« ■クリストファー・ノーラン監督『The Prestige:プレステージ』 | トップページ | ■二つの展示会 『ヤン・シュヴァンクマイエルの世界』
  『イベントーク シュヴァンクマイエル展』 »

2008.08.23

■笠井 潔『青銅の悲劇 瀕死の王』

 笠井 潔『青銅の悲劇 瀕死の王』(amazon)

◆総論 メタフィクションでないアンチミステリー(この項 ネタばれはなし)

 「矢吹駆シリーズ日本篇 待望の第一作」、夏休みに読み切れず、結局、今週通勤電車に持ち込み、さらにオリンピック(野球)の韓国優勝をTVで流し観しながらさきほど読了。772ページの本を毎日持ち歩くのは疲れます。

 にしてもこの厚さは無駄ではない。厚さの理由は、謎に対する徹底的な推理論議が描きこまれているからなのだけれど、有機的に終盤のテーマに収斂していく。

 その終盤のテーマは一応の全ての謎解きの後に記述されるナディアによる20世紀本格推理小説論。しかもこれが小説としてのメタレベルで語られるのではなく、あくまでも物語世界のリアリティの中で、リアルだからこそ語られるところに本作の透徹した思考がある。笠井潔、やっぱり凄い。今年の本格ミステリーの(他を全く読んでいないけど(^^;))たぶんトップ。

◆推理徹底論議と、描かれる終焉間際の昭和の習俗

 今回、物語は笠井の『天啓の宴』等に登場する作家宗像冬樹が主人公。
 笠井自身をモデルにしたこの宗像と、「矢吹駆シリーズパリ篇」のワトソン役(?)ナディア・モガール、そして北沢響という高校生が探偵役で、旧家で起こった事件をあらゆる角度から推論/推測していく。最初、冗長かとも思われたそれらシーンは、しかしかなり緻密に整理されていて読みやすく、あきさせないで大部の小説を最後まで読ませていく。

 先の新刊メモで書いたナディアの日本アニメ・漫画研究のパートも、ある登場人物を描くのに重要な部分を形成している、そしてこの時代の日本のリアルを描くのにも成功している。
 全共闘の時代も当然このシリーズでは重要な位置づけで描かれるのであるが、今回は次回作への一つのステップとして、矢吹駆および宗像冬樹周辺の過去の描写と、そしてこれも1989年の日本のリアルを浮き彫りにするのに(先のアニメパートとの対比で大きく)貢献している。

◆アンチミステリー そして本質直感批判 

 ★ここからは、テーマに関するネタばれ有。
  でも犯人についての謎解き部分は触れません。

「初代のオーギュスト・デュパンから歴代の名探偵は、一人の例外もなく厳密な推論と称して詐欺師の向上まがいの出鱈目を唱えてきたにすぎない。それがわかってしまったからかしら。(略)わたしの場合も、この点では物語の名探偵と似たようなものだわ」(P767ナディアのセリフ)

 ナディア嬢ちゃん、立派になったなー、という30年来読んできたファンの感慨はどうでもいいとして(^^;)、この発言は以前のワトソン役のナディアの空回りとは違い、大いに重みを持った発言となっている。
 入り組んだ登場人物の考えと行動で複雑に構成され如何様にも推論を組み立てうる謎と、それに対する大部の推理論議が徹底的に描かれことで獲得された本格推理論としてのリアリティがここにある。
 結局ナディアの推論にしても穴があり、そしてそれを埋めるために推測でかまをかけて登場人物から真実(と思われる事柄)を拾い集めることにより、やっと構成される。しかもラストで真犯人とされた人物にしても、まだ本当の犯人かどうかは不確定とほのめかされる。

 ここが本作のアンチ・ミステリーとしての真骨頂。リアルな人間の振る舞いであるからこそ、推論できないことが確実に残る。ここはメタ・フィクションに逃げるのではなく正面切って、延々と事象の不確定さを描き出していることから説得力を持っている。

「わたしも事件に出遭うたびに本質直感を試みようとした。(略)あれは、誰にでも可能な現象学的本質直感とはまったく違うもの。あの人は否定していたけれど神秘的な直感としかいえません。たぶん全知全能の存在が矢吹さんの耳元に囁いていたんでしょう、それぞれの事件の『本質』を」(P762ナディアのセリフ)

 この部分は、ある意味メタ・フィクション(^^;)。ついに言っちゃいましたね、笠井潔。イリイチとの対決はどうなる??

