■感想 『ヤノベケンジ―ウルトラ』展@豊田市美術館
作品「ウルトラ-黒い太陽」起動!!
ヤノベケンジ-ウルトラ展
豊田市美術館 (Toyota Municipal Museum of Art)
当Blog記事 「ウルトラ-黒い太陽」豊田に怪獣!? テスラコイル吠える!トーク・イベント 「討議 ヤノベケンジ」
出演:ヤノベケンジ、椹木野衣(美術評論家)
天野一夫(豊田市美術館チーフキュレーター)
司会:都筑正敏(豊田市美術館キュレーター)
日時:4月11日[土] 14:00-16:00
鑑賞してきた第一報を先日記事にしたが、少し考えて整理したので、トーク・イベントの紹介と感想をまとめる。
◆結論
「ウルトラ-黒い太陽」は、僕らが子供の頃観た怪獣の持つセンス・オブ・ワンダーを、ヤノベケンジが表現した作品である。
そしてその目論見は、アートとしては異例の作品となり成功しているかもしれないが、円谷作品を超える驚異には残念ながらまだ到達していない(^^;)。しかしいつか実物の怪獣を目の当たりにしたい、という子供の頃の、作家とわれわれ観客の願望は満たされている。
現代アートファンだけでなく、奇想SFファン、円谷特撮/ウルトラシリーズのファンに是非現場へ赴き、体感してほしい作品である。
◆トーク・イベント 「討議 ヤノベケンジ」
司会の都筑氏による展覧会裏話にはじまり、椹木野衣氏と天野一夫氏のそれぞれのヤノベケンジ論が語られ、そしてヤノベ氏が「ヤノベさんは○○○と思ってはるんじゃないでしょうか」と茶々を入れるという形態となったトークショー。
二時間に渡って、討議というには各々の論がぶつかることは残念ながらなく、二人の批評家が溜めている分析の言葉を追うのにかなり集中力を要した。
その日、東京からやってきてトークショーの1時間前に初めて「ウルトラ-黒い太陽」を観た椹木野衣は、まだ整理できていない状態で、慎重に言葉を選びながら、下記のように語った。(要約)
「何かとても踏み入れるべきではない大きなところへ踏み込んだような、美術を越えた不吉な印象。創造的に人に勇気を与えるようなものでない。しかし圧倒的な力で観た人の体に突き刺さる、人の生命を破壊しながら進んでいくような強さがある。
ヤノベ氏の転換点になるのではないか。」
天野一夫氏は本来ゲストとして迎える立場なのだけれど、近所にいるものを書いている人間として述べたい、と前置きして下記のように語った。(要約)
「80年代の無為の行為、巨大なものを作りたいという初期作品の過剰な表現、意味に回収できないところに興味があった。最近のヤノベ作品チェルノブイリとか核とか意味がついてきてから、興味を持てなかった。今回の作品は80年代の自分の作品を破壊するアイロニー。強烈に作っているが達成できない無為の造形の凶暴さがある。」
そしてヤノベケンジ。
「心臓ドキドキする。パフォーマンスをしてきて何かおかしい感覚。
本当はこの討議に参加したくなかった。今まで饒舌に語りすぎたので、言葉で語って限定したくない。作品を自分が語ってしまうほど、僕が満足する分析に出会えない。自分が喋らず、どう切り取られるか、みていたい。」
「ウルトラ」という言葉から連想される怪獣については、最後にヤノベ氏から下記のように語られただけで、美術評論家からは言及がなかった。
「豊田市美術館の池に怪獣映画の卵のような悪夢の世界を描きたかった。四次元怪獣ブルトンのように。しかし図らずも今回は美術館の中に収監されてしまった。」
◆僕がヤノベ作品に感じるもの
ヤノベ作品に僕が出会ったのは、名古屋港にあった現代美術館で観た「ルナ・プロジェクト− エマージェンシー・ショッパーズ」(1999年)である。
それまでヤノベ作品を雑誌で見たことはあったと思うが、実物をはじめて観て、とにかくその場に居続けたいという感覚を強く持ったのを今でも鮮明に覚えている。懐かしいというか、そこにいると何かが満たされるというか、そんな感覚である。
その後、その感覚が何なのか知りたくて、機会があれば観に行った。
あまり実は言葉にしたくなかったのだけれど、今回の討議を聞いていて、自分なりに少し整理する言葉が見つかった感じがした。
ヤノベ作品に僕が感じるのは、僕らの世界にいるべきものがいないという喪失感とそれを埋める作品ではないか、ということ。
僕らが子供の頃にTVで圧倒的なインパクトを受けたのは、円谷英二他、円谷プロのクリエータが創造した怪獣やウルトラQの不思議な現象であり、横山光輝らの『鉄人28号』に代表される巨大ロボットの存在である。
そして万博とアポロ計画を代表とする21世紀の未来である。僕たちの世代は、大人になった頃にそのようなものが街に存在していることを夢想して育ってきた側面がある。(そしてそれらによって僕たちの美的感覚・不思議感覚は圧倒的な刷り込みを経験している。)
しかし現実の21世紀はどうか?
