■感想 リドリー・スコット監督『プロメテウス:Prometheus』
映画『プロメテウス』オフィシャルサイト
ダン・オバノン成分の含有成分の低い(らしい)エイリアンがどうなってるか、しかと確認するため、観てきた。(本来、3D好きとしては、あの造形が立体視出来るだけでワクワクなんですがw)
REAL D 前から3列目の真ん中。僕が観に行く田舎の小さいシネコンでは、でもこれくらいの席が最適だった。
Twitter等で先行で観られた方々の感想から予想はできたのだけれど、たしかに物語としては突っ込みどころ満載。耳にしていた噂がよくなかったので、若干、頭の中でダン・オバノンならこうするだろう…
な〜んて妄想で補強しながら観たためw、ほどほどに楽しめた。
本当なら、ブラックなトーンで始まったわけだから、あの種族たちと人類の暗黒を、オバノン的なブラック趣味で、もっともっと深くえぐっていたら良かったのにと(^^;)。
映像演出では『エイリアン』のコズミックホラーな雰囲気を、リドリーが『ブラックホークダウン』で描き出したような、リアルで神経がキリキリするようなアクションで漆黒の闇を見せて欲しかったと思うのは僕だけでないはずw。冒頭のドキュメントタッチの空撮とかは良かったのだけれどなぁ〜あとは…。
こういう映画は、むしろ説明の少ないドキュメンタリーとして撮ってくれた方が…。全体の俯瞰なしにあの世界の闇に観客をたたき落としたら…w。
3Dはかなり控えめに立体感を抑えていた。驚かす描写に使うのではなく、その世界のリアルを生々しく描く方に多少振っていたのかな〜と好意的に観れば言えないこともない。ただアップのシーンも俳優の肉体のリアルが浮き出てくるわけでもなく、監督の立体視への興味はきっと低いだろうと推測されるw。
もちろん『ブラックホークダウン』のような手持ちカメラのリアル戦場描写で、しかもキツめの立体視が入っていたら劇場で気持悪くなる人、続出だろう。一番惜しかったのはあの操縦席シーンで周囲にホログラフィ的なものが展開するところ。あそこはもっとカメラが中へ入ってグリグリしてほしかったw。そうしていたら、全天周CG 3D映像「ユニバース2」のような夢幻の奥行き感が出せたシーンなのに、全くもったいない。これを観て、リドリーは3Dには大きな興味はないのだろうと思った次第。
とは言え、これだけの宇宙シーンと異星描写。そしてギーガーのデザインを立体視できる3D映像はとても貴重。僕はこの映像を劇場で観れたことに凄く感謝。なんたってあのギーガーデザインのあんなんやこんなんが眼の前の空間に展開されるのだから…w。
最後に3D映像ファンには悩ましい欠点をw。立体映像を楽しむには字幕が邪魔することのない吹替がお薦めなのだけれど、主演のノオミ・ラパス(なんでこん な色気のない女優を…これは置いといて…)声を当てているのが剛力彩芽とかいうへたくそ女優。声優には拘りがない方なのだけれどこれは最悪でした。日本の軽薄な女の子っぽい調子の喋りが耐えきれないほどに…。いくら話題作りとは言え配給会社の思慮がなさすぎ。
◆『エイリアン』再見
そしてこの映画を観た後、『エイリアン』を観直したw。
闇と光で緊迫感を演出。画面にみなぎる高レベルの緊張感。そして新しい映画を想像しようとする隅々の配慮、気迫の違いがはっきりしている。
『エイリアン』の洗練は多くを観せないで観客の想像力へ委ねる演出だろう。
特にギーガーのイマジネーションを最大限活かして、芳醇な恐怖映像空間を創出したこと。異星の骨で構成されたような巨大建造物とその中に化石化して佇むスペースジョッキー。これにより観客の脳内に展開される幻想の異空間…。
ここで観客の想像力に委ねたことがひとつの大きな世界を感じさせる要因になっているだけに、そこをネタ割れするような設定の『プロメテウス』が、イメージの矮小化を招くのは必然だったのだろう。
あと、ノストロモ号船内の生活感描写も緊迫感に大きく貢献している。
SWにおける汚れた宇宙船内をさらに一歩進めた肉体労働の現場感w。ブラウン管モニタと機械系スイッチに埋まるコクピット。ここから醸し出されるリアリティと俳優達の緊張感ある台詞,身体の動きが恐怖感を高めている。
『エイリアン』にあって『プロメテウス』にはない芳醇さの源泉、セクシャリティについても触れないわけにはいかない。特に顕著なのはエイリアンの粘液を滴らせる黒い造形とリプリーの下着姿の戦闘。造形が先か、これを描きたかったからギーガーに造形を依頼したのか…脱出シャトルの白い噴射も象徴的。
