■感想 デヴィッド・ブラザーズ, クリスピン・グローヴァー監督 スティーブン・C・スチュワート脚本主演『It is Fine! Everything is Fine.』
Crispin Glover Film "It's Fine" Trailer - YouTube
クリスピン・グローヴァーが金沢に帰ってくる!! カナザワ映画祭2016で「ビッグ・スライドショウ」を開催 - カナザワ映画祭主宰者のメモ帳
" 「クリスピン・グローヴァーのビッグ・スライドショウ」とは、 ハリウッド・メジャー大作で活躍する俳優クリスピン・グローヴァー。彼は、ライフワーク「ビッグ・スライドショウ」のため、自らフィルムを抱えて全米各地と欧州各国を興行。
そして、2008年以来満を持して、今年ハリウッドから金沢まで帰って来る! ショウは、グローヴァー本人によるスライドショウに始まり、映画の上映、Q&Aと続き、サイン会で幕となる。
これまで誰も見たことのないイメージの連続、片時も目が離せない! この機会を見逃すな!9/24(土)
・ビッグ・スライドショウ
・『It Is Fine! Everything Is Fine.』上映
・Q&A ・サイン会"
クリスピン・グローヴァー監督の It トリロジー第2作である本作を、カナザワ映画祭2016で観た。今回、日本での上映は8年ぶりの2度目。前回、見逃して物凄く残念な思いをしたので、今回は是が非でも、と金沢で初めての映画祭参加となりました。
まずは参加した1日目に観た『It Is Fine! Everything Is Fine.』について。
そして次回の記事で、参加2日目 金沢映画祭10年の歴史の幕引き作品になった It トリロジー第1作『What is It?』について感想を書きます。
最後に、両作品上映後に実施され、1.5時間と2時間たっぷりと語られたQ&A(というかほとんどがクリスピン・グローヴァーの想いがたっぷりと詰まったトークショー)について、膨大なメモを取ったので、その内容についても別に記事として御紹介予定。
このトークショーについては、映画の成り立ちとそのテーマがこれでもかというくらいに語られて、今回、最初に書く感想はできるだけ自分の鑑賞後の受け取り方を中心に書くつもりですが、トークの内容に影響されていることを予めお断りしておきます。
今回この二度目の貴重な機会に参加できなかった方に、記事からこの奇想映像と語りを少しでも体感頂ければ幸いです(メモの整理に時間がかかるため来週以降の公開となります)。
◆感想 『It is Fine! Everything is Fine.』
噂のカルト映画初見。
評判通り、確かに今までどこにもない奇矯なドキュメントのような映像記録であり、そしてフィクションでもある唯一無二(少なくとも僕は知らない)の映画。
まず円形の鏡(カーブミラー)に映し出されたスティーブン・スチュアートの姿。カメラが引いていくと、鏡全体とその下に老婆の顔。手前に車椅子が倒れて顔を床に付けたスティープンの姿。
ここのカットが、実相寺ばりのショットで、その後もトリッキーな画面レイアウトで見せる冒頭になっている。
後の記事に感想を書くIt トリロジー第一作 クリスピー単独監督でクレジットされている "What is it?" には、こうしたショットはないので、この作品からスタッフとなった(撮影?)人の趣味か、もしくはクリスピンが実相寺を観たかのどちらかだろう(ここはジョークですw)。以上、予告篇にも一部入っているが、映像のルックとしてはこうしたトリッキーなシーンもあるものの全体のテイストは、それほど奇異な映像表現があるわけではない。
では今までどこにもないというのは何処か。
それは、脚本主演を務めたスティーブン・スチュワートという身体麻痺のハンディキャプを持った人物が、自らの死の一ヶ月前(正確にはトークショーで語られたが彼はクリスピンの映画の完成に自身の撮り逃しのシーンがないか、クリスピンに確認し、完成できると聞いた後、生命維持装置を止める様に入院していた病院関係者に言って撮影の一ヶ月後になくなったという。もし追加撮影が必要であるなら彼はその責任感から意地でも生き続けたであろう)、まさに命を削るようにして演じたポール・ベーカーという自身を模した人物の思考と行動である。
思考と書いたが、彼の言葉は麻痺のせいでほとんど観客に聞き取れず意味不明。字幕は彼の言葉は全て(意味がわかる極少ない言葉も含めて)「×××」と表示される。なので実は思考は本当のところ不明で、その行動と彼の言葉をわかっているかもしれない、他の登場人物の反応を見ることからしかそれを推定することはできない。
もしかしたら彼の思考は他の登場人物にもわかっていなかったのではないか、という解釈すら映画からは感じられる。それぞれ彼と言葉を交わす女たちは、自身のほしい答えを勝手にポールの言葉から受け止めているだけである可能性がある。そうして彼に気持ちを預けて行くわけであるが、時々挿入される彼の頭の中の妄想は、彼女らがハンディキャップの彼に持つ素朴な善意とは全く無関係の性的な妄想である。
そして彼との性的な関係を結び、そのさなかに彼の麻痺した腕で絞め殺されていく女たち。実はこの映画、連続殺人鬼を描くミステリータッチの物語を持っていたのだ。
そして映画の中で、スティーブンはポールとして演技であるとともに、自身としてもたぶんセックスをしている(映画はノーカットで彼の局部を写してその実態を映し出している)。
これが初めてだったかどうかはともかく、彼はこのフィクションで明らかに自分の積み上げてきた妄想を実現しているのだ。ここが映画に異様さとして、ドキュメンタリーがドラマに深みを与えている部分である。
映画の使用している音楽はクラシックとどこかで聴いたことのあるポピュラーミュージックを使っていて、使い方を含めて、正直斬新ではなくTVドラマ的。
そこはトークショーで語られた様に、養老院で精神的に幽閉されたスティーブンがTVで観ていたミステリードラマをなぞっているのがもしれない。
異様なスティーブンの妄想がフィクションと、他の俳優たちとの現実の行為による彼のリアルとしての体験によって、他のどこにもない奇矯な映像がスクリーンに現出し、観客に異様な迫力をもたらす。
後日アップするトークショウでクリスピーからその映画としてのテーマが語られるのであるが、それはまた別の話。映画そのものの迫力とは、もしかしたら別かもしれない監督の狙ったもの。もし後日の記事も含めて、その狙いの実現とギャップの両方を体感頂ければいいのですが、、、。
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