■感想 切通理作『本多猪四郎 無冠の巨匠』
切通理作さんの『本多猪四郎 無冠の巨匠』読了。
本多監督が作品に込めた想いを、本多監督のスクラッププックや日記等資料に加えて、御家族/関係者へのインタビュー、故郷探訪、そして脚本と映像作品の徹底的な比較等々の徹底分析から、丁寧にあぶり出した力作。
最後の章「新しい怪獣映画の話をしよう」が特に興味深い。
本多監督が最後の映画作品『メカゴジラの逆襲』以降で考えていた作品に関するメモとコメントの分析。
本多猪四郎の言葉。
"核の恐怖というものはなくならないのだから、ゴジラの存在の根底には放射能というものがいまだにあっていいんだけれども、それの認識の仕方・・・今後人間が生きるために作り出していく反作用みたいなものに対するゴジラとの関わりというかな。こういうものをもうちょっと突き詰めていけば、新しいゴジラができるはずだと。それは思いますよ"(P455)
この言葉を読んで感じたのは、311後の『ゴジラ』、庵野秀明&樋口真嗣版の課題のひとつは、福島の東電原発事故の存在をどう扱うかということでないかということ。初代『ゴジラ』と本多監督への強いリスペクトを持たれている御二人が現代の日本で新作『ゴジラ』を作るのであれば、原発メルトダウン後を、どう描くかは重要なテーマであるはず。
この本多監督の言葉から、以下のような映画のシーンが思い浮かんだ。
冒頭、大震災直後の破壊された福島第一原発をカメラがなめて、映し出される震源である太平洋の凪いだ海原。カメラはそのまま海底へトラックダウン、そして映し出される黒い巨体。
上陸し、さらに破壊される東電原発。ゴジラの体に降り注ぐ燃料プールのプルトニウム。
その先もしばらく役者は登場せず、ドキュメント的に津波にさらわれた海岸を南に向けて進むゴジラが映し出される。福島、茨城、そして東京へ無言のまま、地響きのみをたてて突き進むゴジラ。
画面は一転、鹿児島。現れた二体目のゴジラ。
破壊される川内原発1号機。つづいて日本各地に現れるゴジラの総数は、54体。全国の全原発が破壊され、全てのゴジラが向かうのは東京。破壊される国会議事堂と皇居。ここではじめて、54体のゴジラの咆哮。そして街に向けて放たれる放射能火炎。
タイトル『ゴジラ311』。
物語は廃墟となった日本でスタートする....
戦争を体験し科学技術の暴走を何よりも心配されていた本多監督。
現在、もし本多監督が生きていたら、どんなゴジラを撮るのだろうか。凄まじくノワールなゴジラが登場し、そして最後には絶望に突き落とされた我々観客に、それでも希望を提示されるのではないだろうか。そんなゴジラが観たくてたまらない。
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