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2009年8月

2009.08.31

■探偵!ナイトスクープ 『シェラデコブレの幽霊』

 週末、いきなり本Blogのアクセスが急増(いつもの約3倍の5000件)。アクセス解析で調べてみると「シエラ・デ・コブレの幽霊」のキーワードで検索して、以前書いたこの記事へアクセスされるのがほとんど。

 で、焦ったわけです。もしかして知らないうちについに放映されたのか、と。まずい!見逃した!と思って調べてみると、、、、。

朝日放送 | 探偵!ナイトスクープ

『史上最高に怖い映画』田村裕探偵

東京都の男性(25)から。今から44年前、1965年にアメリカで制作された“シェラ・デ・コブレの幽霊”というホラー映画は、その試写版を見たアメリカの テレビ局幹部が、あまりの恐怖から嘔吐したといわれ、ついには「恐すぎる」という理由で、アメリカ本国でお蔵入りしたとか。ある本でこの作品を知ったが、 今ではとても入手困難と書かれていた。なんとか、その“シェラデコブレの幽霊”を探し出し、観賞させて頂きたい、というもの。

シェラデコブレの幽霊.

しかし、版権がどうなっているのか分からないので、テレビでは放送できないため、出演者らだけで鑑賞。探偵ナイトスクープでは、「シェラ・デ・コブレの幽霊」の動画は一切、流れませんでした。

 ということで、「探偵ナイトスクープ」で取り上げられたようです。それでアクセスが増えた、放映はされていない、ということで、見逃したわけでなかったのでまずはホッ(^^;)。

 すぐ上のリンクに詳細が記載されているが、番組ではフィルム所持者 映画評論家の添野知生氏を探し出し、関係者だけで今回番組のために試写をしたとのこと。探し出す過程も面白そうなので、たぶん何週間か後で東海地区でも流される番組を楽しみに待ちます。
 (もっとも添野知生氏がフィルム所持していることはGoogle検索でかなり楽に見つかる情報ですけどね。それを言ったらおしめぇよ(^^;))

 その添野知生氏がBlogで番組のこと、フィルム入手の経緯を書かれています。

Not Always a Waste of Time: 探偵ナイトスクープ.

 朝日放送の番組「探偵ナイトスクープ」に協力し、ちょっとだけ出演もしました。朝日放送では今夜放送されます。
 8月28日(金)午後11時17分から(朝日放送など)

 私は2週間後の東京放送まで見られません。
 9月11日(金)午後11時30分から(TOKYO MX)

 番組の構成が最終的にどうなっているのか判りませんが、公式DVD化のための良いきっかけになれば、と思って協力しました。テレビ放送の影響力は非常に大きいので、予想を超えた反響があると思います。この件、続報します。

Not Always a Waste of Time: 呪われたフィルムがうちにあるわけ.

こ の機会を逃したら幻の映画が幻のままになってしまう(かもしれない)。このときばかりは苦手の英語メールにも力が入り、もう一人いるという買い手(オース トラリアの人だったらしい)との熾烈な争いを経て、翌週にはもうフィルム缶の入った段ボール箱と対面していたのだった。(この項さらに続く)

Not Always a Waste of Time: 呪われたフィルムがうちにあるわけ(2)

 その日、SFファン仲間の樫原辰郎さん(映画監督・脚本家)が、mixi日記でジョゼフ・ステファノの死を悼み、唯一の監督作である「シエラデコブレの幽霊」が見られない現状を嘆いていた。それを読んだ私はその場で樫原さんに電話して―― 「あるんですよ」 「あるってなにが」 「だからその幽霊が」 「どこに」 「うちに」

 ナイトスクープがきっかけでDVD化されるといいですね。テレビ局が噛めば、版権取得も楽になるのでは。

◆関連リンク
朝日放送 | 探偵!ナイトスクープ.

2. 『マネキンと結婚したい女』 間寛平探偵 大阪市の女性(26)から。5年前に1度だけ会った“彼”のことが忘れられず、恋愛ができない。“彼”とは京都・亀岡近辺にある酒造店の2階に展示されて いたマネキン人形。一目惚れし、日が経つごとに“彼”への愛情が燃え上がり、彼と結婚したいと思うようになった。この真剣な気持ちを持ち主に分かってもらえる自信がないので、力になって欲しいというもの。これは2年後の『99年探偵!ナイトスクープアカデミー大賞』で主演女優賞を受賞した名作。さらに昨年、『グランドアカデミー大賞』(08年5月23日放送)にも登場した力作を完全版で紹介。

 先週末、東海地方ではリバイバル企画で、この97年制作回が放映されていました。
 この『マネキンと結婚したい女』、くだんのマネキンを見つけ、本当に親族を呼んで結婚式を挙げてしまうという、凄まじいものでした。いやー、日本の今は奥深い。

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2009.08.28

■ヤノベケンジ『トらやんの世界ーラッキードラゴンのおはなし』出版

Torayan_great_adventure_top
トらやんの大冒険 -TORAYAN'S GREAT ADVENTURE-
2009年8月22日(土)~10月12日(月・祝) 水都大阪2009参加プロジェクト


トらやんの大冒険 -TORAYAN'S GREAT ADVENTURE
(YANOBE KENJI ART WORKS /// ヤノベケンジ アートワークス)

『トらやんの世界ーラッキードラゴンのおはなし』(絵・文:ヤノベケンジ)
32頁/B5判/上製本/ハードカバー  定価:1,400円+税
編集:多田智美(Licht/alt)
アートディレクション&デザイン:原田祐馬(UMA/design farm)
株式会社サンリード:新レーベルnueより新刊絵本のご案内

2009年夏、大阪の街を舞台に開催される「水都大阪2009」――
現代美術作家・ヤノベケンジが手がける作品群が、まちをふしぎに変えていく。

<あらすじ> 恥ずかしがり屋の主人公・まあちゃんのまちに、巨大な黒い
かたまりが落ちてきた! いん石? うちゅう船? なぞの黒いかたまり
「黒い太陽」の出現をきっかけに、まちはふしぎにかわってゆく。
まあちゃんの大切な人形・トらやんとまあちゃん、ラッキードラゴンが巻き
起こすイマジネーションの世界。
2009年8月21日 水都会場にて 先行発売

 昨日からスタートした水都大阪2009で公開がはじまった新作「ラッキードラゴン」の絵本が刊行されるとのこと。
 「黒い太陽」と言えば、もちろんこのBlogで何回か紹介した豊田市美術館の「ウルトラ展」で展示された巨大な鉄の半球とテスラ・コイルよりなるヤノベケンジの過激な作品の名称である。
 絵本の龍のしっぽに描かれた球体の絵と粗筋を見ると、作品に物語が付与されていくいつものヤノベ作品の流れに、今回、「ラッキードラゴン」も 「黒い太陽」ものっかったということなのだろう。

Photo

 そして新作「ラッキードラゴン」の名前は、もちろんアメリカの水爆実験で死の灰を浴びた第五福竜丸から名づけられているのだろう。昨日公開された「ラッキードラゴン」の全貌は、いまだネットでの写真・映像公開はないようだ。どのような作品なのかは、今のところスケッチとULTRA TODAYでの制作途上のスナップから推測するしかないのだけれど、ヤノベの今までの核をテーマにした作品群との連環が濃厚。

 下記に示すように、「ラッキードラゴン」と「ウルトラ -黒い太陽-」の公開ツアーが開催されるので、どのような作品になっているのは、連続して鑑賞するのがポイントなのかも。もう大阪まで行くしかない!??

◆関連リンク
トらやんの大冒険 -TORAYAN'S GREAT ADVENTURE- 水都大阪2009参加プロジェクト

1) オープニングトーク「ヤノベケンジの仕事/妄想を現実に宿す技術」  
日時:8/22(土)19:00~21:00 定員:50名(無料・当日先着順)
場所:京阪電車なにわ橋駅「アートエリアB1」  

2) 《ラッキードラゴン》スペシャルクルーズ&《ウルトラ -黒い太陽- 》体験ツアー ~ヤノベケンジと多彩なゲストによるトーク&ナビゲート~  
実施予定日:9/5(土)、9/20(日)、9/21(月・祝)、9/23(水・祝)、10/10(土)、10/12(月・祝)
各日2便運行
A便(12:00中之島ローズポート発→14:30名村造船所跡地着、現地解散)  
B便(15:30名村造船所跡地発→18:00中之島ローズポート着、現地解散)  
参加費:4,000円(1便40名/先着順 ※定員になり次第〆切/事前申込・振込制)  
申込方法:要事前電話予約 070-5501-6626(受付時間 10:00~19:00)

絵・文:ヤノベケンジ『トらやんの世界 ラッキードラゴンのおはなし』(Amazon)
第五福竜丸 - Wikipedia.

