■感想 押井守監督『GARMWARS ガルム・ウォーズ』
『ガルム・ウォーズ』予告 5月20日(金)ROADSHOW - YouTube
映画『GARMWARS ガルム・ウォーズ』公式サイト
やっと日本で公開された、念願の押井守『ガルム・ウォーズ』を吹替版で観てきた。ファンタジーと言われているけれど、しっかりと異世界SFとして成立し、そして押井映像美学が素晴らしい一本。
押井はパンフレットの文章で「この世界はいつから始まって、どう終わるのか。それがないファンタジーはファンタジーじゃない。世界の起源を問う物語。それが本来のファンタジー」と書いているが、この映画は、異世界の戦闘装置とクローンとネットワークを用いて、世界の意味を描いたまさにSFと呼んでもいい映画になっている。
かつてこれだけの異星世界を描いた実写映画は、少なくとも日本映画には存在しない。押井守ファンはもちろん、SFファンもファンタジーという制作側の言葉を横に置いて、観に行くべき作品だと思う。確かに予算と制作期間(実質の撮影はカナダで1か月ほどだったとか)の規模から、この物語のスケールの映画としては、重厚感に劣るシーンがあるのは否めない(確かに戦車や巡洋艦の動きがこなれていないとか、時間と制作費が潤沢であれば、きっと完成度を上げられただろうシーンが幾つか)。
しかし、それを補って余りある哲学と重層的な世界観が息づいていることが、観終わった後の映画の余韻を膨らませている。
そこで描かれる異星世界はまさに押井美学にあふれている。
ラストで語られるこの異世界の成り立ち。神の中枢とアクセスしたアンドロイド(ヘンリクセン)の口から語られる神の慟哭と言葉の何たる絶望。全篇の映像は、押井守がこの映画の原初のモチーフがアイルランドの荒廃した光景にある、と語っているように、まさに荒れ果てた神なき絶望の世界を象徴するような独特の琥珀色の映像となっている。CGによる戦闘シーンは、その独特の琥珀色で、重厚感とかリアリティとは異なる一種の幽玄な雰囲気が漂っている。独特のデザインの艦載機、その金属が触れ合う音がそうした印象を助けているようにも見える。
また映像として、衣装の素晴らしさ、デザインもだけれど特に凄いのが異星世界の光に照らされた主人公カラの赤い戦闘服の繊細な光の反射である。前半にあった幻惑的なその光は本篇の中でも出色のシーンである。
そして映像の印象だけれど、全篇にどこか押井が敬愛する、アンドレイ・タルコフスキーの影響が色濃く出ていると感じるのは僕だけであろうか。何がタルコフスキーかと問われると具体的には挙げられないのだけれど、映像のトーンがどこかソ連の映画監督の画面を想い出させる。
この異星の特徴、自然の生き物としては犬と鳥しか存在しない世界。
人間が作り物であるというのは、『イノセンス』でも顕著だった押井のテーマのひとつだけれど、バセットハウンドを神聖な動物 : グラとして描くタッチはまさにここでもその押井思想の顕現である。
ガルム・ウォーズ 5/20公開!押井守×虚淵玄 喪われた物語 - LIVE
動画視聴者からの本質的な質問「以前よりも神が人間的になり、犬が人を見つめる視線が優しくなったような気がします。心境と時代の変化でしょうか」に対して、以下のように押井守は答える。(上記動画の終わりから28分くらいのところ)
" 神様についてはわからないけど、犬に関してはもしかしたらそうかもしれない。自分自身、犬に対する接し方が微妙に変わってきたからね。やっぱりなんかね、最初はなんつったらいいんだろう、凄くある種の神々しさというかさ、犬の眼を見ていると神様いるとしたらこんな眼じゃないかとかね。
だけど最近は何だろう、もうちょっと愛おしいというかさ、自分が犬を愛おしいんじゃなくて、犬の眼に映る自分を見る愛おしさを感じるっていうかさ。そういう感じはしたけれどね。特にあのバセットの眼はそう見えるのかも。
だけど動物の眼って不思議なもので、何かね明らかに人間の眼と違うんですよ。何見てるんだろうってさ。逆に言うと、人間はたぶん目ん玉開いているけど何も見てないなって。おそらく間違いない。
人間の目玉って何も見てないなってさ。つまり見たいものしか見てない。全然世界見てないと思うよ。
それを称してたぶん神って称するんじゃないの。ちゃんと世界を見てるって言うさ。人間ってちゃんと世界見るってたぶん永遠にできないかもしれない。基本的には自分の現実を見てるだけだっていう。都合の悪いもの、全然見えないし。そういう意味でつくづくダメだなって思う"
押井守の犬好きは有名であるが、『イノセンス』のラスト付近で顕著なように、まさに犬の眼は、押井映画では異種知性体の眼として描写される。
この発言にある通り、人間の本質である幻想のフィルター(これを僕は言語がその主体となる"意識"と呼んでいるのだけど)、これを通してしか現実を見られないのに対比して、押井の描く犬は、その世界の実相を幻想なしにそのままの姿で捉える。
今回の映画にも底流として流れているのは、言語を主体としたコミュニケーションをとるガルムたちは、その世界の実相は見えていず、ただ淡々とそれを受け止めている犬だけが、世界を覗く神の目を有している。
そして実相で描かれたこの世界の神の姿と絶望。それすらも犬は淡々と眺めるのみである。そして幻想は拡大し、ガルム世界は破滅へと至る。
実は質問されたのはこのブログを読んで頂いている魚月さんであったのですが、魚月さんと僕のやりとり(twitter)はこちら です。
ここで魚月さんに教えて頂いたのだけど、押井守 小説版『GARM WARS 白銀の審問艦』は、このあたりが言語SF的に語られているようで興味は尽きない。次は小説を読んでみようと思っています。
◆関連リンク
・『GARM WARS The Last Druid』 Trailer YouTube
こちらは海外版の予告篇。
・当Blog関連記事
■感想 ノンフィクションW さらば愛する日本よ~密着・押井守の世界挑戦800日~(『GARM WARS The Last Druid : ガルム・ウォーズ ザ・ラスト・ドルイド』メイキング)
ガルム 当Blog関連記事 Google 検索
| 固定リンク
« ■感想 黒沢清監督『岸辺の旅』、モルテン・ティルドゥム監督『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』、M・ナイト・シャマラン監督『ヴィジット』、中田秀夫監督『劇場霊』、リッチ・ムーア、バイロン・ハワード監督『ズートピア』 | トップページ | ■情報 ヤノベケンジ個展「CINEMATIZE シネマタイズ」 @ 高松市美術館 »
コメント