■感想 大林宣彦監督『この空の花 ―長岡花火物語』とトークショー
予告篇(Youtube)
映画『この空の花 ―長岡花火物語』(公式HP)
"まだ、戦争には間に合いますか。"
導入部からの疾走。言葉と映像の畳み掛ける様な情報のシャワーに圧倒される。
ドキュメンタリーに劇映画を上書きし、そして戦争に関する様々な情報を高密度で映像にアーカイブ。
どこにもない"戦争と復興"の素晴らしい映画が眼前に展開された。
そして現代を起点に戦時中を描いた映画の画面に、予告篇にも使われている冒頭引用のコピーがかぶり、現実世界へと投影される。この映画でアーカイブされ、メッセージとして強く観客の無意識の胸を撃つこのコピーは、まさに今、噛み締めなければいけない言葉なのでしょう。
川に設えた舞台を会場に描かれた芝居シーンが、通常の映画に演劇の想像力を誘発し、そこには存在しない戦争世界を観客の中に生々しく存在させている。それはCGや特撮でリアルに戦争シーンが描かれるのと別の、舞台装置として描かれる戦争の焼夷弾の抽象化された光がリアルな爆発よりも鮮烈に心に炸裂するようなイメージ。
画面に映る映像にアーカイブされた長岡と南相馬の過去の戦争と今の復興の現実。それが眼と耳を通して観客に注ぎ込まれ、そして観客のそうした想像力のフィルターを通して解凍され、人の心の中に拡張されて展開された時、意識を超えた部分で、観客の体と頭に味わったことのない感覚が生起される。
その生起されたものは、ひとそれぞれ大きな幅があると思うけれど、この映画で述べられている戦争に関係した人々が後に世の子ども達に切実に伝えたいと思った何ものかである。この不思議な体験したことのない感覚は、この劇場でしか公開されない映画を観て体感するしかないのである。(多くの人に語り継ぐべきイメージなので、僕はできればDVD等での発売を切望しますが、、、。)
映画の終劇後、会場には大きな拍手がわき起こった。
◆トークショー
実は上の様な感想を覚えた映画鑑賞後、トークショーはもう参加するのをやめようか、と思った。映画で伝わった膨大な想いをそのまま持ち帰った方がこの映画にとって良いのではないか、と思ったのだ。
だけれど参加したトークショーとその後のホワイエでのシネマカフェと名付けられた質疑応答会は、大林監督のひととなりがダイレクトに伝わり、直接語られた映画完成までのエピソードが、映画にさらに奥行きを与えてくれ、結果として参加したことは大正解(^^;)。
いくつかエピソードを紹介。
・311でもう劇映画やドキュメンタリーは作れないと感じた。だがエッセイや日記なら書ける。これは映像で描いた自分が経験した長岡のことを描いたエッセイ(徒然草、見聞録)である。
・2009年にはじめて観た長岡の花火、何も経緯は知らなかったが、白いだけの花火で初めて涙が出た。花火の光と光の間の昏い闇を観て涙が出た。「この花火にはこころが観えるんじゃないか」と妻と語った。
・戦後、軍隊のない国としてアメリカに助けられ、アメリカを追従することで特異な国となった日本。大江健三郎の言う『あいまいな国 日本』
・長岡、戊辰戦争での敗戦の経験。戦後、士族が率先して庶民学校を進めた風土。
・写実でなく、風化しない子どもの様な感覚で描く"シネマゲルニカ"。不思議で楽しく、一所懸命に考えさせてくれるもの。
・小学四年生の子どもがこの映画を観て、父親に「お父さん、僕は、今生きているの? あのお姉ちゃんは生きているの?」と聞いた。父親「あのお姉ちゃんは君が生きていて欲しいと思えば、ずっと生きているよ」。「わかった、僕、いっしょに生きていくよ」
・敗戦の日は日本では8/15だが、世界的にはミズリーで降伏式に調印した9/1(日本時間9/2)。そして北海道は戦争が続いていたので、敗戦の日は9/5。次回作『野のなななのか』との2本立てで日本の敗戦の実態がわかるようになると思っている。
・3月の末にホノルルでこの映画を上映した。石が飛んできたら受け止めよう、と思っていた。そうしたら真珠湾で家族を亡くしたおばあさんが近寄ってきてくれて、「未来の日本人とアメリカ人のためにこの映画を作ってくれた。サンキュー。私のサンキューベリーマッチは私の勇気です」と言ってくれた。
・映画の主人公 天草の地方紙記者 遠藤玲子は、最初の脚本では、自分の子どもをおろして片山健一と別れたことになっていた。しかし長崎出身の原田知世から、被曝二世である設定の玲子は、母親としてなら生むはずだ、と言われてストーリーを変えた。
・敗戦時、日本は蹂躙されると思って、母親と短刀を前に覚悟していた。そうしたら進駐軍はチョコレートをくれる優しい人たちだった。
・(映画のアナログからデジタル化について聞かれ)映画は科学文明のもとにある芸術。トーキーの時もこれで映画は滅びると言われた。フィルムそのもののことはやれないが、デジタルでしか出来ないことをやればいい。
・今回、花火はデジタルカメラ6台を何十時間も回して撮った。そしてフィルム合成ではとんでもないことになるところをPC一台で合成した。映画の制作費はフィルムなら20億円はかかっただろう。それが1/10以下でできた。今、自分はペースメーカーで生きているが、映画はデジタルで生きている。
上の写真はシネマカフェの様子、監督のお隣は、地元ラジオに出演している涼夏さんという方。この時は参加者30人程でとてもアットホームな感じでした。
◆関連リンク
・パンプキン爆弾 - Wikipedia
" パンプキン爆弾(パンプキンばくだん、かぼちゃ爆弾、Pumpkin bomb)とは第二次世界大戦中にアメリカ軍が開発、使用した爆弾である。1945年8月9日に長崎に投下された原子爆弾(原爆)「ファットマン」の模擬爆弾として知られる。単に「パンプキン」と呼称される場合も多い。
30都市に50発(うち1発は任務放棄し爆弾は海上投棄された)ほどが投下され、全体で死者400名・負傷者1200名を超す被害が出た記録が残っている"
長岡に落とされた模擬原爆に関する情報。
・アーラ映画祭2013 報告その2 大林監督来場|Blog "涼夏のまだまだやりたいこといっぱいある。"
司会をされた涼夏さんのBlog記事。トークショーとシネマカフェの大林監督コメントがコンパクトにまとめられています。
・▶ ザ・シネマハスラー 「この空の花-長岡花火物語」 オススメです! - YouTube
・ザ・シネマハスラー 大林宣彦監督インタビュー ‐ ニコニコ動画:GINZA
"「この空の花 長岡花火物語」含め、監督特有の映画理論が語られています。特に「表現は自由で、自分が自分であることと同時に、チャーミングな常識人であれ。」という言葉に胸をうたれました。細田守監督の「時をかける少女」ファンにもオススメです。"
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