右の写真は、僕の持っているチェコ・シュルレアリスム・グループの会誌『ANALOGON』。今回の講座で、チェコアニメの文脈でなくチェコ・シュルレアリスムの側面で感じるものが多かったので掲載。
ではさっそく講座の続きです。
◆⑥『闇・光・闇』はトゥルンカの『手』の影響はあるか、また『オテサーネク』はチェコの伝承の話、ポーやキャロルらの原作、そうしたいろいろなものの作品への影響について聴きたい。
チェコの人形劇の伝統の影響を受けている。特に7~9才の頃に両親に買ったもらったこのくらい(注. 20cmくらいを手で示す)の人形劇セットの人形で遊んでいたのが大きな影響になった。子供の頃、内気でいろいろな問題を抱えていたが、善玉と悪玉を誰かに見立てたりして、人形で問題解決していた。
これがプラハで人形劇学部へ入った理由。映像の教育は受けていないが、映画にこれだけ人形とか書割とか出てくるのは、この影響。
ポーやキャロルについては、生き方の一部というくらいの影響がある。
ただそうした本や映画については、筋はすぐ忘れてしまい、筋と関係ない部分が残り、それが作品に影響する。
たとえば『アッシャー家の崩壊』では筋ではなく、流れてくる泥を活躍させたくてあの映画を作った。そうした細部の切抜きから、間違いなく私の作品として作り出している。
クレジットするのは、断らないと盗んだことになるから(笑)。
◆⑦作品を作り上げて観客に届く時に、日本語字幕が入るとか、本来の表現からどうしても変わって死んでしまう部分がでてくる。自分の中に入って出ていく時に変わってしまっている。この時の感情をどう思うか。
いつもそれはハンディ、気になって仕方がない。
それなので長いことセリフを拒んでいた。
また作品を作る場合、プロデューサや観客(の受け止め方)を気にしないように。それが結果的には観客のためにもなる。
◆⑧『人間椅子』は何がよかったか。そして何をイメージしたか。
江戸川乱歩はその名前だけでなく、作風もポーの影響を受けている。そして日本のオリジナリティを持っている。
『人間椅子』は乱歩の触覚主義にびっくりした。私たちが70年代にやった触覚実験の結果に非常によく収まっている。こんなのが日本にあったんだとすぐに気に入った。
『人間椅子』は「触覚的文学」。早くに知っていれば『触覚と想像力』でも触れたかった。今のところ挿絵のレベル。(注. 将来映像化の可能性を含ませたニュアンスだったと思う)
他の「触覚的文学」としては、フランスのラシェルド(?)『魔法使い』とか詩人のアポリネール(?)『わが友ルードヴィヒ』とかがある。
◆⑨卵と髑髏を使う理由は。プラハ城で髑髏の置物を見たが、チェコでの髑髏の認識は何かあるか。
卵は誕生、髑髏は人が亡くなってからの様。チェコ文化としての特別な意味はない。
骨については、建築の素材として優れている。物体として巧みなことができ、オブジェに使っている。
卵は子供の頃、スクランブルエッグが(嘔吐されたもののようで)気持ち悪くて食べられなかった。強迫観念があった。今は、食べられます(笑)。
今日は限られた時間でまだまだ質問があると思う。その答えはラフォーレ原宿の展示から得てほしい。
最後、大きな拍手の中、微笑みながらはにかみ気味に出て行くシュヴァンクマイエル氏のうしろ姿が印象的でした。
■レポートの最後に
触覚の芸術とか想像力による反乱というのは、シュヴァンクマイエル氏がいろいろなところで書いている/インタビューに答えている言葉である。しかしそれを直接生で聴けたのは、とても有意義。
目の前で直に話を聴くのは書かれたものを読むのとはまた違う。コミュニケーションとしては身振りや顔の表情といった文章だけでない情報が加わる。
そして加えて眼。僕は一番前の左側にいたので、時々視線が合う。講座の内容にもあるが、まさに眼は心の窓。大げさに言うと、視線のコンタクトでシュルレアリストの心を直接覗けたわけだ。今まで読んで知っていたことが、それだけでない実感として伝達された。
本当にその視線は優しく暖かいものだった。あの作品の過激さは、口から述べられるラジカルな言説は別にして、御本人の雰囲気からは感じられない。あの暖かい雰囲気がただグロテスクなだけでないシュヴァンクマイエル作品の素朴なユーモアの源泉のような気がした。
この講座の後、ラフォーレ原宿の美術展へ向かう。そこで観た作品200点は以前の葉山のものともダブっている。しかしその見え方は少し変わっていた。
特にポイントは、触れないオブジェや映像作品もかなり触覚を思い出させるようなものになっているということ。あらためてこの講座の後、展示作品を見ると、今までオブジェ等も視覚としてみていたが、それに触った時の触覚を想像しながら見るとずいぶん変わった印象になる。講座で伝わったイメージをもとに、脳の中の触覚感覚を呼び起こしながら見てみる。「触覚の芸術」というのが、実態として迫ってくるのが感じられた。(展示会については別に追ってレポートします。)
■講座の様子、そして想像力。
最後に講座の状況から無理やり日本のコアなシュヴァンクマイエルファンの様子を想像してみる。
会場はほぼ20代の若者が95%。特に女性が9割くらい。しかも上の9つの質問は女性からのみ。
シュヴァンクマイエル作品は葉山の展示も若い女性ファンが圧倒的に多かったし、今回の展示会場も7割くらい女性だった。
全般的に最近は美術展とか行くと女性が多い傾向なのだけれど、特にシュヴァンクマイエル作品は顕著。この視点で分析するのも面白そう。(女性が社会で感じている現実と、そこを突破するためのシュヴァンクマイエルの体内的な感覚の芸術による反乱、という切り口でひととおりの分析の言説は書けそうに思うが、それこそシュヴァンクマイエル氏が嫌う人の想像力を何らかの形の中に閉じ込めるような行為かもしれない。)
もちろん『アリス』とかその他、どこか可愛らしい人形やオブジェが、なんとも言えない独特のユーモラスを身に纏って現われる部分が女性に受けているのかも。
(ちなみに僕はエヴァのメディウム・ドローイングについて突っ込んだ質問をしたかったが、会場はシュヴァンクマイエル本人のことを聞きたい空気が強く、エヴァさん中心の質問をしそびれました(^^;)。
僕は語り合えはしなかったけれど、先に述べたように御本人の視線を感じながら、シュルレアリストの思想を聴けたのは、とても貴重な経験だった。遠い東欧の地で語られていたチェコ・シュルレアリスト・グループの息吹を少しだけ受け止められたかもしれない。「想像力は現実の原理に対する反乱である。解放せよ。」この言葉は、究極映像研の座右の銘のひとつとして、しっかりと刻まれた。(なんちゃって(^^;)))
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