■感想(後半ネタバレ) 庵野秀明 総監督/脚本, 樋口真嗣 監督/特技監督, 尾上克郎 准監督/特技総括『シン・ゴジラ』
◆まずは総論(ネタバレなし)
名古屋109シネマ IMAX版 初日最終回を観てきた。最高に面白く刺激的。
ネタバレ感想は後半に書きますが、是非、白紙で観に行かれるのをお薦め。前半はネタバレ避けますが、先入観なしでの視聴がお薦めなので、この原稿を読むのはやめて、是非劇場へ。(初代ゴジラを昭和29年に初めて観た観客のワンダーに近いものが感じられる作品なので、、、。そんな体験ができる超貴重な機会を自ら捨ててはいけませんw)
会場は古い特撮ファンより、3, 40代のファンで満席。初日のこういう時間帯だからかもしれないが『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の客層と似てる感じだった。そしてラスト、会場から拍手が巻き起こったので、大ヒットになる予感(^^)。
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◆「ニッポン対ゴジラ」と冒頭の展開(少しネタバレ)
映画はまさしく庵野秀明映画と言っていい、巨大生物と日本自衛組織との一大映像ページェント。僕らがずっと観たかったリアルで空想科学なゴジラがそこにいた。(ギャレス版もリアルだったけれど、「空想科学」ではこちらが圧倒的にセンス・オブ・ワンダー)
「ニッポン対ゴジラ」、そのリアルのひとつの要素は、すでに関係者から公開前にいろんな場所で語られているように、政府と自衛隊の対応を徹底的に現実の法律の枠に即して描いているところ。
そのシーンの演出と編集がスピーディで冴えていて映画として大きな見所になっている。ここは『エヴァ』でも一部シーンで描かれてきたトーンだが、今回のは徹底的にそれを突き進めてあり、まさに庵野映画としての「進化」でもある。
最近、どこかでこれだけの情報量を言語によって(話し言葉と字幕で)畳み掛ける映画を観たなぁと思い出したのが大林宣彦監督の『野のなななのか』。
庵野総監督にあの素晴らしい映画の結晶のような作品が影響を与えているかどうかはわからないが、政治描写のベースになっていると語られている岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』を再見しても、そこにいる閣僚と官僚は『シン・ゴジラ』ほどスピーディな思考と言葉を操ってはいない。
映画のタッチが、どちらが似ているかといったら、その言語のトーンとしても『野のなななのか』を挙げるしかない。(もちろん群像劇としての形態と政治家の精神とか若者の感覚は『日本のいちばん長い日』の影響が間違いなく色濃くあるのだけれど、、、)。
ゴジラという怪獣を新しい巨大生物として、旧作にリスペクトしながらも新たな息吹を吹き込んで定義し直し、初代をリボーンした『シン・ゴジラ』。ギャレス版に勝るとも劣らない白組他のCG映像と、東宝特撮スタッフの映像、スタジオカラーのアニメ演出家とアニメーターの素晴らしいレイアウトとデザインで、その奇想を徹底的に描き出したシン怪獣映画。
これは怪獣映画ファンだけでなく、SF映画好きアニメ好きほか、映画ファンも参戦するしかない、映像のまさしく祭りです。
★★★★ネタバレ注意(絶対読んじゃだめです)★★★
◆「現実対虚構」(ネタバレ) シン・ゴジラに埋め込まれたもの
観終わった時はエンターテインメントな怪獣映画にワクワクしそれほど意識しなかったが、本作は日本の現在晒されている現実がリアルに表現されている。
1日経って話の骨格を思い出してみると、身も蓋もない言い方になるけれど 「体内で核分裂をする動く "福島東電原発であり東日本大震災" が東京の街を蹂躙、それを日本人の集団の英知が救う」というのが作品の骨格。(加えてそこに日米安保と世界のパワーポリティクス、そして自衛隊と米軍による戦闘という、現実の日本の国際上の課題が強く反映されている。ラスト、将来の日米政治を担うだろう2人の主人公のセリフでパートナーシップでなく「傀儡だろ」というのが効いている)
