■感想(その2) 宮崎駿監督『風立ちぬ』 夢の絶望の骨格
劇場で一度観ただけの宮崎駿『風立ちぬ』、ブルーレイで再見。
この映画のラスト、こんなに暗黒でしたっけ。今回のこの映画の印象はとにかく暗黒。
ラストの菜穂子のセリフが現在のバージョンと異なり、元々は「い」を抜いたものだったということを知って、今回はそのように聴いてしまったからかもしれない。
ストーリーテリング的には、散漫に見えていた夢のシーンと現実の設計屋の物語と恋愛、そして軽井沢でヒットラー政権について「ならず者の集団」と語るドイツ人カストルプのシーケンス等が、見事に暗黒のラストへの一本の強固な骨格を持っていたことがわかった。
その骨格で考えると、少年の二郎の夢から始まる冒頭についても、何だかとても絶望的に見えてくる。純粋な少年の夢は、いつしかカストルプが予見した「破裂」をその郷土にもたらす。技術の美しいものを求める夢が日本をどんな絶望に引き込む一端を担ったか。
映画に張りを与えている、この時代の登場人物達に付与された人の矜持というようなものも、所詮はこの暗黒への道を修正することはできなかったというある意味、人の世の絶望感を表現している。
そして恋愛のシーケンス。
男の身勝手な夢の世界、という批評が多くあったが、衰弱した菜穂子の横でタバコを吸う二郎をあえて描いていることから、まさに宮崎駿がそういうことを、この映画で露骨に描こうとしていたことがよくわかる。
男の夢の様な女性との恋愛生活は、その身勝手ゆえに、そこに絶望を引き込む。
恋愛シーケンスは、美しい短い時を終え、おそらくは病床で生の終着する場として醜い姿で苦しんで死んでいっただろう菜穂子の、去っていく後ろ姿で終わっている。菜穂子のそんな姿を観客に幻視させて、すぐ場面は九試単戦の試験飛行。
その成功の時に二郎の心はそこになく、、、。
場面は続いて日本の破裂と、あのカプローニとの夢の王国の変わり果てた姿であるゼロの墓場を映し出す。このクライマックスの演出のノワールな切れ味は凄い。
徹頭徹尾、夢の結果としての破裂と絶望を描こうとしたのが、この宮崎駿最後の長編漫画映画だったのかもしれない、と二度目を見終わってその宮崎の暗黒を覗き込んで戦慄した。ラストのセリフの改変は、おそらくそんな絶望を漫画映画で振りまいてはいけない、という宮崎の最後の漫画映画魂だったのではないだろうか。
でも今、時代は宮崎がこの映画でたぶん訴えたかっただろう破裂への警告を何事もなかったかの様に受け流し、矜持すらない我々現代人は、もしかしたらその破裂へと突入していこうとしているのかもしれない、、、。
311後、反原発を積極的に訴えていた宮崎が、集団的自衛権について何のメッセージも発していないのも気になる。もう既に絶望を描いてしまった宮崎は、現在への警鐘を無意味なものと考えているのだろうか。
今回、僕にこの映画が、暗黒の側面を見せたのは、2014年の政治の動きが大きく影響していることはたぶん間違いない。
◆関連当Blog記事
・■感想 宮崎駿『風立ちぬ』 大漫画映画!!
初見の感想。上の感想と比較すると、全く宮崎が描こうとした骨格を理解していないことがわかりますw。
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