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2009.02.10

■感想 佐藤善木演出
 「わたしが子どもだったころ『映画監督・押井守』」

Oshii_father_3 BShi わたしが子どもだったころ

 夢と現実、真実と虚構の境界線を曖昧(あいまい)にした独特の世界を作り出す。(略)
 父親は浮気調査などを行う私立探偵。うそをつく父に振り回され、現実に対しての感覚が麻痺(まひ)したという。高校時代、学業で落ちこぼれ、学生運動に生きがいを見出す。「革命の大儀のためには親にも教師にもうそは許される」、父親譲りの感覚で家族と社会に反旗を翻した。

 先週の記事「【映像遺伝子解明録】押井守 父親の虚構 虚構の幼年期」で書いたように、この番組はドキュメンタリーに名を借りた、押井守のフィクションのたくらみではないか、と思って見始めた。

 著名人の語る子供時代をドラマ仕立てで視聴者に見せるこの番組、もし本当だとしたら、相当恥ずかしい。なので、きっと押井はフィクションで自らの過去を虚構の中に封じるのではと期待したわけ。

 だけれども、観た感じ、本当の過去を語っているようにみえた。(、、、と感じたのが既にたくらみにひっかかってるだけかも(^^)) 事実だろうと虚構だろうと、なかなかこの作家を語る上で面白い番組に仕上がっていた。

 まずドラマにかぶる川井憲次の音楽で画面は既に押井映画の世界。それだけでかっこいい。
 そして登場する押井守子供時代と高校時代。
 特に引用した写真の小学生時代の押井守役の子供が素晴らしい。
 スタッフが似た人を選ぶと番組のなかでも話しているように、顔が似ている。シャツが似ているのもカモフラージュになっているのかもしれないが、この押井守ぶりには感心。

 本題は、父親の虚構。
 まず家族の中での暴君ぶり、父親一人だけ牛乳と肉を喰うシーンがある。
 ドラマでもラーメンとのり巻き、立ち喰いそばといった「食」のアイテムが続く。押井映画で「食」というのは、犬の次に(ん、虚構より??)キーとなるアイテム。そのルーツは父親との「食」をめぐる記憶の数々なのかもしれない、という描写である。
 そして探偵であるが、謎の過去。「言ってる事がどこまで本当かわからないオヤジ」。どうやら海軍中尉であったのは、父親が語った虚構らしい。

 ただし押井はそれ以上父親の謎に迫ろうとしない。「過去に何してたかとか、評伝書こうとかでなく」「身体の現象的なところでどうしても縁が切れない。そのことの方が面白いし興味がある」「体つきが似てきた。反目していた兄が外貌が親父に似てきた。(父親が)肉体に宿っている」と語っている。
 
 最近の押井の(空手以降の?)フィジカルなアプローチがここにも。

 その他、番組の各シーンに押井作品へのオマージュが溢れていて、ファンには楽しめた。
 校舎の屋上から東京を俯瞰するシーン、鳥のシーン、学生運動と飯。
 警察が家にきて、父親から大菩薩峠に閉じ込められる「山小屋軟禁事件」。

 そしてクライマックスは、小学校の時、父親と一度だけ行った旅行で食べた立ち喰いそば。その記憶を語る時の押井の嬉しそうな笑顔が印象的。

◆関連リンク
テレビマンユニオン - 佐藤ディレクターコラム
 【映像遺伝子解明録】 vol.5 押井守さんの番組を作りました

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