■生田萬 埼玉県富士見市民文化会館 キラリ☆ふじみ芸術監督
続けて、雑誌「せりふの時代07年8月号」からの情報です。
特集 「公共劇場のこれから」
・生田 萬(キラリ☆ふじみ芸術監督)「地域のなかの劇場」
ファンだったのに、最近は演劇での話題がなく、どうされたんだろうと思っていたブリキの自発団の劇作家&演出家 生田萬氏。
最近、埼玉県富士見市民文化会館 「キラリ☆ふじみ」の芸術監督に就任されたということが載っていました。なんだかとても嬉しいので、ちょっとネットの情報を調査。
キラリ☆ふじみ 生田萬 芸術監督就任の弁
芸術監督としてなにをしたいか。ありすぎるくらいいっぱいあります。(略) 町の外からパッとやってきて、公演だけして帰る芸術家ではなく、キラリ☆ふじみを根城として作品づくりに励む若い才能を探しだすことです。
・選考過程について
生田萬(イクターマン)は、ある時期、鴻上尚史と並ぶ僕の大好きな劇作家だった。「だった」ではなく、実は今でも生田萬が大好きである。僕の携帯にはブリキの自発団の芝居『夜の子供』の芝居の一部 セリフと音楽が入っていて時々電車の中で聞いている。そのシーンは、何度聴いたか数え切れず、ほとんど自分の血肉と化している(おおげさ(^^;))。
そんな生田萬の仕掛ける文化会館事業。なんだかいいなー、任期は3年らしいけれど、一度くらいは「ブリキ」の復活公演をやってほしいなー、僕、観にいきますよ。
あと今回検索したら、いくつかイクターマンニュースがあったのでメモ。
ここに来てらっしゃる生田萬ファンの方は楽しんでみてください。(いるんだろうか??)
◆関連リンク
ぼくがどうして劇団活動から離れちゃったかにもつながるんですけど、たとえば、いま日本人にとって能や狂言は必要かときかれたら、たぶんだれもが口をそろえて「イエス」と答える(略)。
じゃあ、現代演劇は? ときかれたらどうだろう。何人が自信をもって「イエス」と声にだせるだろう(略)。
いま演劇は時代とどう響きあっているのか。今日の世界を鏡のように映しだし再現する、そんなヴィヴィッドな表現ツールであることからぼくたちの演劇がどんどん遠ざかっていってるような、そんな根本的な疑問をあらためて考えていた(略)。
(阿部和重『グランド・フィナーレ』の舞台化について)
ぼくは台本を書くのがいっつも辛くて、それに比べて演出は愉しいことばかり。だから、『グランド・フィナーレ』の戯曲化はだれかにお願いして、演出をやらせてもらえないかなと思っていたんです。ところが、演出家を育てたいと言った本人がそれはないだろうと、おまえが書くべきだと言われて、結局辛い作業を背負う羽目になった(笑)。それを『ロミオとジュリエット』の3人の演出家のなかの1人に演出してもらって、3年目にはそれで全国を回りたいと思っています。ところが、そんなぼくの不満をブッ飛ばす舞台に最近出会いました。チェルフィッシュ(chelfitsch)です。演劇っぽい発声や芝居臭い演技を見事に排除して、一見、限りなく写実的なようでとんでもなくシュール。ものすごく緻密に創られたリアルだと思って興奮しました。 (略)
演劇に対する固定観念を捨てる知的操作さえできれば、だれにもできて、だれもがリアル。魔法みたいですね。あのスタイルを踏み絵として、これから何年かのうちに演劇シーンはハッキリ色分けされるんじゃないか。そんな気にすらなりました。
このチェルフィッシュってどんなでしょう。「一見、限りなく写実的なようでとんでもなくシュール。ものすごく緻密に創られたリアル」、観てみたいものです。
・チェルフィッシュ(chelfitsch) DVD, 出版物
・当Blog記事 TBS『世界遺産』の構成は生田萬
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・雑誌『せりふの時代 2007年 08月号』(amazon)
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