飛 浩隆『零號琴』
"はるかな未来、特種楽器技芸士のセルジゥ・トロムボノクと相棒シェリュバンは、大富豪のパウル・フェアフーフェンの誘いで惑星“美縟”に赴く。そこでは首都“磐記”全体に配置された古の巨大楽器“美玉鐘”の500年ぶりの再建を記念し、全住民参加の假面劇が演じられようとしていた。やがて来たる上演の夜、秘曲“零號琴”が暴露する美縟の真実とは?飛浩隆、16年ぶりとなる第二長篇。"
稀代の奇想SFを読み終わりました。ひさびさに充実した読書を体験(^^)。
最初、今までの飛作品とは文体がだいぶんと違い、まず思い出したのは、ディレイニーのクールなスペースオペラを萩尾望都の漫画で読んでる感じ(^^)。
そして物語は、手塚治虫だったり円谷だったり宮崎、庵野だったり、楽器都市で繰り広げられる、ARの進化版のような假面(かめん)劇 : 假劇(かげき)の大怪獣/巨大ロボット/戦隊ものwへと転移していく。
多くのサブカルチャーに属する物語の楽しさを縦横に使って、そして描かれる物語にとり憑かれたある星の種族の巨大な悲劇。それは飛が描いた物語の極北、アンチ物語小説であるのかもしれない。世に「反推理小説(アンチ・ミステリー)」と呼ばれる中井英夫『虚無への供物』が奇想小説として我らが昭和時代に屹立しているが、本書はある意味、それに対になる平成の「反エンタメSF小説」なのかもしれない(詳しくはネタバレ部分で記します)。
まずはSF、アニメ、特撮、VR/AR 関係者必読!…かと思います。実は惹句の「想像しえぬものが想像された」というのは、そうした世に「想像された」物語の極北という意味にも取れる。それはまずは文字でこの世界に生み出されたのだけれど、実はとても映像化にも向いていて(というか元が映像作品であるものを換骨奪胎しているわけで)、いずれ映像化にチャレンジする、極北監督が出るかもしれず、そんな無謀に期待しつつ、まずはこうした言葉でネタバレなし感想とします。
★★★★★★★★★以下、ネタバレ注意★★★★★★★★★
まず『零號琴』本篇からの引用。
"人間の身体は、汚染され住めない土地になったのだ。
(略)いまだかつてじぶんの身体から、生きながら逃げおおせた者はいない。人間を情報化するレシピは<行ってしまった人たち>も残していない。(P485)
個別の人間、ひとりひとりのわたしを残すことをあきらめたのだ。
その代わり、物語になることにした。(P486)"
レイゴウキンって? 飛浩隆インタヴュー:朝日新聞デジタル
"1960年代以降のオタク的カルチャーを容易に想像させるような固有名詞をちりばめて、こうしたいかにもな物語が展開されることについて、何か別の意図を感じてくれることを想定していました。
SFを書く側のモチベーションや読む側の楽しさというのは、本当に信じてよいものなのか。無条件に楽しみ、それを前提として再生産していっていいのかどうか、ということを書きたかった"
散りばめられたSFの名作、怪獣特撮、戦隊もの、アニメ、漫画といったサブカルチャーの物語。その再生産による集大成のような壮大な物語のラストで明かされる惑星「美玉」→「美縟」の秘密。
人の想いを映しとって500年間にわたりその記憶を再生し続ける「美縟」の生命 「梦卑」(むひ)。死に絶えた「美玉」人類の物語を夢のように再生産し続ける「梦卑」たち。「むひ」というのは、元は「夢非」なのかな、と思いつつ読んでいた。夢のような不死の存在が演じ続ける物語の否定。「梦卑」が滅びるこの作品の最後を反物語として読むことも可能で、そんな想像が「夢非」という言葉をイメージさせた。
演じられる假劇、そこに混入される当代宇宙で大ヒットした『仙女旋隊 あしたもフリギア!』のエピソードの数々、そしてそのラストへの宇宙の数多くのファンの想いとして描かれる「旋妓婀(ふりぎあ)」の終わりのその先。徹底して物語へのこだわりがこの小説の骨格をなしている。
『零號琴』全体は、小説としてあたかもそんな「美縟」の物語世界を体現するように、我々「地球」人類の物語を再生産しこれでもかと重層的に重ねた形態を取っている。ラストで死滅される「美玉」人類の仮想としての「梦卑」の不死の世界。それをこの「地球」の物語たちで描いた反物語『零號琴』というわけ。
それは上記リンクのインタヴューにある、物語の再生産を葬送する飛の決然とした姿なのかもしれない。
「美縟」は、「仮想空間にデータを転移できなかった」知的人類の行く末としてこのように描き出されている。この小説はこうした視点から『グランヴァカンス』と対をなす作品と見ることもできる。
現在のデジタル社会から想定される知的生命体の未来、それを飛氏は幻視したいのだと思う。本作はテーマがフィクションであることから、多数のSFやアニメや特撮といったサブカルチャーのフィクションをごった煮に放り込み、それをある惑星上で究極の姿として描き抜いた怪作と思う。
