山本 弘『アイの物語』(amazon)
作者解題 (山本弘のSF秘密基地)
現実はフィクションほど筋が通ってはいない。物語のように理想的なハッピーエンドを迎えることはほとんどない。ハッピーエンドを書けば「甘い」「そんなことあるわけない」「現実離れしている」と批判する人もいる。だが「そんなことあるわけない」のは、作者だって百も承知である。
これはフィクションにすぎない。ひとかけらの事実も含まれてはいない。だが、フィクションだからこそ素晴らしいものもあるはずだ。
いろいろな切り口で読める、噂に違わぬ傑作だった。
まず主題として、フィクションが持つ価値についての物語。「機械とヒトの千夜一夜物語」とあるように、ロボットが語る複数の物語から焙り出されるフィクションの意味、これがまず素晴らしい。SF読み、かつ現実というよりは頭はいつもフィクションに浸っているような我々(僕だけ?)にとって、凄く共感できる。
◆未来の地球知性の進化ヴィジョン
次に機械知性による地球の未来の描写。
宇宙探査について描かれたこうしたヴィジョンはどこかのSFでたぶん読んだことがあると思うけれど、 最終話で語られるのはかなり迫真のヴィジョンである。未来にこんな光景が本当に現れるかもしれないという幻視力。ここは素晴らしいなー。
このクライマックスの描写から、今現在、地球へ別の星から人工知能体が来ていないとすると、もしかして知的生命は地球にしか登場しなかったのではないかと思える。こんな想像をさせてしまうのもこのストーリーのプロットがコンセプトとして非常に優れているからだと思う。
◆何故人を殺してはいけないのか
世の中で最近よくなされるこの問い。
シンプルに答えられるはずなのに、何で迷ったり複雑怪奇な言説が出てきてしまうのか、不思議に思っていたのだけれど、山本弘はズバリと回答を書いている。そしてその答えをシンプルにロボットの知性の骨格に据えて、人間にはなしえない世界を描いている。
本書冒頭で山本氏の娘さんへの言葉が掲げられている。
この部分は、自身の子供と現代の子供たちへ向けた氏のメッセージだと思う。
ゲド・シールドという言葉で人の持つ業を説明している。それによる人の限界と機械知性の可能性。SFらしいアプローチで丁寧に倫理を描いている。今の時代、なかなか貴重なことだと思う。(うちの子供たちにも読ませたいけど、読まないんだよなー、これが(^^;)。)
◆機械知性の意識への疑問
と書きつつ、実はここで描かれた、人の限界と機械知性の対比には、実は僕はかなりリアリティとして疑問を持った。(冒頭で書いたようにフィクションとしては全然OKなのだけれど、、、)。
というのは、ロボットが意識を持つ過程を書いていないことに起因する。僕にとってはこの本のひとつ残念な点である。
乱暴にまとめると、本書の機械知性は鉄腕アトムと同じ。つまり意識の生まれる過程ではなく、本書の人工知能はすでに意識らしきものをはじめから持っていて、描かれているのはそこに自我が生成していく過程のみ。
実は意識とゲド・シールドというのは原理的に非常に密接な関係があるんじゃないかと思う。極論すると、ゲド・シールドこそが意識そのものって感じがするので、果たして本書で描かれた意識を持った機械知性が本当にゲド・シールドからこれほどフリーでいられるのか、甚だ疑問だなー、と思いつつ読んでいた。
と、最後暴走して全く自分のあやふやな観点で批評してしまったけれど、連作短編としてこれだけ力のある作品はなかなかないと思う。非常に丹念に人工知能のありようを地に足のついた描写で書いていて、フィクションの魅力にあふれた一冊。お薦めです。
◆当Blog記事 人工知能の意識関連リンク
・意識を持ったロボット
・無意識の脳活動と芸術家の「半眼」
・神林長平が描くロボットの意識『膚の下』
・茂木健一郎 『プロセス・アイ』Process A.I.
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