見終わった後の第一印象、エンタメの枠でいいものを観た〜という感想に引っかかるのが、クライマックスの戦いで要になるポンプ車シーンのカタルシスが低トーンであっけない出来であったこと。
もっと消防師とか自衛隊員の誰かをクローズアップして決死の行動を詳細に描いた方が良かったのではないだろうか。感情移入できる登場人物を1名中心に置いて。
でも考えると、そんな描写をするのはこの映画を作れる力量のあるスタッフなのだから別に難しいことではない。意図的にこのように薄味で描かれているのだ。
観終わった後、このように引っかかったので考えると、このシーンは観客の現実の311の記憶が映画を補完するような、そうした構造に組み立てているのではないか。
そこから福島原発を想起して前述の話の骨格(まさにゴジラが福島原発のメルトダウンした原子炉を体現しているのだと)気づかせる仕掛けがあるのだ。
今回の巨大生物は、海底へ投機された放射性廃棄物が原因になってるし、核兵器がその契機になっていた初代に対して、まさに「東京に原発」が本作の構造である。
今作は初代ゴジラに迫れたろうか。
あのシンプルな水爆と科学の暴走への恐怖は、本多猪四郎監督他スタッフが映画製作直前に体験した戦争と日本に投下された二発の原爆、そして繰り返される水爆実験の影が色濃く滲み出ている(公開の9年前が敗戦の年、二発の原爆が人類史上初めて投下された年)。
それに対して本作は、311による巨大な災害と原子炉メルトダウンによる核の洗礼を受けたスタッフ(と我々観客)。5年前の311の体験がスタッフに生々しく残っている中での、核廃棄物に起源を持つゴジラ。ここが初代をターゲットに本作を企画した庵野総監督の意識に強くあっただろうことは間違いない。そして原発批判をどこまで入れるか、スタッフは多分葛藤しただろう。
本作は表面上はエンターテインメントに徹して仕上げている。もしかしたら、311直後で強烈に震災の影響を受けてねじくれた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』に対して、その影響は整理され『序、破』のエンタメ性が復活してきているのが本作ではないだろうか。(ここから、次のヱヴァンゲリヲン新劇場版は、再びエンタメ回帰で一大カタルシスが期待できるかも。)
ゴジラは今回も皇居を目指して進行。で、都心に原子炉が現出。そして最後はオブジェのようになって、東京駅の隣の皇居と都民と国民を睥睨する。続篇ではあの凍結したオブジェのようなゴジラが再度、、、といった展開で未だ収まらない原発問題をさらに鋭くえぐるような映画も可能性があるのではないだろうか。
戦争という巨大な体験に対して、規模は比較すると小さいがそれでも未曾有の物理的傷と神的な傷を現代に残した「東日本大震災」。これによって初めてリアルに初代に拮抗しうる負のエネルギーを持ち得た「シン・」ゴジラ。
これからのシリーズ化があるかどうかは分からないが、未だ終わっていない福島原発と国際的なパワーポリティクスの日々増していく不安の堆積。これらは初代と違い、「現実」が今後も持ち続ける負のエネルギーである。
ここに正面から向かい合うことが、シンシリーズの宿命としてゴジラ細胞のDNAに刻み込まれたものである。少なくとも僕は倒壊し放射能汚染された東京が、現実の日本と並走しながら、あの若い政治家と官僚たちの手で蘇る姿を今後も観てみたい。その時、「現実と虚構」の対決はどちらに軍配が上がるのだろうか。
◆蛇足のアラカルト ここからは箇条書きでw
・「巨神兵、東京に現わる」に続き青い光で焼かれる東京。庵野監督は本当に『風の谷のナウシカ』第七巻をやりたいんでしょうね。今回の「巨神兵」は、東京に現わるよりもシャープな演出だったと思う。レイアウトと編集の冴えがさらにピシッと決まっている。庵野総監督がDNAは埋め込んだので、シン・シリーズからは離れて、是非(ヱヴァンゲリヲン新劇場版と)『ナウシカ第7巻』を早く撮ってほしい。
