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2018.10.08

■感想 ナ・ホンジン監督『哭声/コクソン』


3/11(土)公開 『哭声/コクソン』予告篇 - YouTube

  ナ・ホンジン監督『哭声/コクソン』WOWOW録画初見。

 この映画は一筋縄ではいきません。衝撃を受けたのは確かなのですが、僕は観終わった今もストーリーに釈然としないものを覚えて、モヤモヤとした想いでいます。

 ということで、まずはネタバレなしの感想から。

 端正な画面と少しコミカルな登場人物の営み。この映画はそのように始まります。
 そして谷城(コクソン)の村に起こる猟奇的な殺人事件。ここのサスペンスはなかなかのもの。サイコサスペンスとして、さらにはそこに祈祷師という存在を登場させ呪術的闘いというホラー寄りのサスペンス見せていく。

 ここまでの映画のサスペンスはなかなかのもの。エンタテインメントとしてかなり恐ろしい話を見事に映像化している。映像の美しさとともにエンタテインメントとしての完成度もなかなかのものです。
 特に國村隼の不思議な落ち着きを持った狂気の演技が素晴らしい。

 そしてラストの15分間のすごい映像。主人公ジョングと謎の女ムミョンとの農家と畑の間での夜明け前のシーンの素晴らしさ。

 光と影と、光の色の表情、凄みのあるこのシーンの映像、助祭イサムと國村隼のシーン、そしてジョングの家をカットバックで見せ、多義的なシーンを描き切ったこのクライマックスのもたらす映画としての魅力に正に感嘆。凄いものを見せてもらいました。



★★★★★★★ ネタバレ注意 ★★★★★★★ 

 さてここからが難しい。僕は少なくともまだこの映画を噛み下せていないので、この後は疑問点の提示に留まりそう。

 冒頭に引用されるキリストの言葉としての聖書の一文

「なぜうろたえているのか。どうして心に疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」

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 そしてクライマックスの國村隼演じる日本人の手の甲に穿たれた穴と、この言葉を模したセリフ。明らかにキリストとこの日本人をダブらせた演出。

 しかし助祭は、この日本人を自分の見聞きしたことから「悪魔」と呼んでしまう。
 國村が答えるのは、あなたがそのように信じているのなら、私がなんと言おうと「悪魔」であろう、という言葉。そしてカメラを構える、あの凄まじいシーンが描かれるのである。

 観客はここで、この日本人が村を救おうとしたキリストなのかそれとも悪魔なのか、どちらなのか迷ってしまう。

 同時にムミョンを信じられなかったジョングが自分の家に戻ることによって、ムミョンが悪霊に仕掛けた家の魔よけが変化するところが映し出される。魔よけの植物と思われたものが小さな髑髏に変貌するシーン。

 どちらも信じることとそれによる世界の変容が描かれている。

 この映画が多義的で、観客にとってどのように捉えたら良いか、迷わせてしまうのが、こうしたシーンを見ていると、まさに監督がこの映画で描きたかったものなのではないかと思えてくる。

 つまり映画の多義性は、この世界の姿が人の信じる想いによって変化してしまうことこそが映画のテーマなのかもしれない、という感想。

 とりあえずの僕のこの映画の感想まとめはこうしたことになる。
 実はキリストなのではないかと描かれた國村が殺された自分の愛犬をジョングの家にぶら下げたり(祈祷師イルグァンの仕掛けたものかもしれない)、真剣に國村に「殺」の念を送ったイルグァンが日本人の家にあった数々の呪いの対象の写真を持っていたり、、、ひとつの解釈をしようとすると、その反証として思い浮かぶシーンが多数埋め込まれている。そしてそれらも映画の結構としては、毒キノコの混入した健康食品の見せた幻覚と解釈できないこともない仕掛け。

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 そうした仕掛け含め、この映画全体が多義的に解釈できる世界を象徴的に描き出そうとしているものだとしたらどうだろう。
 クライマックスで登場人物たちが信じたことが世界に顕在してしまう本作は、どのエピソードも矛盾するように散りばめられているが、それらすべてが人が解釈のために自分が信じたい事象を現実から選び出しているように、この映画の断片は観客が自分の信じたい解釈のために監督が用意し散りばめられた素材だとしたら。

 我々は真相などというものはなかなか存在しない現実を生活している。この映画はナ・ホンジン監督がそれをデフォルメして我々に見せているそんな映画なのかもしれない。これが現時点の僕の解釈です。

 今後何度か観て、この映画の仕掛けをもっと深く確認してみたいものである。

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