「ラッキードラゴン~第五福竜丸の記憶」 福島弘和作曲・春日部共栄高等学校吹奏楽部委嘱:ベン・シャーンのラッキードラゴンから受けた印象を元に創られた福島弘和氏の吹奏楽曲。

ULTRA TODAY: 「水都大阪2009」まで あと11日!!
 ラッキードラゴンの制作風景。
ヤノベケンジ・トークライブ « - 銀座 ビーエルディーギャラリー BLD GALLERY | ブログ.

「ニャーニャ、ニャーニャ、ニャーニャーニャー♪ ランラララン、ランラララン、ランラーララン♪」
『ミニ・ジャイアント・トらやん』は歌いながら手をフリフリ、腰をフリフリ。
そして・・・
「ボオッ」とファイヤー! 「うわ~ッ!!」歓声と拍手の嵐! 皆さんの笑顔・笑顔・笑顔。でも一番楽しそうなのはヤノベさん! (※注:今回販売の『ミニ・ジャイアント・トらやん』はリモコンなしです。 動く/火を噴くバージョンは、展示しておりますが販売未定作品です)

 なんと『ミニ・ジャイアント・トらやん』は火炎を噴くのだった!!
 大阪市役所玄関のトらやんは火炎禁止らしいのに。(市役所でファイアー?: ひねもすのたりの日々)
『CasaBRUTUS特別編集 浦沢直樹読本』
 このムックに20世紀少年関連でヤノベケンジの小特集8ページ掲載。
 特集は「『20世紀少年』へのオマージュ もうひとりの"ケンジ"の告白」と題されて、作品の紹介とグラビア、ヤノベへの聞書きで構成されている。

当Blog記事
予告篇ムービー「YANOBE KENJI 2009 SUITO OSAKA」  ヤノベケンジ2009 水都大阪
豊田市美術館 ヤノベケンジ-ウルトラ展 ファイナル・イベント
感想 『ヤノベケンジ―ウルトラ』展@豊田市美術館 作品「ウルトラ-黒い太陽」起動!!
京都造形芸術大 ウルトラ・ワーク・イン・プログレス 『ULTRA FACTORY ウルトラファクトリー展』探訪記・1

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2009.08.27

■押井守監督 『鉄人28号』 BS2 ミッドナイトステージ館 8/29(土)公開

Testujin2801 BSオンライン.

ミッドナイトステージ館  劇場中継  『鉄人28号』  BS2
8月29日(土) 午前0:45~2:22(28日深夜)
原作:横山光輝 脚本・演出:押井 守
出演:南 果歩、池田成志ほか
(2009.1月 天王洲銀河劇場)

 時は、1964年、東京オリンピック前夜。鉄人28号の生みの親・敷島博士、そして鉄人を唯一操縦することの出来る少年・金田正太郎。(略)
 2人をテロリスト集団“人狼党”が襲います。正太郎、敷島博士、人狼党党首、犬走一直。それぞれが抱く想いが怪しく交錯します…。(略)
 「変な舞台にしたい」という押井さんの思いのこもった、異色のキャストでおくる話題の舞台です。

梅田芸術劇場

鋼鉄の巨人、お前は、正義か悪魔か。 ドラマと歌が摩訶不思議な化学反応を起こす。 それは、誰も見たことのない奇怪な世界、 ファンタスティックな謎の舞台劇。 さあ、飛べ、鉄人!首都の空に未来を描け!

 劇場に観にいけなかったので、この放映は凄く楽しみ。
 ハイビジョンでないのが残念だけれど、それにしてもテレビで観られるとは思ってもいなかったので感激(^^)。

 押井守昭和史の一環を成すのか、それとも虚構の東京を描くのか、、、、。押井ファン必見。

◆関連リンク
YouTube - 実物大!鉄人28号製造中.

アニメ版の設定と同じ全長18メートルの「鉄人28号」が、大阪府岸和田市の金属加工 会社「北海製作所」で制作中。建造費は1億3500万円。今年10月に横山光輝さんの 出身地、神戸で公開される。

 これはお台場ガンダムと同じ18mの鉄人。制作風景が4本ほど公開されているが、ダイナミックでこちらもなかなか。

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2009.08.26

■J・キャメロン監督『アバター:Avatar』予告篇 特別3D映像公開

Avatar_trailer_small
Apple - Movie Trailers - Avatar
 09.8/20からネット他でいよいよ予告篇が解禁。
 予告は想像した以上でも以下でもなく、順当な出来に観えてしまい映像的な驚きはない。本来は大画面の3D映像として評価すべきものなのだろう。あとキャメロンは物語性も優れているので、当然だけれど、総合的評価は公開を待つしかない。
 一点、予告篇にいちゃもんを付けると、上の引用の2枚目、飛行機らしきものから降りてくる人物が俳優の演技らしいのだけれど、どうもCG的な安っぽさがある。これ、どうにかならないものだろうか(^^;)。

 8/21には、IMAXシアター他で15分の特別3D映像が公開されるイベント「アバターの日」が開催された。残念ながら仕事で行けなかった僕は、ネットで予告篇とイベントに参加した方たちの記事を眺めて、その立体映像を想像するしかない。本Blogへもyorikiさんのコメントで感想をいただいているが、観られた方はこの記事にコメントもしくはトラックバックいただけると幸い。

そして3D映像は“必然”になった--「アバターの日」@川崎IMAX | WIRED VISION.

(略)視差を持つ左右の目からの像が結ばれることで立体的な像を認識するというプロセスを、観客もまた3D映像で目撃する。ここでキャメロン監督は、「(略)観客のあなたの化身でもある」と示唆しているように思える。(略)3D映像という新たな表現手法を得た監督の歓喜と自信にも重なる。

映画に限らず、小説でも演劇でも、物語を味わうということは、他者の生を疑似体験することにほかならない。他者の内面に入り込み、その人の目で見て耳で聞くことを仮想的に経験する。(略)

 アバターの存在は、パフォーマンスキャプチャーで役者が3Dデータの中に入る(?)ことも象徴しているのだろう。

 知覚と身体の関係について考察した下條信輔『<意識とは何だろうか> 脳の来歴、知覚の錯誤』にこんな一節がある。

 「地球外の宇宙に知性を持った生物は存在するか」「存在するとして、私たちとのコミュニケーションは可能か」このような疑問がよく話題となりますが、右のことを前提にすればあまり望みはなさそうです。身体の構造機能と知性とは分かちがたく結びついているとすれば、「地球人とは似ても似つかないからだをしているが、似た知性を持った宇宙人」という発想自体が、すでにありそうもない。(P110)

 予告編を見ながら僕は、SFマニアであるキャメロンの想像力が、このような知性と身体の関係を、立体映画というツールで観客に疑似体験させる異様な感覚の映画を作り上げていることを期待した。
 まさか『タイタニック』の後にエンタテインメント映画を期待してきた観客に、そのような体感を強いるのはハリウッド的にはあり得ないのだろうけれど、、、。きっと気持ち悪い体験だろうから。

◆関連リンク
Official Avatar Movie site | In Cinemas December 18th Worldwide
ジェームズ・キャメロン監督「アバター:Avatar」特別3D映像公開イベント体験記: エンターテイメント日誌 .

従来のびっくり箱のように飛び出す3Dというよりはむしろ、奥行きのある映像を愉しむという感じかな。特にCGの映像は効果的だが、実写の人間は立体感が余り感じられない。この程度ならむしろ、3Dメガネが煩わしいので従来の2D(平面)映像で十分という気がした。

3D立体映画の大本命「アバター」の立体映像っぷりがどのような感じなのか、15分の特別試写レポート&体験してみた感想とかいろいろ - GIGAZINE.

昨日公開された2Dの予告編だけを見ていると「なにこのファイナルファンタジー?」みたいな印象を抱いてしまうため。ただ、その懸念は立体映像の実物を見る と消し飛ぶレベルで、むしろこんな感じで徹底的に作り込まないとだめだということもよくわかります。というか、1080pのフルHD予告編以外は公開しな い方がよいかもしれません。

世界で最初の目撃者に! 『アバター』特別3D映像上映イベントが全世界で同時開催 (シネマカフェ) | エキサイトニュース

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2009.08.25

■3D映画版『ジュラシックパーク』『スターウォーズepisodeⅠ』他

3d
Hollywood 3d Sampler 2 anaglyph yt3d (Youtube)
Hollywood 3d Sampler Anaglyph yt3d (Youtube)

 これ、日本のサイトでどこも紹介してなくって、当Blog的には凄い特ダネなんだけれど(^^)、究極映像研Tumblrで昨日紹介したが全くReblogされない。世間的には関心の少ないネタなのかも(^^;)。
 いいんです、少なくとも僕の眼と脳味噌はこれを見つけて喜んでるので(^^)。

 何が凄いって、『ジュラシックパーク』『マスク』『マトリックス』『シュレック』『スターウォーズ1』『ターザン』他、過去の映画の名場面が3D映画化されていて、上記リンクで今すぐ観られる!!