(あのラストの映像の存在感と美しさは、キューブリック『2001年』に迫っていたw。)
こうして再見してみると、『プロメテウス』は少なくとも僕らのSFX第一世代(^^;)の好きなw『エイリアン』のプリクエルではない。
新しい映画を創出する、という気迫が1/100くらいw。
それがオバノンの鬼気迫る映像魂が欠けたことによるのか、リドリー・スコットの胆力の低下なのか…よくはわからないが…。
とにかく『エイリアン』のように映画史を切り開いてきた作品は映像に気迫がある。
アナログとデジタルにその原因を帰結させる論調もあるが、僕はそうは思わない。
CGは単なる手段なので、もっとこうした『エイリアン』のようなアナログ映像が持っていた感覚をどんどん取込んでいくべき。
そして必要なのは新しい映像を創造するという気迫(←なんだ最後、根性論か(^^;))。でも映像は正直にそうしたものを確実に写し撮る。
◆蛇足
先日ヴィレヴァンで深海生物の写真集を立読みw、凄まじい造形力に感動したが、ネット画像検索では今一歩(^^;)。にしても地球46億年の進化が作り出したクリーチャーはやはり凄い。ギーガーのエイリアンの造形に迫る物もある。
◆関連リンク
・プロメテウス (映画) - Wikipedia
"3D映画ではセットで高い照明レベルを必要とするため、3D機器を『アバター』後の技術に基づいて使う一方、『エイリアン』の特徴的な闇と影のある雰囲気はグレーディング・プロセスを通じてポストプロダクションで追加されている。"
案外と、こんなところが、闇と光の演出を妨げた理由なのかも知れません。
・「エイリアン」のデザイナーが設計した不気味なバー - GIGAZINE
そうか、H.R.ギーガーのデザインした「ギーガー・バー」は既に東京には無いのか。スイスのグリュイエールには、まだ存在してるみたいだけど…。今年は『プロメテウス』なリニューアルしてるのかな?(^^)。誰か行かれてませんか。
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コメント
現代の映画
設定を再現しようとしている
昔の映画
感覚を再現しようとしている
現代の映画
物体、物質を再現しようとしている
昔の映画
フィーリングや気持ちを再現しようとしている
現代製作されている映画は、頭で作った色々な設定や頭で思い浮かべたものを再現したその物質を再現しようとしている
だからまずする事は世界観や登場する色々なものの事細かな設定
昔の映画は、イメージそのものを再現しようとしている
だから再現したいもののために設定をつける
例えば恐怖を描いた作品では
設定をして作る現代の映画では、それを見ている人は感情を受け取らず、設定を受け取る事になる、だから恐怖が薄い
昔の映画の作り方では、見ている人が受け取るのは感情で、恐怖を描いたなら恐怖を受け取る
特に恐怖では自分にとって見えない未知のものであるはずの恐怖を、設定で受け取ると、全てを理解した上での困難の強大さの大小になって実質恐怖を感じない
本来恐怖を受けるのに設定等は必要ない
自分にとってどこまでも上をいってる困難である、突破できそうも無い、と言う掌握できない部分こそが重要なのであって
その困難がどういう部分がどういう困難を持っていて、どこではどういう困難である等といえばとたんにその困難を一応は掌握した事になる
エイリアン、とても分かりやすい例で、自分たちにとってそれは恐ろしい存在でしかないと言う描かれ方をした物と
こういう生態系でこういう能力と力を持った存在と言う視点に立って描かれた物とでは
見ている人にとっても印象も後味も違う
方やひたすら怖かった、方や強かった
見る側、主人公の視点から見てただ恐怖を与える存在でしかないのか
それとも、設定を持った生態系をもった自分たちと同じ立場「生物」なのか
現代の映画が求めているのは、事細かな設定の整合性や矛盾の無さ
昔の映画が求めていたのは、その映画で陥る感情そのもの
恐怖を感じてる側には全体像や素性なんて見えるはずが無いのに
作り手が全体像や素性ばかりを描き伝えようとする矛盾
そして見る側も
投稿: | 2013.01.23 01:03