VIDEO 『ドライブ・マイ・カー』30秒予告【第1弾】 濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』、Amazonプライムで有料レンタルにて観ました。48hrの時間制限があったので、2晩で続けて2回観ました。1回目も凄く良かったのですが、じっくりセリフの端々まで堪能した2回目はまさにこの映画の凄さを感じました。
まず濱口監督の演出、映像として見せて、登場人物に多くを語らせていないのが、いいですね。
ただ僕は同じ村上作品の映画化では『ノルウェイの森』『バーニング 』に比べると、映像で村上作品の登場人物の内面を語る手腕はトラン・アン・ユン、イ・チャンドン両監督に軍配が上がるかと思いました。
「映像化に向かない」ハルキ作品をめぐる映画化への挑戦 米紙が絶賛「映画『ドライブ・マイ・カー』は濱口竜介監督の新たな傑作だ」
"「村上さんの文章は、内なる感情を見事に表現しています。だからこそ、人は彼の作品の映像化を望むのだと思います。ですが、内面における感情を映画で再現するのは、本当に難しいことです」
"
例えば本作では、車が闇の中を進む描写で、人のどす黒い部分へ触れていく雰囲気が醸成されています。
これが『ノルウェイの森』の場合はロケ地である兵庫県神河町の砥峰(とのみね)高原の森の空撮、『バーニング 』では北朝鮮との国境沿いの村の夕闇の映像が、そうした役割を果たしていたけれど、僕は後の2者の方がその映像センスの的確さで上を言っていると初見では思いました。
しかし2回目を観て、映像だけでなく、物語と並列して描かれる演劇「ワーニャ伯父さん」のセリフが、相当に雄弁に村上作品っぽさを盛り上げていて、『ノルウェイの森』『バーニング 』と並ぶくらいの高みに映画を到達させている気がしました。
また演劇の援用としては、神が不在の『ゴドーを待ちながら』からはじまり、『ワーニャ伯父さん』で、神による村上ワールドの喪失を救済する構造にもとても感心しました。特に3回違う形で登場するセリフで、あの世から現生を回想する部分の鮮烈さ。1回目から3回目へのその深化もスリリングで白眉です。
演劇要素は、原作にはなく映画のオリジナルで、こうした使い方が何とも言えない映画の奥行きを創り出していました。加えてそこの役者たちのダイバーシティ含めて、何とも豊潤な映画空間を構築しています。
これらの複合的な描写でアカデミー賞の作品賞ノミネート作品として『パワー・オブ・ザ・ドッグ』や『ドント・ルック・アップ』に比べて、相当に重厚な傑作だと言ってもいいのではないでしょうか。 ただ、エンターテインメントとして一般受けするかどうかというと、特に初見における演劇部分の複雑さが足を引っ張るかもしれないと思ったのでした。はてさてどうなりますか。
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. ★★★★★★★★★以下、ネタバレ注意★★★★★★★★★ .
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特に映画的な力に満ちていたシーンとして一番素晴らしかったのが以下の件です。
【ネタバレ解説】「ドライブ・マイ・カー」がより面白くなる11の裏話
“原作には「“声”について非常に真実と思えることが書いてあった」という。濱口監督は、最も心に残った部分も明かしている。それは高槻というキャラクターの言葉を表現しているものだ。 「高槻という人間の中にあるどこか深い特別な場所から、それらの言葉は浮かび出てきたようだった。ほんの僅かなあいだかもしれないが、その隠された扉が開いたのだ。彼の言葉は曇りのない、心からのものとして響いた。少なくともそれが演技でないことは明らかだった。」”
サーブの後席で主人公家福の隣に座り、家福の妻 音が(原作の短篇集の「シェヘラザード」として)語る「同級生の家に空き巣」に入る物語の続きを話す高槻のシーン。特にカメラ目線で目に当てる照明により独特の表情を作り出した高槻によるスリリングな語りは、まさにこの「隠された扉」が開き奥底から響いてくる彼の声の描写である。
同じ車の中での深淵を覗き込む様な描写に、押井守『ビューティフルドリーマー』における夢邪鬼の語る言葉を思い出したのは僕だけでしょうか。
◆その他のメモ
・短篇「木野」については、主人公の妻 音 の語る物語の少年の名前として出てくるだけでしたが、「木野」でバーに迫るどす黒いもののイメージが映画でも使われていると感じた。どちらかというとそれは村上作品全般に登場するそれの描写を援用している様にも感じた。
・北海道の架空の町 十二滝町で描かれるクライマックスの場面、それでも生きていかないと…と語る主人公の二人を映した後、画面はサーブの車が雪の中に佇むシーンを長回しで映す。タイトル通り、運転と人生をオーバーラップさせた様な味わい深いシーンです。
・村上作品の心象風景を映像として映すシーンで印象的だったのは、渡みさきが「母を殺した」と告白したシーンの後、家福がそれを自分は否定できないと言って、カメラが車の速度でトンネルから海を描く映像。ここの迫ってくる映像の力は素晴らしい。
・言語のダイバージェンスとして、手話による女優の語り。特に『ワーニャ伯父さん』のラストの回復シーン。あの女性の生命力の輝きは特筆です。
・ラストシーン、ヒュンダイ製のモダンな車、しかも全部ソナタというある種異常なシーンの中に一台だけ違う車 サーブが映るシーン。あれは一体どういう意味だったのでしょう。元々この映画は冒頭以外は、韓国を舞台に描かれる予定だったのが、コロナ禍で広島が舞台になったとのこと。韓国がラストシーンで描かれるのはわかるけど(あの夫妻の犬がサーブに乗っているし)、あの同じ車は一体何だったか悩みます。どなたか、教えて。 ◆関連リンク ・VIDEO 西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、濱口竜介監督が登場『ドライブ・マイ・カー』壮行会イベント【トークノーカット】
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