 竹田青嗣の現象学の著作を読んで、矢吹駆の本質直感って本来の意味と随分違うんじゃない、と思っていたので、ああついに作家本人が書いてしまった、というのが正直な感想。

 この全名探偵を否定した発言と、そして本質直感すら批判してしまった後、次回作以降、どうシリーズが展開していくのか、本当に目が離せなくなりました。今回、あまり多く語られていない思想面(特にこれからは現代にいたる日本の状況がその射程に入るだろう)に比重をずらしたシリーズになるのかもしれない。

 か、もしくは20世紀ミステリーを全般で批判し、21世紀ミステリーを構築していこうという壮大な試みなのかも。期待しています、笠井潔。

◆関連リンク
別冊文藝春秋_080901

笠井 潔  煉獄の時 70年代後半のパリ。現代思想の巨人だった男が 迎えた試練の時とは?  矢吹駆シリーズ最新作!

 パリ篇の最新作の連載がスタートしています。日本篇とパリ篇、並行して書かれるのですね。パリ篇が未完で気になっていたので、この連載は嬉しい。でも単行本はずっと先かな。

|

« ■クリストファー・ノーラン監督『The Prestige:プレステージ』 | トップページ | ■二つの展示会 『ヤン・シュヴァンクマイエルの世界』
  『イベントーク シュヴァンクマイエル展』 »

コメント

>>繰り返される、以前と同じレトリック、

 今回のミステリー論は、さらに深化したと思ったのは僕だけでしょうか。

>>以前あった過剰なまでの怨念という感じの雰囲気が消えて普通になってしまった文章全体の雰囲気。

 これは同感です。
 あの過剰さが懐かしい。フランス編には期待したいですね。

投稿: BP | 2008.10.01 21:59

書店でこの本を立ち読みして、ちょっとがっかりしました。

繰り返される、以前と同じレトリック、
以前あった過剰なまでの怨念という感じの雰囲気が
消えて普通になってしまった文章全体の雰囲気。
(笠井潔さん、丸くなられたのでしょうか?)

矢吹駆シリーズは、哲学者の密室で終わりにすべき
だったような気がします。

楽しみにしていましたが、結局、立ち読みで、
全て読了して、買わずに帰ってしまいました。

投稿: | 2008.09.28 01:36

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■笠井 潔『青銅の悲劇 瀕死の王』:

» 笠井潔『青銅の悲劇 瀕死の王』 [カイエ]
わたしは日本に帰ってきた、矢吹駆を殺すために                           N・Mの日記から   笠井潔『青銅の悲劇 瀕死の王』の帯には、「矢吹駆シリーズ日本篇 待望の第一作」と書かれている。しかし、矢吹駆の名前は出てくるものの、実際には登場しない。作中に、ナディア・モガールの「わたしは知っているの、もうじき矢吹駆が頼拓にあらわれることを」というセリフがあるので、ひょっとすると本作は「矢吹駆シリーズ日本篇」の壮大なプロローグなのかも知れない。 青銅の悲劇 瀕死の王作者:... [続きを読む]

受信: 2008.08.24 22:16

« ■クリストファー・ノーラン監督『The Prestige:プレステージ』 | トップページ | ■二つの展示会 『ヤン・シュヴァンクマイエルの世界』
  『イベントーク シュヴァンクマイエル展』 »