 これら動画は2D映画を、ディジタルの技術で3Dとして蘇らせたもの。
 Youtubeへ飛んで、画面右下の3D表示方式を是非「パラレル」か「交差法」にしてカラーでお楽しみを。(もし裸眼立体視に自信のない方は、赤青メガネ方式もありますが、こちらは色が良くなくて、残念ながらはっきり言って観られたものではない)。

 他にも何本かムービーが公開されている。
 YouTube - pusuxu のチャンネル 変換作業を実施しているオーストラリア(?)の会社のようですが詳細は調べてません。あしからず。

 上に引用した『ジュラシックパーク』のシーンを見てもらうと、右と左の画像で視差があるのがわかると思う。特にティラノサウルスの頭と岩山の位置。2Dの元映像からこうした二枚の画をコンピュータと手作業で作り上げているわけだ。

Matrix_3d_2
 『マトリックス』の画像では、静止画白黒でまず2Dシーンを見せ、すぐ後ろに3D画像を見せて視差追加の効果を連続して見せるようになっている。Youtubeの画像を立体視しながら、シーンがカラーになると奥行きが生まれるのは、なかなか快感。

 どうやって作られているかというのは下に紹介。

 凄いのは、釜山フィルムコミッションスターウォーズを立体映画にする技術等でこういうものがあることは知っていたけれど、Youtubeで手軽にいつでもこのような立体映像が見えるようになったこと。

 あともっと凄いのは、『ターザン』を観ると海のシーンとか素晴らしい出来で、2Dセルアニメの映像からも立体映画が作れるということ。これが可能ということは、宮崎作品や金田伊功アニメートも3D化できるということで凄い。観たい!

 先日、国内でも立体映像がIMax等で解禁になったキャメロン監督の『アパター』。これがどの程度ヒットするかにかかっているが、今年はいよいよ真の立体映画元年ということになるのかもしれない。
 そうした時に3D-CGで出遅れている日本アニメ界は、過去のセルアニメを立体化できるこのような技術開発に力を入れるべきかも。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』が立体映画で観られたら、凄まじい衝撃になりそうだと思うのは僕だけだろうか。

◆2Dから3Dへのコンバート

 技術については、下記に紹介されているが、あまり詳細情報はない。最も詳しいのは、やはりこの世界の日本の第一人者である大口孝之氏のHPの下記文章である。(残念ながら大口孝之氏の特殊映像博物館は現在閉じられているので、当Blogの過去記事からの引用)

『スターウォーズ・エピソード3』と『エピソード4』の3D映像公開  BIFCOM 釜山フィルムコミッション

2007年3Dリスト (大口孝之氏の特殊映像博物館:Special Movie Museum)
 その出来は極めて自然で、最初から立体映画として制作されたものと変わりがなかった。
 具体的な手順は、①オリジナルのフィルムを元に、奥行きを設定したデプス・ストーリーボードを作成。②各映像のレイヤーを分解。③見た目で3Dのジオメ トリーをモデリング、もしくはペイントによるデプスマップを作成し、オリジナルの映像をテクスチャマッピング。④左右の視差を与えて、映像の欠けた部分を ペイントで修正…というものである。被写界深度によるピントのボケた個所は、他のショットから焦点の合った映像を移植してきたり、そっくり別の映像に置き 換えたりという方法で対応している。

 以下、変換作業の紹介記事とその動画。

YouTube - How IMAX Wizards Convert Harry Potter to 3D 
 まさにこれは気の遠くなる作業。

2dto3d ・3D映画特集(1):IMAX技術者が語る「ハリポタ」の3D変換技術 | WIRED VISION.

ワイアードのブログ『Underwire』が独占公開した上の動画では、ソフトウェア上で1フレームの画像から人物や背景をマッピングして、両眼の視差を考慮した2つのフレームを制作する様子が説明されている。

Video: How IMAX Wizards Convert Harry Potter to 3-D | Underwire | Wired.com.

◆関連リンク 当Blog記事
スターウォーズを立体映画にする技術  In-Three Dimensionalization®

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2009.08.24

■神山健治監督『東のエデン』 小説出版
 『劇場版I The King of Eden』 絵コンテ完成!

The_king_of_eden_poster 絵コンテ完成の朝 早朝。(公式ブログ)

 蝉の合唱が聞こえだしたころ、神山健治監督より、「東のエデン」劇場版I The King of Eden の絵コンテ最終パートが制作進行に手渡されました......。

 絵コンテが完成との情報。
 あと三か月でプレミア上映とのことなので、これからが制作の山場ですね。

 公式ブログには着々と公開へ向けたイベント等の情報が公開されているので、以下クリップ。
 まず右は雑誌『ハマルアニメ  特集「東のエデン」を解く』の表紙にもなっていたので、観た人も多いでしょう。『The King of Eden』のポスターとのこと。

 ネタばれがあるので、それが怖い方、あまりマジマジ見ない方がいいです(^^;)。

『東のエデン 劇場版I The King of Eden』先行プレミアム試写会 -トークショー

日時:2009年11月19日(木)21:30開場(予定) 
場所:テアトル新宿 登壇者:神山健治監督、大杉役・江口拓也さん
内容: -『東のエデン 劇場版I The King of Eden』先行プレミアム試写会 -トークショー

総集編のヒ・ミ・ツ

今回の総集編は、ただの総集編ではありません!!

『東のエデン 総集編 Air Communication』
9月26日(土)より、テアトル新宿、テアトルダイヤ、テアトル梅田にて公開
※モーニング&レイトショー。

 総集編がまず公開されて11月にプレミアム上映という段取り。
 「Air Communication」というタイトルと今までのTVの物語がつながらないがどういう意味なんだろう。もしかしてTV最終話の「直列の接続」のことか!?

 そして映画へ向けて、神山監督の小説がまず出版!

「小説・東のエデン」刊行記念 神山健治監督サイン会とトークショー

日時:2009年9月19日(土)16:30~
場所:紀伊国屋書店新宿本店9F特設会場にて
参加資格: 9月16日(火)13:00より 『小説・東のエデン』(メディアファクトリー、税込1,470円、9月18日発売予定)をお買い上げの先着100名様に整理券を配布

日時:2009年9月19日(土)15:00~(14:50開場)
場所:紀伊国屋書店新宿本店別館DVDフォレスト 大型モニタ-前特設会場
登壇者:神山健治監督
内容:トーク&生オ-ディオコメンタリ-
-神山健治監督のト-クショ-
-生オ-ディオコメンタリ-
神山健治監督と一緒に「東のエデン」を見ながら作品のポイントが聞ける!気になる謎の解説も?!

 「ダ・ヴィンチ」に連載中の小説を出版とのこと。「ダ・ヴィンチ」今月号を見ると、TV版全部を連載で書くのでなく、連載+書き下ろしで出版されるようです。定期購読者にケアできるのか!?と心配ですが、、、、。

★★★★映画版 ネタばれ注意★★★★

 まっさらで観たかった僕は思わず下記のくだりを読んで後悔しました。自己責任でどうぞ。

劇場版ポスター完成!

 ニューヨーク/タイムズ・スクウェアのビル群には、滝沢さんがミサイルを撃ち落す瞬間がグラフィカルに描かれたポスタ-......。
 ポスターからは、「AIR KING」の文字が読み取れます。
 「AIR KING」とは、撃墜王を意味するそうです。

 TVシリーズから半年、劇場版ではいったい、どのような物語が展開するのでしょうか?

