが、今回の『映画・ゲド戦記』に関してはトラックバックもさせて頂きました。
(こちらの訳文がとても率直で素晴らしかったため、一部を私のblogで引用させて頂いております。もし問題があるようでしたらお手数ですがお声をおかけ下さい。)

他のかたもコメントしておられますが、私も宮崎吾郎氏のインタビューで『シュナの旅』を混ぜて作ったと知り、愕然としていた矢先でした。
「ゲド戦記」 宮崎吾朗監督(読売オンライン)
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/topics/20060804et09.htm

さらにこちらでアーシュラ・K・ル=グウィン氏の発言を読んで、本当にジブリに対する落胆と憤り、原作者と原作ファンのかたがたに日本人として申し訳ない気持ちでいっぱいです。
誰か何とかできなかったのでしょうか・・・。

投稿: あひる | 2006.08.15 15:32

はじめまして。
私は今回のジブリによるアニメ化について、原案が宮崎駿氏の「シュナの旅」と知り、失礼ながら、宮崎父子は自分たちの作品とル・グイン女史の作品のそれぞれを大切に思っているのか、と思い、悲しみました。前作のダイアナ・ウィン・ジョーンズ原作作品も、所論ありますが、原作を知る者としてかなり悲しかった出来でして。
宮崎駿氏の「シュナの旅」はそれ単独の世界観があり、ル・グイン女史のアースシーの世界観とは異質のものです。ル・グイン女史がそこまで言われるということは余程なのでしょう…。
「シュナの旅」はそれとしてアニメ化いただきたかったかな、と思うと残念です。

投稿: 枇杷 | 2006.08.15 12:39

 初めてお邪魔致します。
>あと作者名を「ル=グウィン」としか表記していない岩波書店の無神経さ。米国TV版の予告編で、ゲドらしき人物がいきなり門番に「ゲド」と自分から名乗っているシナリオの無神経さと同種のものを感じます。「発行者:山口」と苗字だけ表記された時の不快感を感じないのでしょうか、この出版社は。

 う~ん、では例えば、シェークスピア『マクベス』とするのも、ダンテ『神曲』とするのも、無神経なのでしょうか?
 また、邦訳版の『ゲド戦記』シリーズは、確かに表紙などでは「ル=グウィン」となっていますが、奥付などではきちんとフルネームで書かれていますよ。

投稿: 大阪のジムシイ | 2006.08.15 10:45

こんにちは。
「ゲド戦記」観に行こうか迷っていたのですが、こちらの記事を読んで決心がつきました。
「原作を読まない限り映画は観ない」ことにします。

アニメは大好きですが、アニメでは活字の持つ力には敵わないと思っています。
キャラが喋る言葉を耳で聞くよりも、頁から自力で吸い込んだ文字の方が、遙かに奥深く多彩だと思うのです。

だからこそ、原作から創る映画は難しいのですね。字面ではなく「世界観」を汲み取って映像化しなければならない。
逆説的に、ファンが優れた「文字世界の映像化としての映画」を求める理由もそこにあるかと。

原作者から失望の言葉を頂いたということは、原作者が伝えようとした世界観を汲み取れなかったということ。

原作者に敬意を表する意味でも、アニメを先に観るわけにはいかないな。と感じました。
ジブリの先行きが不安です。

投稿: matka | 2006.08.15 10:17

おはようございます。

公式ではないですが
「ゲド戦記」Wiki
http://hiki.cre.jp/Earthsea/?GedoSenkiAuthorResponse
にもどなたかによる訳が載っています。
ご参考に。

ル・グウィンさんの怒りと失望は相当なもののようですね・・・。
私は原作も映画も未読未鑑賞(映画は早い段階で観ないと決めました)ですが、お気持ちを察すると胸が痛みます。

投稿: shamon | 2006.08.15 07:51

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