当然であるが怪獣は存在しないし(あたりまえ(^^;))、巨大ロボットが街を破壊することもない。世界にあるべきはずのものたちが存在しない巨大な喪失感が自分たちの中に横たわっているのかもしれない。
ヤノベ氏はその喪失感を埋めたくて、あの作品群を作っているのではないか。アート作品を作るという感覚よりも、自分の観るべきものを世界に物として存在させたいという感覚である。
これはアートの範疇に回収できないものかもしれない。ヤノベ氏の子供時代のセンス・オブ・ワンダーの再現。
そこが僕の「その場に居続けたいという感覚」を強く召喚したのかもしれない。
だからこそ、この作品はアートとして語られるのではなく、「怪獣の出現」として語られ、美術館に赴くべき観客は怪獣ファン、SFファン、奇想なものを観たい人たちであるべきではないか。
このことはナレーションを聴くだけで明らかであろう。
ただ今より作品「ウルトラ 黒い太陽」を起動します。 作品起動に大容量の電力が必要なため、展示室の照明を落とします。
この言葉は、アート作品の紹介ナレーションだろうか。気分はほとんど怪獣退治の新型兵器の起動プロセスである(^^;)。美術館では女性のナレーションを使用していたが、本来気分的にはウルトラQの男性ナレーションでやってほしかったり(^^)
「ウルトラ 黒い太陽」についてひとつ残念だったのは、怪獣としての弱さ。
その作品は巨大であるがゆえに、制作上の制限もあったと思うが、あまりに整然と作られた工業製品然とした形状だった。いろいろと事情はあったと思うが、もっと不定形の形であったら、さらに異質なものに覚える畏怖心は増大されていたと思う。ここが冒頭に書いた「円谷作品を超える驚異には残念ながらまだ到達していない」部分である。
アートの世界からヤノベケンジは、より広い世界に受け入れられ、それによってさらに巨大でセンス・オブ・ワンダーに溢れた作品を作れる環境を獲得できたらいいのではないか。(というか僕が観たい(^^;))
本当に残念だったのは万博の企画が通らなかったこと。
万博で広く世界に認められていたら、さらにとんでもないものを街に出現させることができていたかもしれない、、、。
◆09.4/18 デジスタ NEWS TOPICS
六本木アートナイト ジャイアント・トらやんの大冒険(NHK)
ということを考えていたら、先週のデジスタで当のヤノベ氏が語っていた。リンク先にムービーがあるのでご覧ください。
「実はトらやんは今回、初めて歩くんですよね。いわば六本木の街の中に巨大ロボットが出現して街を破壊し尽くす、そういう特撮さながらの絵が現実に。そういう記念すべき瞬間が今回のイベントなんです」まさに街に自分が子供の頃にTVという仮想空間で見た驚異を現実の街に出現させて喜んでいる作家の姿がここにある。
「おー、おー、おぉーおっ」
「ありえへんわ。夢の中にいてるみたいな気分ですね。このビルの谷間に巨大ロボが現実にいてるっていうのがねぇ。」
◆関連リンク
・六本木アートナイト
ここのQuickTime VRによる大パノラマ写真が素晴らしい、必見です。
・怪獣ブログ : バルンガ
なんとも不思議でシュールなデザイン、しかしどこか脈打つ生物感を感じさせもする。・ブルトン (ウルトラ怪獣) - Wikipedia
巨大な風船生物がふわふわと空に浮かぶ、あまりにシュールな情景。
・ブルトン ウルトラマン - Google 画像検索
・ブルトン : 怪獣ブログ
そう、不条理、シュール・・・・・・・これがブルトンのテーマである。
それは怪獣ファンには周知の事実であるブルトンの名が、フランスのシュールレアリズム芸術運動を引き起こした芸術家アンドレ・ブルトンから名づけられたことからもわかるとおり、怪獣ブルトンがシュールであるのは確信犯的なものなのである。
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