 春日くんがしっかりネタばれしてくれました。 

 「AIR KING」。最終回での滝沢の依頼に対して、この王様か。JUIZ、そうきたか!
 僕はてっきり日本の王と言えば、天○なので、ついにその領域に手を着けるのかとドキドキしていたのだけれど、神山監督もそこまで無謀ではないようです(^^)。

 ネタばれ度としては下記の雑誌の特集最初のページは、もっと書いてあるので、要注意。既に僕は読んでしまいました。でもまだ触りしかわからないのだけれど、、、。

◆関連リンク
『ハマルアニメ  特集「東のエデン」を解く etc. 』

キャラクター紹介、作品解説、エピソード×名セリフ×謎…
劇場版(Iは2009年11月、IIは2010年1月公開)への謎解き
神山健治監督インタビュー/「東のエデン」に散りばめられた映画の数々

『DJCD「東のエデン 放送部」EDEN SIDE』
『東のエデン オリジナル・サウンドトラック』
『DJCD「東のエデン 放送部」SELECAO SIDE』

・当Blog記事
 第11話「さらにつづく東」
 第10話「誰が滝沢朗を殺したか」
 第9話「ハカナ過ギタ男」
 第8話「あらかじめ失われた道程をさがして」
 第7話「ブラックスワン舞う」
 第6話「東のエデン」
 第5話「今そんなこと考えてる場合じゃないのに」
 第4話「リアルな現実 虚構の現実」  第3話「レイトショーの夜に」
 第2話「憂鬱な月曜日」 第1話「王子様を拾ったよ」感想
 竹田悠介美術 HDR(High Dynamic Range)写真タッチの映像
 神山健治 『映画は撮ったことがない』刊行予定 小説版『東のエデン』

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2009.08.21

■Aida on the floating stage on Lake Constance in Bregenz

Aida_on_the_floating_stage
Aida on the floating stage on Lake Constance in Bregenz as seen in Quantum of Solace - Telegraph(Tumblrより)

 海辺の浮きステージで開催されるオペラの写真。
 他にもリンク先には各種巨大造形物のステージが掲載されている。

 舞台の人の大きさから推定すると、このガイコツは15mくらいの巨大さではないだろうか。
 このダイナミックな舞台、そしてこの海のオープンスカイで、どんなオペラが繰り広げられているか、興味津々。これは一度観てみたいものです。

 
 巨大な足のシーンのビデオ。雰囲気を一部味わうことができます。

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2009.08.20

■Panasonic フルハイビジョン プラズマ3Dシアター

Panasonic_prasuma_3d FULL HD 3D Special Site | Panasonic

 プラズマディスプレイによる3D映像の紹介サイト。

 既にNEWSとしては古いのですが、僕はサイトで初見だったので紹介します。

 これはフルハイビジョン映像をプラズマディスプレイに120コマ/秒で映し出して、液晶シャッターメガネで交互に60コマ/秒 右目/左目へ交互に伝達。かなりの高画質を実現できているようです。
 
 アメリカ中心に、映画館で立体映画が広がっているので、いよいよ家庭にも、、、ということですね。

 記録はブルーレイディスク。プラズマディスプレイに、液晶シャッターメガネをコントロールできるプレイヤーを組み合せれば実現できるということで、かなり早い時期に投入されることになるかも。

 ジェームス・キャメロン渾身の立体映画大作『アバター』が年末に公開されて大ヒットしたら、そのブルーレイディスクの発売に合わせて、家庭用機器として本システムを市場投入というシナリオではないかなー。

 としたらここ1,2年でのデビューになるわけで、資金的に変える目途は全くないけれど(^^;)、それに備えて薄型テレビ購入は控えなきゃ。

 あと家庭用としてメガネの装着を強要するのは否定意見もあるようだけれど、僕は雰囲気作りとしても絵の高精細度にしても液晶シャッター方式は大賛成。

◆関連リンク
西田宗千佳のRandomTracking(AVWatch)
 SONY技術陣へのインタビュー掲載

 確かに、ちゃんと作った 4K2Kのコンテンツは、鳥肌が立ちます。ですがポストHDの姿として、4K2Kというのと、3Dというのとでは、得られる臨場感の違いと、技術的なハードルの高さを考えた場合、コンテンツのアベラビリティを考えた場合、どちらがいいか、といったら「まずはこちらの方が良さそうだね、こちらが先決なんじゃない?」という発想です。

 特に、「BOLT」の映像を見ている時、ちょっと面白いことに気がついた。3D映像が立体に見える理由は、右目と左目の映像の「視差」にある。だから、メガネを外して映像を見ると、映像は左右にぶれたような感じになる。このぶれが、画面の「上部」と「下部」で違ったり、同じシーンなのに細かく変化したりしていたのだ。

 通常この「視差によるぶれ」は、画面全体・シーン全体で一様である。例えば、視差が画面の上下で違うということは「画面の上と下でピントがあっている場所が違ったり、立体感が異なっていたりする」ということであり、普通にはあり得ない状況だ。

 だがBOLTでは、同じシーンの中で、同じフレームの中で視差を細かく調整している。狙いは「どこがどのくらい立体的に見えるか」を調整し、視線を誘導するためだろう。

 後半に述べられている3D映画での映像制作のノウハウは、なかなか興味深い。
 3D映画って、結局冒頭数分は驚異の映像にワクワクするけれど、たいがいその後、慣れてしまって全編でのエキサイティングな体験になかなかならない。裏返せば、脳内映像補正で2D映画でもかなり立体感を体感していることが、この差異の小ささの原因になっているような気がする。

 といった時に、こうした撮り方による3D独特の驚異の映像へのアプローチって、なんかあるのだろうね。やはりキャメロンの実験が楽しみ。

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2009.08.19

■感想 諸星大二郎原作 早川渉監督『壁男』

諸星大二郎原作 早川渉監督『壁男』

 諸星大二郎原作、早川渉監督・脚本のこの映画をDVDで観た。

 なかなかシュールな一品。in outの中間に位置する壁の存在を追求していくくだりでシュールレアリスムに触れる等、なかなか観せる。

 但しそれが諸星大二郎のタッチになっているかというと、ちょっと雰囲気は違って、たぶんこれは監督の個性なのだろう。

 原作ははるか昔に読んで、ほとんど記憶に残っていないのだけれど、諸星ならばもっと土俗的に描かれるのが、近代的な映像描写でやはりあの漫画のタッチとは異なる。

Mudmen  諸星を実写で完全映画化するとしたら、どんな手段があるのだろうか。
 これはかなり難問で、きっとどんな監督も頭を抱えてしまうのではないだろうか。

 というわけで、この映画のような諸星の雰囲気を映画で出そうとせず、原作として割りきって映画は映画としてのアプローチで行くというのが正解かもしれない。

 でも観たいですよね、諸星を完全再現した実写映画。
 『オンゴロの仮面』とか観たいなー。

◆関連リンク
諸星大二郎 - Wikipedia

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2009.08.18

■解読 神林長平『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』

Photo

『アンブロークンアロー―戦闘妖精・雪風』(ハヤカワ・オンライン)

(昨日の感想から、以下続く)

★★★ネタばれ注意★★★
(内容が思弁的なだけにこの程度の記述じゃ、本当のネタばれにはならないけれど為念)

◆エビグラフ と 人称

 すべては変わりゆく
 だが恐れるな、友よ
 何も失われていない

 このエビグラフは、まさに本書を体現している言葉である。
 つまり小説の人称を自在に混在させ、一人称の部分が全体のほとんどを占めるのに、その一人称自体がいろいろな登場人物視点にスライドしていく。読者はこれにより結構な眩暈を覚えることになる。
 本書のテーマの一つである人それぞれで現実が違う=不確定性という概念の文体化。
 まさに視点によって「すべては変わりゆく」。しかしどこかで表現される「失われていない」「リアル」。
 これは神林の作品で今までも何度も語られているモチーフであるが、今回以下の観点を持ち込むことで、さらに破たん寸前だけれど、ギリギリ戦端を広げることになっている。

◆無意識の思考 と 擬似的な思考システムである言語

 文章を書いたり言葉で思考するというのは、その本来は意識できない思考の流れを擬似的に再現しようとしているに過ぎないのであって、言葉による思考は本物の思考ではない。われわれの思考というのは無意識になされているのであり、意識するのは、生きている限り寝ても覚めても休むことなく無意識になされている膨大な思考計算の、そのほんの一部の結果にすぎない。われわれが意識するのは、瞬間瞬間のそうした「結果」「結果」「結果」の羅列なのであって思考そのものではない。
 それでもヒトであるわれわれには、無意識の思考の流れをあたかも意識的に追跡しているかのように感じられるが、それは、擬似的な思考システムを持っているためだ。それが、すなわち言語能力というものだ。(リン・ジャクソンに宛てたアンセル・ロンバート大佐の手紙より P23)

「無意識の思考や意思というのは<自分>ではない(略)」
「では<自己>はどこに発生するんだね」
「だから、言語上に、ですよ(略)。脳なんかなくても言葉さえ存在すればそこに自己が発生する。」
「いまきみが言ったことは、おそらくジャムの人間観を表している。ジャムは、人間とはそういうものだととらえているに違いない。」(ロンバート大佐 桂城少尉 P118)

 ジャムが、われわれの、おそらくは言語感覚を操作することによって、ある種の錯覚世界を生じさせているんだ。(桂城少尉 P136)

 記憶が虚構ならば、それをもとにして構成される自意識というのは仮想、すなわち本心とは異なる、仮の想いだ。普段のわれわれは、そうした仮想の自分といういわば代理人(エージェント)でもって世界を認識し、他者との意思交換を行っているのだ。(ロンバート大佐 P150)

 長文の引用になってすみません。
 P23から既にスロットル全開、冒頭でのこのテーマ提示にはびっくりした。先に書いた村上春樹『1Q84』の感想に直結していたから(全くの我田引水で申し訳ない(^^;))。