・第2→3形態への変貌シーン。あの覚醒シーンも白眉。こんなゴジラ観たことない。幼体からの急激進化/巨大化の過程には個性が現れるだろう。今後のVSものの可能性もここに埋め込まれている。
・ヤシマ作戦ならぬ、ヤシオリ作戦のネーミングの由来がわからなかったのでググってみたら、このお酒の名が起源のよう。同名のバーが名古屋にあるみたい。ゴジラファンで混むかもしれませんね。
以下はそのバーについて書かれたブログ記事からヤシオリについて。まさに粗ぶる神を眠らせる酒。Facebookの石田達也さんによる『シン・ゴジラ』ネタバレ談話室で教えて頂いたのですが、「八塩折之酒」という漢字になるそうです。
「むぎコメぶどう ヤシオリ」(名古屋市中村区)にて~~|吹き抜ける風と太陽を浴びて・・・心の行くまま流れるまま・・・
"「ヤシオリ」は「ヤマタノオロチ」伝説に出てくるお酒の名前から採ったとか。
ヤマタノオロチは、甘くて飲みやすい日本酒の古式製法・「しおり法」で造られた「ヤシオリの酒」をがぶ飲みし、酔っ払った寝込みを襲われた・・・・と言う話。ヤシオリの酒の「ヤ」は日本の古語で「何度も繰り返す」と言う意味。"
・前回の初代ゴジラの記事で述べたゴジラの足音について。
本作では、初代ゴジラをなぞるように、冒頭東宝マークが現れるととも、あのゴジラ音が。その後は、後半で一箇所だけ主人公がビルの谷間に見るゴジラシーンにあの伊福部昭によると言われている音が使われていた。まさに初代へのリスペクトである。
・若い理想を持つ政治家の言葉は、その将来を想像すると『ナウシカ第七巻』の理想を持っていたはずの為政者の腐敗を思い起こさずにはおれない。膿のように溜まっていく現実との軋轢で磨耗する理想。そうしたところもシン・シリーズで描かれるテーマのひとつでしょうね。
・自衛隊攻撃、その政治的手続きと絞り込まれた作戦、そしてギリギリと積まれた緊迫感がとても良かったですが、ひとつ特筆すべきは攻撃精度。普通のゴジラ映画では火機の攻撃は当たらない玉が周囲に散らばりまくる。しかし今回は的確に攻撃対象にほぼ全弾が当たっている(予告篇で何回か見てみると一発外れているようにも見えるけどw)。あれだけの巨大なターゲットなので全弾当たるのは当たり前。その描写のリアルさもとても良かった。
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コメント
こんばんは。少し返信が遅れました。
>>第一印象はあまりに現実に即し過ぎな感じが強くてそのあたり非常に引っ掛かっていました
2回目観てきましたが、さらに違和感は減っていました。伊福部音楽の融合が素晴らしかったので、、、。
八岐大蛇の影響はいろいろとあるのでしょうね。
投稿: BP(あんまりようさんへ) | 2016.08.07 22:22
地元でも混んでいたので鑑賞が遅れました。311、福島原発に絡めての評価、お見事です(゚▽゚*)k「巨神兵東京に現る」を長編化した趣、スタッフにはやはり相当な葛藤があったのであろうと確信しました。まだ2回目観てないんですが第一印象はあまりに現実に即し過ぎな感じが強くてそのあたり非常に引っ掛かっていましたが敢えてやったのかと思考を修正しました(笑)。何にせよ2回目鑑賞します。
最後の、ゴジラ内での未知な放射性物質の半減期が異常に短く、復興も可能というのもおいおい安易だろと思いましたが、これも制作側の、現実は違うけどせめて虚構内ではこうあって欲しいという祈り願いなのかと想像するとまた涙が出てくる思いです。
ゴジラ第一形態は八岐大蛇の逆襲のに動きが似てるなあと思ってたらヤシオリ、ってこれはこじつけか(笑)。
投稿: あんまりよう | 2016.08.05 01:20