プリキュアは観てないので全くわからないけれど、卵型の眼をした光の巨人 守倭(「しゅわ」って読むのだ!(^^))とか、金属の鎧を纏った巨人、最高峰のアニメ、SFXを彷彿とさせるアクション描写、異界の情景描写が凄みをもって迫ってくる。
僕が謎として残されたと思ったのは、前半で死んだパウル・フェフフーフェンがクライマックスで登場していること。すると、既に彼は梦卑化しているはず。ということはこの後、、、。ここが何を意味するかよくわからなかったため、ご教授いただければ幸いです。
◆関連リンク
・飛浩隆 twitter
"美玉鐘(びぎょくしょう)、零號琴(れいごうきん)、五聯(ごれん)、鐡靭(てつじん)、守倭(しゅわ)、㤀籃(ぼうらん)
……まだまだあると思いますが(特に把握しようとしていないw)とりあえずこんなところで。『零號琴』を辞書登録されている方が増えているようでもあり、本作に登場する変換しにくい固有名詞を掲出します。コピペして使ってください。あと、本作の公式(笑)ハッシュタグを #059n とします。
【地名編】美縟(びじょく)、美玉(びぎょく)、磐記(ばんき)、綺殻(きかく)、綾河(りんか)/紅祈(あかね)、華那利(かなり)、沈宮(じんく)、芹璃(せりり)、昏灰(ぐらふぁい)
【人名編】咩鷺(みさぎ)、菜綵(なづな)、峨鵬丸(がほうまる)、旋妓婀(ふりぎあ) /
【その他編】假劇(かげき)、假面(かめん)、亞童(あどう)、吽霊(おんりょう)、梦卑(むひ)、天蓋布(てんがいふ)"
レイゴウキンって? SF大賞2度受賞の作家、久々長編:朝日新聞デジタル
"「すでに消えてしまった高度な文明があって、それがあちこちの星に建物大の楽器をたくさん残していて。それを修理して回る主人公と、お話をかき乱す相棒がいて……みたいな感じになれば楽しいだろうなと」。"
◆ネット上のレビュウ
【今週はこれを読め! SF編】日本SFが生んだ奇書、得体の知れぬ迷宮的作品 - 牧眞司|WEB本の雑誌.
"『零號琴』という名で組みあげられたこの言語構造物は、遠くから眺めれば絢爛豪華なジャンクであり、近づいてみればダイナミックに鳴動する迷宮である。
日本推理小説の領域では『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』『匣の中の失楽』を四大奇書と呼ぶが、ついに日本SFも沼正三『家畜人ヤプー』と並び称すべき奇書を得たことになる。"
牧眞司(shinji maki)(@ShindyMonkey)/「零號琴」の検索結果 - Twilog.
"萌えるスペースオペラとして読めばイイかと思いますが、メタとかインターテクスチャリティとか好きなひとにとっては「沼」な小説なのでご注意。"
吉田隆一/黒羊㌠さん の 2018年11月23日 のツイート一覧 - 1 - whotwi グラフィカルTwitter分析.(以下の言葉に続けて音楽観点からの分析がなされています)
"飛浩隆『零號琴』(早川書房)について。
音楽についての感想から。本作は「音楽ワイドスクリーンバロック」という視点でも楽しめるSFでもあります。そして本作において音楽とは「創り手の意思が先行する」ものとして描かれています"
大森望(@nzm)/「零號琴」の検索結果 - Twilog.
"飛浩隆『零號琴』をなんとか読み終え、八重洲ブックセンターに向かい中。7年前に連載で読んだときは、古風でエキゾチックな冒険SFという印象で、いくら改稿したにしても、あれがオールタイムベスト級の本格SFになるとか、そんなわけ…………ほんまや! どうしてこうなった!?
ヴァンスとゼラズニイとベイリーと田中啓文とプリキュアとまどマギとスーパー戦隊と宮崎駿とエヴァをまとめて放り込んだ波瀾万丈冒険活劇を魔術的手管で本格SF化する無敵のエンターテインメント。次の直木賞はこれで。いやマジで。本屋大賞でもいいけど。"
中野善夫(@tolle_et_lege)/2018年11月07日 - Twilog.
"『零號琴』読了。勢いのよい科白にめまぐるしい場面転換、目の前に鮮やかな情景が繰り広げられるのが見えるようで、その流れに身を任せて結末まで一気に(ではなかったが)読み終えた。
が、結末はよく判らなかった。そして、勢いのよい科白にめまぐるしい場面転換は現代のアニメのようで、実は些か苦手な流れ。「無番」が妙に読みやすかった。多くの読者はこの流れに乗って読み進めらるのか。私はもう駄目なんだと思った。"
【声優、エッセイスト池澤春菜の推薦図書】その明快な語り口と解説の素晴らしさに宇垣アナも唸る TBSラジオ アフタ−6ジャンクション
"そんな池澤さん至極の推薦本はこちら↓
・『オブジェクタム』(朝日新聞出版:高山羽根子)
・『ハロー・ワールド』(講談社:藤井太洋)
・『零號琴』 (早川書房:飛浩隆)"
twitter 青の零号
"飛浩隆さんトークより。「『零號琴』は自分が読んできた初期の海外SFノヴェルズやサンリオSF文庫のキラキラ感を再現しようと短編として書き始めたもの。そのキラキラ感は今でも保たれてると思う。」"
最近のコメント