 この部分、池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』で述べられている脳科学の実験データで検証されつつある自由意志の仮想性というテーマと、ダイレクトにつながる。
 そうしたデータの引用は本書にはないので、あくまでも言語テーマを追求してきたこの作家による空想の結果として、ここに記述されているのだろうけれど、、、。

 そうした脳科学の知見に、神林がデビューからこだわり続けているテーマである「言語」に関する観点を導入すると、上の引用のとおりの認識が生まれるのではないか。

 そしてそれを、ジャムという異種知性体の攻撃概念に外挿したストーリー展開。
 ここが本書を「異種知性体 戦闘哲学SF」と呼びたくなる根拠である。

◆人間に自由意志はない

 今までの神林作品でも、自由意志の不安は常に描かれてきたが、それは「言語」による自由意志の拘束性、というテーマだった(と僕は記憶している)。

 本書が神林のそのコアテーマの戦端を広げたと思えるのは、引用部分にあるように、「無意識の思考の流れをあたかも意識的に追跡しているシステム」として「言語」を規定した点である。今までの作品では「言語」が人間の限界を規定している原因だったのが、さらにその根本原因に言及したのではないか、というのが戦端の拡大。

 <自由意志は言語があるから拘束されている>という今までの概念を否定し、<もともと自由意志はない。自由意志は、瞬間瞬間の無意識の「結果」を仮想している言語が作り出している>という認識へ転換しているのだ。(ありゃありゃ、こんがらがった表記でわかりにくくてすみません。)
 つまり、今回新しいのは<もともと自由意志はない>と意識を否定しているところだ。

◆では無意識は、本当に自由意志ではないのか

でも、おれは、そうは思わない。自意識というのは、筋肉と同じレベルで実存しているとおれは感じる。そんなものは自意識ではないと大佐はいいそうだが、では別の言葉にすればいい、自意識ではなく自我意識とか。そういう意識は、筋肉が身体を動かすように無意識の本心そのものをドライブすることができる、と思う(深井零 P157)

 さすが主人公深井零(^^;)。
 ここで語られるのは、前項で書いた<もともと自由意志はない>という概念への疑問と、さらに新しい概念の提示である(弁証法での正反合の「合」ですね(^^;)) 。
 (自由意志と自意識を同義と捉えていいのかという問題はありますが、、、)。

 筋肉に例えた零の表現はいかにも戦闘機乗りの視点である。言語に頼らず戦場を生き抜いている零に言わせたことが本書のひとつの肝である。
 無意識の意志決定を、自由意志とも自意識とも呼べない新しい概念として述べたいため、神林はここでは「自我意識」という用語を用いている。この言葉が的確な用語であるかどうかは大変微妙であるが、ここで筋肉の動きに例えていることから、神林が述べたいのはイメージできる。

 僕の解釈はこうだ。神林ははっきりと書いていないが、以下のように表記するとわかりやすいのではないか。

◆戦闘機のシステムアーキテクチャと意識/無意識

 戦闘機の制御を想起してほしい。それはおそらく下記の構成を持つのではないか。

A. 周辺検知、エンジン制御、機体運動制御、攻撃制御、乗員安全制御、、、といった各サブシステム/制御機能。
B. 雪風のように高度な機械知能を持った機体は、これら制御を上位階層で統合制御するシステム機能を持っているはず。
C. さらにその制御の状態を客観的にとらえ(俯瞰し)、乗員もしくは基地の戦術コンピュータへ伝えるインターフェース部分が必要。

 つまり零が説明したことを戦闘機の上記システムアーキテクチャで表現すると、人間の筋肉の動きがA.の階層(無意識のレベル)、自由意志/自意識がB.とC.の階層ということになる。
 人の自由意志/自意識が瞬間瞬間の無意識の「結果」をとらえているだけというのは、戦闘機では、応答性のニーズから瞬時瞬時は各サブシステムのA.レベルが実行し、それをB.レベルで後追いで認識し(次の行動を大まかに統合制御し)、それをC.レベルが言語化し他者に伝える、というプロセスになる。

 最新の脳科学の知見では、人の行動は、下記のようになっているという(当Blog記事 池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』より引用)。

認知レベル   ①動かそう ②動いた
脳活動レベル ③準備      ④指令
実験結果
 認知レベルと脳活動レベルの関係
 ③準備→①動かそう→②動いた→④指令 (P251)

「自由は、行動よりも前に存在するものではなくて、行動の結果もたらされるもの」
自由意志は「動かすのを中止することしかできない(P258)」という概念が実験的に確認されているという。

 なんだか禅問答のような記述にみえるかもしれないけれど、これは各種実験で確認されている事実と、そこから抽出される概念。

 まさに上で述べた戦闘機のシステムアーキテクチャを想定すると、わかりやすいのではないだろうか。

 これって実は戦闘機で書いたけれど、我々の身近の家電とか自動車とかのシステムも、意識的であれ無意識的であれ、現在、これに近いものになってきていると考えられる。A.B.C.のB,Cがどの程度進化しているかが異なるが、近未来にB,Cがこれらのシステム構成に追加されていくのが時代の趨勢といえると思う。
 さらに脱線すると、これを徹底して意識的に実行すれば、特にB,Cをいかに人間の言語に近いシステムとして導入するかで、人工意識みたいなものが出来あがってくる可能性があるんじゃないか、と思ったり(^^;)。もちろんそんなに単純な話ではなく、言語学とか認知学の知見をぶっこんで、意識的に作り上げることが重要だろうけれど。

車のNAVIって一部音声認識発語が可能なので、実はこの視点から既にミニミニ人工意識の萌芽となっている(現にうちの子供たちは車のNAVIが喋るのに刺激されて、彼女(女性声)に名前を付けて呼称している(^^))。
 NAVIが車両内部の各周辺検知情報や制御機能について、上記先端の知見を入れたうえで、俯瞰して語り出したら(A.を自己観察して語るということ)、人工意識としてのレベルはかなり上がるのではないか。単純だが、これをどうユーザー(特に子供たち)が認識するかで、意識の問題は装置のレベルで、生活の中で検証されていくのではないか。チューリング試験的に(^^;)。

 閑話休題。
 零が述べていることの新規性は、A.について、人間の無意識と呼んで自由意志から切り離して考えるのではなく、これも「自我意識」と呼んで人間自身と考えればいいのではないか、という概念だと思う。先の戦闘機の制御で言えば、A.B.C.ともにそれは雪風自身であって、B.C.のみを切り離して雪風の自我意識と呼ぶのは変だよね、ってことだと思う。

 これが池谷本の時に書いた、近代の意識偏重主義の突破、と同じ概念だと僕は思った。神林のような鋭利な文学者と、脳科学の先端知見が同様の結論を推定してきているのが、とても興味深い。(そして現代の機械システムの制御アーキテクチャもまた、そこに近づいているのが面白い)

◆意識を生み出す進化圧力と鮮やかなラスト

 かなり本書から脱線してしまったが、神林長平は下記のとおり、続けている。

 環境におけるそうした自己の時空的定位を認識する能力というのは、生物に特有なものではなかろうか、自分がいまどこにいるのかを捉える感覚器を持っているというのは。それは認識対象との関係性を能動的に測る能力に繋がるだろう。そうした能力が、いわゆる<自我>というものを発生させたのではなかろうか。(略)それらは無意識的にやっていることだろうが、意識的にやれた方が有利だという状況があって、そのような進化圧力が加わり人は意識を持つようになった、というのはありそうなことだ。(深井零 P223)

 意識(=言語)というものの成り立ちの推測である。
 前項の文脈で言えば、B,Cの俯瞰機能と他者へのコミュニケーション機能のために、意識と言語が進化した(というかそれを持たない者が淘汰された)、ということになる。

 終盤、雪風のエージェントとしてエディスが出てくるシーン(P280)がある。
 まさにコミュニケーションのために雪風が作り上げた機能がこのエディスである。雪風がジャムと戦うために、人間を分析し、人工意識を作り出したシーンと言える。

 そして鮮やかなラストシーン。

「雪風は魔を祓うために来たのだ」。

 不確定性にまみれたフェアリイの地からの雪風の飛翔とそれによる現実の定位。哲学的な世界が、本書世界で確固たる存在である戦闘機により、リアリティを獲得するスリリングで確信に満ちた神林の筆致が見事である。

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2009.08.17

■感想 神林長平『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』

『アンブロークンアロー―戦闘妖精・雪風』(ハヤカワ・オンライン)

 そんな少佐がいまやそれ、「哲学的な概念」がジャムを殺す武器として使える、レトリックではなくミサイルと同じ次元での直接的な武器になるのだ、と言っ ている。(略)<いままでにない概念>そのものが、ジャムを殺す、消滅させる、すなわちこの戦争を集結させる可能性がある、ということだ。(エディス・フォス大尉 P58)

