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2016.03.28

■感想 ザック・スナイダー監督『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』Batman v Superman: Dawn of Justice


映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』予告2【HD】2016年3月25日公開 - YouTube.

 109シネマ名古屋でIMAX 3D版(残念ながら今回も字幕)を観てきた。
 総論として、迫力は凄いんですが…もちょっとジョス・ウィードン『アベンジャーズ』(1本目)の様に大人の映画になっていてほしかったな、と。
 神と人の闘いなので、どれだけでも広がったはずですが…。スーパーマンもバットマンもそれぞれ深い考えなしに御互いを敵視している描写もイマイチ。もっと深くその誤解の原因を描かないと、ただの頭の緩いヒーローが単純な誤解で命を懸けて戦っている、というおバカな展開にしかみえない。折角のゴージャスな映像がいささかその欠点によって空虚に観えたのは僕だけだろうか。

 と欲張りな感想は持ったが、その映像は『マン・オブ・スティール』に続き臨場感に優れ、いい絵が一杯、しかも3Dとして絶妙のアングルも沢山あって、ワクワクする楽しめる映画だったことは確かw。

 というだけでは何とも間抜けな感想なので、『アベンジャーズ』にあって『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』になかったもの、という観点で冒頭に書いた第一印象に続いて、観終わって1日位で考えたことを少し細く書いてみます。

◆唯幻論的 アメリカにおけるヒーロー物について

 スーパーマンが作中で、自分は「カンザスの農夫の夢が作った幻想」のヒーローであると語る言葉がある。今回、この表現にとても興味を惹かれた。
 ここから、どんな展開があるかと思ったのだけれど、父子の話としてまとめてしまったのは残念。スーパーマン自身が自らのその出自で自分の正義について反問する様な展開もあり得たはずで、それとバットマンの自省が絡まって、ギリギリの状態で二人が戦わざるを得なくなる、というクライマックスも考えられたのではないか。

 幻想というキーワードでアメリカのヒーロー物を考えるのに、素晴らしく鋭い切り口のアメリカ論が存在する。

岸田秀の「アメリカを精神分析する」(『現代思想』1977年11月)

" 岸田秀によると,アメリカの歴史は自らの経験を自らに都合のいいように偽ることからはじまっていると言います。

 ここでいう「経験」とは,メイフラワー号に乗って新大陸にやってきたピルグリム・ファーザーズが「インディアン」を虐殺した事件を指しています。

 「自由と民主主義の国」の礎石を築いた“聖徒=ピルグリム・ファーザーズ”は「インディアン」と呼ばれたアメリカ大陸の原住民を虐殺し、彼らの土地を奪った犯罪者だと言うのです。

 経験を偽り,ピルグリム・ファーザーズを英雄にしてしまったアメリカは,同じような行為を強迫的に反復していくことになります。

 岸田秀は,こんな風に書いています。
「アメリカの対外侵略の歴史もまたこの強迫的反復の歴史である。それは、外国の反民主的な独裁政権に反対して、アメリカの自由と民主主義を守るという形を取る。そして、つねに第一発は相手側から撃たせ、アメリカはそれに反撃するためにやむを得ず立ちあがったということになっている」"

20160327_83958

インディアン - Wikipedia

" ヨーロッパ人がアメリカ大陸にやってくるようになった頃、1890年12月白人によるインディアン戦争は終結した。最終的には推定1000万人いたインディアンは白人の直接・間接虐殺により実に95%が死に絶えた。"

 引用文は1977年に書かれ、のちに『続ものぐさ精神分析』に掲載された「アメリカを精神分析する」という岸田秀の論考の紹介である。

 ここで述べられているのは、アメリカの現在の大国主義/世界の警察官といったヒーロー的な国の位置付けは、自らの出自であるインディアンの大虐殺の記憶を偽るために、繰り返し戦争に加わり、自らの暴虐の歴史がいつか本物の正義に転化する瞬間を希求する「強迫的反復」に理由がある、とするものである。
 学生時代にこれを読んで衝撃を受けた記憶だけれど、その後の歴史がまさにこの反復を繰り返しているようにみえてしまう。反復は、911後のイラク戦争に代表されるように、民族としては無意識に敵に対するヒーロー的な戦争として実施され、意識的にはある為政者層が自覚的にそれを利用しているという裏面もあるのかもしれない。

 この視点から、アメリカの民族意識を構成するのに欠かせないハリウッド映画、特に最近大ヒットを繰り返すヒーロー映画を思い起こしてみると、とても興味深い読み取り方が獲得できる。

 自らの国の出自である原罪、偽りの正義の記憶がいつか真の正義に転化する日を夢見て繰り返される正義の戦争。アメリカの能天気な正義崇拝はこの原罪の後ろめたさの裏返しとは言えないだろうか。

 そしてアメリカ精神を代表するハリウッドで繰り返される強大な敵に対する、ヒーローたちの正義の戦争。それはかつての西部劇のようにインディアンを敵とみなして安直に正義を描写するような欺瞞ではもはや贖罪ができなくなった観客の無意識を満たすことができる新たな物語。

 もちろん原罪はそんなもので解消されるわけではない。それは偽りの正義の戦争によって、かつての先住民族虐殺の歴史が拭えないのと同等に。いつまでたっても自分たちが正しかったことが証明されることなどない虚構の正義。

Avenjers_last

 悪がでかいほど倒した時のカタルシスは大きいのだが、原罪は解消するわけでなく、一瞬の勝利の後に来る虚しい気持ち。

 それを表現していたのが、アベンジャーズたちの勝利の後の空虚かもしれない。あのジョス・ウィードン『アベンジャーズ』のラストでヒーロー達が虚ろにダイナーの片隅でパイを頬張る姿は、いつ癒されるとも知れぬ自責を噛みしめるアメリカの姿の象徴とは言えないだろうか。

 『アベンジャーズ』の戦いのシーンで最も印象的な、ハルクの闘いの回路に火が入る描写。無意識にスイッチが入り、暴走するあの姿は、どこか原罪を反復するかのようにオートマチックに暴走するアメリカという国の姿を体現していると考えるのは穿ち過ぎだろうか。

 ひるがえって『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』。
 スーパーマンという一人の神による、冒頭の罪なき人たちの大殺戮シーン。
 まさに911を再現しているかのようなあの摩天楼の市街戦は、スーパーマンの原罪を描くとともに、アメリカの観客たちが無意識にいつも見たかった大きな敵によるカタストロフの瞬間である。それに対する反撃による正義の戦争の偉大な勝利。

 その視点はバットマンから描くことになるかもしれない。
 そしてそれが、二人の偽りの正義の戦いの描写になって、どちらも大きく傷つき、そして正義でもなんでもない神によるただの殺し合いであったことが判明するクライマックス。
 そんな映画の幻を凄まじい物量で描かれる大映像スペクタクルに酔いながら、想起していたのでした。

 今回の映画の原題は「Dawn of Justice : 正義の夜明け」。まだ正義は顔を出しただけである。
 今後続くジャスティスリーグ(チーム名がTHE JUSTICE LEAGUE OF AMERICA)がまさにアメリカの正義を描くシリーズで、そうした民族の精神分析という様なメスをふるって患部を白日にさらしていくような映画であって欲しいものである。

◆関連リンク
岸田 秀『続 ものぐさ精神分析』(中公文庫)
岸田 秀『ものぐさ精神分析』(中公文庫)

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