 『アンブロークン・アロー』読了。凄い。今回異種知性体 戦闘哲学SF度、さらにアップ。 思弁の固まりのような作品になっている。
 思索のレベルは、言語から意識や無意識のレベルへ深まって、ジャムとの戦闘はさらに複雑怪奇なものに、、、。

 脳科学の知見から意識について新たな分析が進んでいる昨今、神林長平は戦闘SFの中で、言語からスタートして人間に関する哲学領域へ戦端をどんどん広げているって感じ。
 冒険しすぎてはっきり言って破たんしているところも散見。ただしそれがエッジを効かせることになっているのも確かな事実。この冒険心は紛れもない本格SFの財産だ。

 この先端的な文学について、是非、哲学とか心理学、脳科学方面から専門家の分析/アプローチを試みてほしい。
 神林って、SFジャンルだけでなく、もっと広く読まれて良い作家だと思う。
  例えば『ユリイカ』。アニメや音楽に浮気をしないで、こうした文学をしっかりと特集してほしい。最近、売れ線狙いでアニメ・漫画方面に浮気している雑誌な のでしょうがないか(^^;)。神林じゃ、ジブリの1/10も雑誌は売れないだろうから(残念ながら1/1000かも())。

★以下、詳細ネタばれレビュウは、明日の記事へ続く(長文でーーす)
 →■解読 神林長平『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』

◆関連リンク
『 戦闘妖精雪風 FAF航空戦史 [DVD]』

星雲賞」受賞の傑作SFをアニメ化したスカイアクションが“EMOTION PLUS”に登場。本作は、本編の軍事映像を「軍事評論」の視点から再編集。軍事評論家・岡部いくさによるフェアリー空軍の航空戦史解説BOOK付き。

『戦闘妖精雪風 1/100 スーパーシルフ雪風Ver.1.5』

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2009.08.14

■Tumblrはじめました Ultimate Future Image Lab.

Tumblr_ultimate_fi Ultimate Future Image Lab.

 究極映像研究所のTumblr版をスタートしました。
 今のところ、Reblogがほとんどでオリジナルのポストはほとんどありません(若干、ここの古い記事を転載した程度)。

 まだ少ないけれど、ここの読者に喜んでもらえるような(って言うか自分が好きな(^^;))画像や文章がReblogしてあるので、あなたのDushboardでFollowいただいて、お楽しみいただければ幸い。

 それにしてもTumblrのアクティブさは素晴らしい。現在40ほどのFollow設定をしているのだけれど、一日に400ほどの新規記事がある。見るのに随分時間を使っている。
 主にiPhoneのtumblr gearで巡回(?)しているのだけれど、このボリュウムは圧倒的。

 今後はTumblrで仕込んだ究極映像をこちらで詳しく取り上げるとか、いろいろと使い道がありそうでワクワクしてます。

◆関連リンク
Tumblr(タンブラー)のすすめ。初めてTumblrを利用する人へ、遊び方や使い方、おすすめtumblr紹介など。(appbank)
 Tumblrをこれから始める方は、使用方法等、こちらを参照。(僕はここで御世話になりました)

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2009.08.13

■感想 村上春樹『1Q84 BOOK1<4-6月> BOOK2<7-9月>』

1q84_double_moon いまさらベストセラーの書評というのも気がひけるのだけど、『1Q84』の感想。
 いろいろとメモとっていたら、結構長文になった。ネットで長文は苦痛なので、興味のない向きは、右の写真だけ見て、読み飛ばしてもらえれば幸い。

 写真はNASAの写真を加工したもの。あなたの1Q84にどれだけイメージが合っているか、、、。
 あれ、全然雰囲気違うぞ。そーです、僕も小説とはイメージ合わないなー、と思いつつ掲載(^^;)。このイメージではSF、また別の物語ですね。

★★ネタばれ注意★★  (一応、御約束)

◆総論 紙の月 ではまず『1Q84』冒頭のエビグラフから。

ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になる

It's a Barnum and Bailey world,
Just as phoney as it can be
But it wouldn't be make-believe
If you believed in me

"It's Only A Paper Moon"
 (E.Y.Harburg & Harold Arlen)

 『ペーパームーン』のこの歌詞の引用から開幕した今のところ二冊の長編は、脆弱な基盤に構築された現実が、あるポイントで幻想世界へと分岐していく様子を描いた物語である。
 この歌詞のとおりに、村上の書く我らが現実は見世物のようだし、そこに描かれた二つの月を持つ世界は、紙のように作りものだけれど、天吾と青豆の10歳の時の教室の記憶が、幻をひとつのリアルにする。

◆村上春樹の空気感

 この本が何故売れたか。大げさにいえば現実が村上春樹的世界に近づいている証左ではないか。
 人との深いかかわりを遺棄して希薄化していく現在。しかしそれを望んだにもかかわらず、相反して拡大する底知れぬ不安。
 これって、僕らがそのデビュー作から読んできた村上作品そのもののコアのような気がする。デビュー当時、僕は凄く村上の登場人物が、浮世離れした者にみえて、実は馴染めなかった。5年ほど前に『風の歌を聴け』から再度、読み直してみた。まるで空気のように今度は違和感なく読めた。感覚が小説世界に馴染み、すんなりと自分に入ってくるし、次の作品を空気を求めるように読みたくなって一気読み。

 村上が書いていた乾いた人間関係の物語が現実に近づいていて、そして人々がそれを空気のように求めた。その根底には、希薄化した人間関係だけでは辛くなっている部分に、何らかの対応策が述べられているのではないか、という期待も無意識のうちにはあるのじゃないかな、というのが僕の見方。
 そして人間関係だけでなく、自分自身との関係も希薄にしていくような、世界に対する違和感といったものが村上小説のコアにある。

◆登場人物の持つ違和感

「(略)私たちは自分で選んでいるような気になっているけど、実は何も選んでないのかもしれない。それは最初からあらかじめ決まってい ることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない。自由意志なんて、ただの思い込みかもしれない。(略)」(青豆)
「もしそうだといたら、人生はけっこう薄暗い」(あゆみ) (P344)

「(略)空に浮かんだ月は同じでも、私たちはあるいは別のものを見ているのかもしれない。四半世紀前には、私たちはもっと自然に近い豊かな魂を持っていたのかもしれない」
「(略)人間というものは結局のところ、遺伝子にとってのただのキャリアであ
り、通り道に過ぎないのです(略)」(老婦人 P385)

 では村上の登場人物は、どのように世界に対して、自分に対して違和感を抱いているのか。今回、上に引用したこのような部分で顕著に描かれていると思う。

 自由意志のない意識の問題を、遺伝子の乗り物であるという観点から諦観として描いている。 そして青豆の生き方に顕著に示された体の自然な行動の肯定(但しそれは彼女の幼い日の親による宗教的制約を背景にしているのだが、、、)。

 ここにあるのは、自由意志という意識偏重による近代人の持つアンビバレンスそのものだろう。それによる世界の薄暗さの認識と、そこに端を発した自分への不信と他人との距離感のスタンス。
 自由意志によりコントロールできないコミニュケーションの不全からの回避。これが自分や他人に対する距離感になり、そして逆に自由意志らしく見える自然体を肯定することになる。

 ただここで僕はなんらかの齟齬を感じる。
 自由意志を妨げているのが、自然体の自分ではないのか。諦観を持って否定しているようにみえる自由意志を妨げている自分の中の自然の動き、これを肯定しているために、意識優先なのか、それを否定するのか、といったところに齟齬が生じている。この齟齬そのものが問題だということを村上は書こうとしているのか。上の引用部分もそうだし、小説全体からもそのようなスタンスは実は浮き上がってきていない。

 意識偏重と書いたように、自由意志を優先しようとする近代の問題そのものは村上は肯定しているように思う。しかし体感的に実は自然体であることを本来の姿として描こうとしている。本来は意識の否定につながる自然体である姿の肯定という齟齬をかかえて。

◆齟齬をどう超えていくか。続編への期待

 ここが現代的な部分かもしれない。しかしその齟齬をどう超えていくのか、というのが本来の主題であるはずなのに、その部分はまだ手つかずだ。テーマの一つになっているカルトの問題も、この齟齬の上に無理やりに回答らしき姿を提示する現代的な事象にすぎない。そこを掘っていくことで、超える形を描けるかといったらなんか違うのではないか。リトル・ピープルに騙されてはいけない(^^;)。彼らはたぶん自由意志とは相反するところのものを象徴する存在なのだろうけれど、リトル・ピープルの否定からは、この齟齬の問題には、けりは付かないと思う。

 そのとき青豆が月に向かって何を差し出したのかはもちろんわからない。しかし月が彼女に与えたものは、天吾にもおおよそ想像がついた。それはおそらく純粋な孤独と静謐だ。それが月が人に与え得る最良のものごとだった。(P390)

 月は相変わらず寡黙だった。しかしもう孤独ではない。(P394) 

 月に象徴されるものは、青豆の生活として描かれた「孤独と静謐」を尊ぶ自然体でフィジカルなあり方なのだろう。しかしそれは意識と齟齬した紙の月なのかもしれない。この紙の月を真実に変えるのが天吾との邂逅であるはずだ。自由意志と自然体との齟齬の超越、これが続巻のメインテーマであることを楽しみに待ちたい。

 青豆をみつけよう、と天吾はあらためて心を定めた。何があろうと、そこがどのような世界であろうと、彼女がたとえ誰であろうと。(P501)

◆関連リンク
・当Blog記事 感想 池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』

  この本で西洋近代の「我思うゆえに我あり」という意識尊重主義(?)に対して、科学的な最新の実験結果を示しながら、大きな風穴を開けていることは確か (^^;)。(略)
 今回は自由意志というものがどういうものか、ということをデータで示している部分で、かなり突っ込んだ意識についての認識を示している。

 自由意志に関して僕の関心は、この本の内容にダイレクトにつながっていきます。
【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー(上) : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

(略)地下鉄サリン事件で一番多い8人を殺し逃亡した、林泰男死刑囚のことをもっと多く知りたいと思った。(略)ごく普通の、犯罪者性人格でもない人間が いろんな流れのままに重い罪を犯し、気がついたときにはいつ命が奪われるかわからない死刑囚になっていた――そんな月の裏側に一人残されていたような恐怖を自分のことのように想像しながら、その状況の意味を何年も考え続けた。それがこの物語の出発点になった。

自分のいる世界が、本当の現実世界なのかどうか確信が持てなくなるのは、現代の典型的な心象ではないか。9・11のテロで、ツインタワーが作られた 映像のように消滅した。あれだけあっけない崩壊を何度も映像で見せられているうちに、ふとした何かの流れで、あの建物がない奇妙な世界に自分は入り込んだ のだと感じる人がいてもおかしくはない。

イッツ・オンリー・ア・ ペーパー・ムーン( It's only a paper moon ) - ブルームーン
 ペーパームーンのナット・キング・コールの歌の動画と歌詞
今週の本棚:沼野充義・評 『1Q84 Book1、2』=村上春樹・著 - 毎日jp(毎日新聞)

 とはいえ、第二巻まででも、すでに物語の力は相当なものだ。面白い小説を読んだ後、世界がなんだか少し違って見えることがあるが、『1Q84』の読者も用心していただきたい。読み終えた時、あなたの周りの世界はもう200Q年になっているかも知れないのだから。

村上春樹「1Q84」に登場するヤナーチェック「シンフォニエッタ」の演奏を比較する。: ユーフォニアム認知度向上委員会.

この曲に関して、ヤナーチェックは「今日の人間の自由、平等、喜び、そして時代に立ち向かう勇気と勝利への意志」と書き記している。なお、スコア自体には記 載されていないが、第2楽章「城」、第3楽章「僧院」、第4楽章「街頭」、第5楽章「市役所」という表現がそれぞれ与えられているようだ。全部で約25分 程度の短い曲なので、是非全楽章を聴いていただきたい。最後の楽章では再度ユーフォニアムのファンファーレが再現される。

単純な脳、複雑な「私」 池谷裕二さん : 著者来店 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

心の問題から、「自由とは何か?」という哲学的な問いかけまで幅広く、深いテーマを、脳の働きや機能を検証しながら語っていく。最新の論文に至るまで脳研究の最前線を紹介し、時には自らの「仮説」にも踏み込んだ。

『ヤナーチェク:シンフォニエッタ: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団』
 試聴可能
『1Q84』重箱の隅 - 旅行人編集長のーと.

  まず、この本をめくって謎だったのが、「装画=NASA/Roger Ressmeyer/CORBIS」というクレジットである。NASAの装画って何だろうとぱらぱらと本をめくってみたが、絵も写真も1枚も入っていな い。それなら表紙かと思ってカバーをめくってみたが、そこにもない。不思議だ。それからむきになって隅々まで点検して、ようやくそれらしきものを発見し た。皆様はお気づきになりましたか。カバー表の右下に1は黄色く、2は水色のシミみたいにくっつているものがある。これ、よーく見ると月なんじゃないかと 思われる。いや、ストーリーから考えてもこれは月でしょう。

1Q84 村上春樹 @wiki - エピグラフ - It's Only a Paper Moon.

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2009.08.11

■宇木敦哉監督 『センコロール:CENCOROLL』劇場公開

Photo 予告篇 最新版 (公式HP)
YouTube - センコロール(トレーラー)
センコロール スタッフプログ

8月22日(土)より
池袋テアトルダイヤ・テアトル梅田にて劇場公開決定!

監督・原作・制作・・・宇木敦哉
音楽・・・ryo(supercell)

テアトルダイヤ
モーニング 9:50~10:20
レイト   21:30~22:00
【8/22(土)のみ 21:30~22:10/22:30~23:10】

個人クリエイターの宇木敦哉が、たった一人で、しかも作画を全て手描きで制作するアニメーション「センコロール」。

 2007年に紹介した動画革命東京宇木敦哉監督 『センコロール』が完成、8月末に劇場公開される。

 新しい予告篇が公開されている。
 奇妙な巨大生物と、シンプルなキャラクターとが不可思議な映像として共存している。端正な画面構成が心地いい。
 公式HPとYoutubeでは別のバージョンが公開されているので、是非両方ご覧ください。
 どちらもsupercellというユニットのryoの音楽が良い感じでマッチしている。

『 アニメージュオリジナル Vol.4』

07/31:本日発売の「アニメージュ オリジナル」にて宇木敦哉監督×磯光雄監督の対談記事ほか6Pの大特集!!

 磯光雄との対談では主に現在のプライベートアニメのデジタル制作環境の飛躍的な向上について語られている。

 そして磯氏から「私も自主制作で作ってみようかな・・・・変身する怪獣が戦うアニメ(笑)」という発言。

 新作の情報がいまだにない磯監督。TVアニメであの作り込みだったわけだから、自主制作だったら、原画から動画から美術から全部自分で、凝りに凝った映像になるのは間違いないでしょう。それも観てみたい気がする(^^;)。
 しかもどんな超絶怪獣ものになることか。

◆関連リンク
supercell Member blog
・当Blog記事
 動画革命東京 宇木敦哉監督 『センコロール』(トレーラー)

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2009.08.06

■宮崎駿 妄想カムバック6 「風立ちぬ」

Photo 月刊モデルグラフィックス2009年9月号

妄想カムバック6 「風立ちぬ」/宮崎駿
九試単戦 紙飛行機の作り方/丹波 純

 宮崎駿が描く、零戦の開発者 堀越二郎氏の物語。既に連載第六回、これがはじまっていることを知らなかったので、今までのは読み逃してしまった。なかなか楽しい(?)仕上がりになっているのでご紹介。

 宮崎の雑想系戦記もののパターンで、今回も顔が豚。
 しかし実在の日本人を主人公にして豚の顔というのは、どうなんだろうか、と心配になってしまう(御子孫に了解とっていそうですが、、、、)。

 僕が読んだ第六話は、滞在先で堀越が外国人の娘と恋に落ちるところ。紙飛行機が重要なキーになる。そしてその紙飛行機の型紙が付録についている。どこまでが実話でどこからがタイトル通りの妄想なのか、気になるところ。

 でも変に肩に力の入った描写ではなく、このタッチで柔らかく描かれているのが、とても心地いい。本来、このようにリラックスした姿が、宮崎さんの天真爛漫なあのアニメートに合っていると思うので、今度はこのようにリラックスした(といってもこのテーマでは戦争の影が忍び寄ってしまうのだろうけど)映画を作ってほしいなー、と思うのである。

 かつてアニメージュに企画のイメージボードが載った『戦国魔城』が本当は一番観たいのだけれども、、、。

◆関連リンク
堀越二郎 - Wikipedia
零式艦上戦闘機 - Wikipedia.

零戦の開発は1937年(昭和12年)9月に海軍から提示された「十二試艦上戦闘機計画要求書」に端を発する。三菱では前作である九六式艦上戦闘機に続いて 堀越二郎技師を設計主務者として開発に取り組んだ。十二試艦上戦闘機に対する海軍の要求性能は堀越技師らが「ないものねだり」と評するほど高く、ライバル の中島飛行機が途中で辞退したため、三菱単独の開発となった。1939年(昭和14年)4月に岐阜県の陸軍各務原飛行場で試作一号機が初飛行、翌1940 年(昭和15年)7月に制式採用された。

『Model Graphix (モデルグラフィックス) 2009年 09月号』

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2009.08.05

■感想 滝田洋二郎監督『おくりびと』

Photo_2 DEPARTURES(北米公式HP)

 今頃だけれど『おくりびと』を観たので、感想です。どこが究極映像かというと言うと、実は全くいつもの文脈では読めないので、今回は本当にただの感想です。奇想映像ファンは、読み飛ばしてください。

 映画としての映像の完成度はそれほどでもないのに、しっとりとした物語と、そして、私的な葬儀にまつわる記憶を映画の映像によって想起させ、グッと想いに胸を詰まらせる映画になっている。

 特に山形県酒田市の田園の中でチェロを弾くシーン、そこにかぶるいくつかの納棺のシーンが、個人的に観客が経験したいろいろな葬儀の記憶を思いださせて胸に迫る。最近、同僚だったり親戚だったり、年とともにだんだんと身近に死が出現する機会が増えているため、特にそのようにして強い感情を画面によって引きづり出される。

 納棺のシーンと並んで食事シーンがいろいろと出てくる。
 中でも山崎努が河豚の白子を食べて言う台詞がいい。確かに我々は人の死ではなく生物の死には、毎度食卓で出会っているわけだ。生命の死ということでは同質のものが日常に溢れていることを描くシーン。
 このシーンがあることで、この映画はひとつの深みを獲得しているのだと思う。

◆関連リンク
おくりびと - Wikipedia.

本木雅弘が、1996年に青木新門・著『納棺夫日記』を読んで感銘を受け、青木新門宅を自ら訪れ、映画化の許可を得た[3]。

青木新門 - Wikipedia.

「送られてきたシナリオを見るとね、親を思ったり、家族を思ったり、人間の死の尊厳について描かれているのは、伝わってきて、すばらしいんです。ただ、最後がヒューマニズム、人間中心主義で終わっている。私が強調した宗教とか永遠が描かれていない。着地点が違うから、では原作という文字をタイトルからはずしてくれって、身を引いたんです。」

 青木氏の本にあるという「宗教とか永遠」が気になりますね。
ブログ:9.13 Road Show 「おくりびと」(主演:本木雅弘 広末涼子)

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2009.08.04

■国際宇宙ステーション 日本実験棟「きぼう」
  ISS Japanese Experimental Module Kibo

Iss_jem_kibo

きぼう広報・情報センター
フォトライブラリ 船外パレット

 船外実験プラットフォーム
             (JAXA)
 

 先週、若田宇宙飛行士の2ヵ月にわたる宇宙滞在からの帰還についてはTVニュースになっていたのだけれど、ほとんどこのきぼうの建造については見かけなかったので、写真やビデオを探してみた。

 まず右の写真は、「宇宙航空研究開発機構(JAXA)提供」とクレジットすれば、誰でも使える画像。上記リンクより引用。

 既に稼働している居住区に、大物の船外パレットと船外実験プラットフォームが搭載されて、いよいよ日本モジュールきぼうの完成である。

 下の関連リンクにググったニュースへのリンクを掲載したが、ネットではそれなりに記事が出てくるが、僕が観たテレビニュースや新聞では、この完成について、詳細に取り上げたものはなかった(実は先週もテレビニュースはろくに観てないので、特集したものもあったかもしれないけど(^^:))。

 というわけでどうしても観たかったビデオ映像であるが、JAXAがまとめたものが以下に掲載されている。

 船外パレットと船外実験プラットフォームの搭載状況も映し出されている。

 ロボットアームが取り付けられて、いかにも宇宙基地然としたかっこいいデザインだと思う。映像のテレビ映りも素晴らしい。

 アポロ月着陸40周年の今年、こうして日本の有人宇宙施設が完成したのは、偉大な進歩だと思う。アポロの時代に少年時代を送った我々王立科学博物館世代にとってはビッグニュースのはずなのに、このマスコミの静けさは何なのだろうか。

 上のビデオにある様に、このきぼうは、日本の重工メーカの持つ宇宙技術、潜水艦技術等で構築されたもの。宇宙技術は信頼性・安全性が最も重要で、地上である程度、枯れた技術が使われる傾向にあるにしても、日本の先端技術のひとつであることは間違いない。もっと技術立国としては騒いでもいいと思うのだけれど、どうだろうか。

 最近は環境問題を中心にハイブリッドカーだとか、EVだとか、そうした技術のみが持てはやされているけれど、なんかそれらはネガを消す技術であって、昔の宇宙開発のようにフロンティアスピリットをくすぐるようなワクワクするテクノロジーと思えない。

 かつての宇宙少年は、もっと国際宇宙ステーションのニュースは大々的に取り上げてほしいのだけれど、マスコミ各社殿、いかがでしょうか。暗い景気と政治のニュースばかりでなく、子供たちをワクワクさせる話題を盛り上げて、未来の素晴らしさも体感させてあげてほしいと思うのは僕だけだろうか。

◆関連リンク
国際宇宙ステーション:実験棟きぼう完成 - Google ニュース
SPACE@NAVI-Kibo WEEKLY NEWS 第67号
 ビデオライブラリ - 宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター - JAXA
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今回は、7月16日午前7時03分にNASAケネディ宇宙センター(KSC)から打上げられたスペースシャトル「エンデバー号」(STS-127(2J/A)ミッション)の様子を、「きぼう」日本実験棟 第3回組立てミッションの話題を中心にダイジェストでお届けします。

NASA - ISS Assembly Mission 1J 
 NASAのミッションとしては、ISS Assembly 2J/Aということになるらしいのだけれど、まだデジタルのアーカイブが立ち上がっていないようです。

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2009.08.03

■岐阜県現代陶芸美術館 企画展 ゆかいなかたち

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岐阜県現代陶芸美術館  企画展 ゆかいなかたち

 土の可塑性を生かして自由で豊かな表現を試み、興味深い形を見いだして作られた作品が あります。人間や自然そして人工物などをモチーフにした作品や、硬さや柔らかさを感じるようなオブジェ、うつわの名をもちながら使い方に困ってしまうよう な形の作品など、いろいろな形の作品が生み出されてきました。

■会 場 岐阜県現代陶芸美術館 ギャラリー
■会期 2009年7月11日(土)〜2009年9月23日(水・祝)

 先日紹介した林茂樹氏の作品「Q.P」他、71点の作品を集めた企画展「ゆかいなかたち」を観てきた。「ゆかい」というよりも僕が興味を持ってみたものは、みな「きみょうなかたち」と言った方がぴったりとくるものだった。

 冒頭に引用している「Q.P」はまさにアニメかSFアートの世界から登場したような造形。これが陶器である、というのがまずは驚く。写真ではきっとプラスチックのフィギュア的な質感しか伝わらないと思うけれど、しっかりと実物は陶器のセラミックな輝き。ひとつづつ部品を焼き上げて組み合わせたものだと思うけれど、従来の陶器作品のイメージからいくと随分とぶっ飛んでいる。昨今首相がアニメの殿堂を作ろうという日本らしい作品かもしれない。面白いとは思うけれど、この形状とテクスチャーを狙うんだったら、わざわざ陶器でなくてもいいような気もしてしまう。

2  一方で陶器の質感でしか表現できないような作品がいくつも展示されている。
 僕が特に圧倒的な存在感に喜んだのは、右の秋山陽氏の「境界・系Ⅱ」と名づけられた巨大な作品。(約3m)。これは陶器でしか表現できない質感を見事に活かして、しかも何か強く訴えかけてくるものがある。このゴツゴツとした感触がなかなか鮮烈。

3  左の作品は、杉浦康益氏の「ひまわり3部作-うつりゆく時間(ひまわりの花)」。陶器でひまわりの成長を三段階で描いてあるうちの「花」。
 花弁や種子の質感が陶器で味わい深い表現になっている。

 こうした作品は正統的な陶芸の世界では、明らかに異端なのだろうけれど、現代アートの側面からは独特の質感が眼に嬉しい、異形の奇想作品となっていて興味深い。

 会場はまさに箱もの行政が作り上げた贅沢な美術館。
 僕たちが行った時には、土曜というのに、客はほかにいなくて貸し切り状態。
 陶器というと若い人はあまり観に来ていないのだろうけれど、こういうアプローチが増えて来たら、もっと若い人にも開かれた陶芸の世界が広がるのかもしれない。陶芸のポップは必要か否か、というような議論も出てくるのでしょうけれど、、、。

◆関連リンク
Shigeki Hayashi The Entertainment Ceramics.(公式HP)
当Blog記事
「中島晴美展:NAKASHIMA HARUMI」@多治見市文化工房ギャラリーヴォイス
 今回の企画展には、以前紹介した中島晴美氏の作品も展示されています。

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